2016年09月14日
Xbox One 用『Forza Horizon 3』体験版配信開始!
体験版では、Horizon フェスティバルの最初の舞台、Byron Bay エリア内で、自由にドライブを楽しんだり、レースやショーケース イベント、PR イベントなどにチャレンジできる! また、シングル プレイではフレンドの Drivatar が登場し、Xbox Live ゴールド メンバーシップなら最大 12 人でのオンライン フリー走行も体験可能。
Posted at 2016/09/14 01:08:38 | |
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GAME | クルマ
2016年09月13日
昨日で同時多発テロから15年になりました.
ニューヨークとペンタゴンでは式典がありましたがLAでは特に何もなく普通のSundayでした.
Posted at 2016/09/13 02:00:30 | |
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DIARY | 日記
2016年09月11日
広島、耐えて25年ぶりV 主力が次々と流出も自前の選手を育てて勝った
デイリースポーツ 9月10日 22時34分配信
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広島、耐えて25年ぶりV 主力が次々と流出も自前の選手を育てて勝った
広島から移籍した主な選手拡大写真
広島が25年ぶり7度目のリーグ優勝を果たした。現在の12球団ではもっともリーグ優勝から遠ざかっていたが、今季は黒田博樹、新井貴浩らのベテランに、丸佳浩、菊池涼介、鈴木誠也といった若い選手、ジョンソン、ヘーゲンズらの外国人選手がかみ合って、圧倒的な強さを発揮した。しかしここまでの道のりは、険しいものだった。FA制度導入以降、主力選手の流出が相次ぎ、15年連続Bクラスも経験。それでも地道に選手を育て、歓喜の瞬間を迎えた。
【写真】今宵は無礼講!黒田&新井に樽酒ぶっかけた
プロ野球にFA制度が導入されたのは93年シーズン後。98年にはポスティングシステムが導入され、選手がFA権の取得を待たずにメジャーへ移籍する道も開けた。選手にとっては大きな権利だが、資金力が乏しい広島にとっては大いなる逆風となった。
94年オフの川口和久を皮切りに、主力選手が次々と流出。99年オフの江藤智(巨人に移籍)、02年オフの金本知憲、07年オフの新井貴浩(ともに阪神に移籍)は4番打者で、07年オフの黒田博樹、15年オフの前田健太(ともにドジャースに移籍)はチームの勝ち頭。これだけ次々と投打の柱が抜けた球団は、まず見当たらない。
一方で、これまで国内のFA選手を獲得したことがない。これは12球団では広島だけだ。10年オフに横浜(現DeNA)からFA宣言した内川聖一の獲得に乗り出したが、ソフトバンクとの争奪戦に敗れている。
親会社を持たず、補強に費やせる資金は限られている。その中で主力が次々と流出し、徐々に優勝争いから遠ざかっていった。96年、「メークドラマ」で巨人に最大11・5ゲーム差を逆転されて優勝を逃すと、98年から15年連続でBクラスに沈んだ。
しかし野村謙二郎監督就任4年目の13年に3位に入り、球団史上初めてCSに進出した。ドラフトで獲得した生え抜き選手を我慢強く使って育て、チーム力は徐々に上がっていった。緒方孝市監督が指揮を執った15年シーズンから黒田、新井がチームに復帰。ベテラン、若手がかみ合う理想的なチームとなった。
FA制度が導入されて以降、多くの球団で目まぐるしく選手が入れ替わった。スタメンの大半が移籍選手というチームもあった。しかし広島は、まったく別の道を歩んできた。「耐えて勝つ」は、1975年に広島を初優勝に導いた古葉竹識監督の言葉。球団もまさに耐えて勝った。
広島は今、プロ野球でも屈指の人気球団となった。その理由は、生え抜き選手が躍動にもあるのかもしれない。
Posted at 2016/09/11 01:21:50 | |
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DIARY | 日記
2016年09月10日
鈴木商店、登記上は現存 恐慌で破綻も清算終えず
2016/8/30 07:00
「株式会社鈴木商店」と、その持ち株会社「鈴木合名会社」の登記簿写し。激動の歩みが刻まれている
神戸新聞NEXT
明治から大正にかけて神戸を拠点に急成長し、100年前に売り上げ日本一となった総合商社、鈴木商店。昭和初期の金融恐慌で破綻したが、登記上は今も会社が存在していることが分かった。経営実態は既にないものの、清算は終わっておらず、手続きをすれば復活も可能だ。「最後まで再興を目指した大番頭、金子直吉の意をくんだのだろうか」。関係者は推測するが、真相を知る人はいない。
鈴木商店は神戸港開港間もない1874(明治7)年、砂糖輸入商として神戸・弁天浜で創業した。創業者の死後、「お家さん」と呼ばれた女主人鈴木よねと番頭金子がけん引。造船や重化学工業などに進出し、絶頂期には世界40カ所に支店を置き、60社超の企業を抱えた。神戸製鋼所や帝人、双日、サッポロビールなど金子が種をまいた企業は今も多く残る。
創業時は個人商店だったが、1902(同35)年に「合名会社鈴木商店」を設立。23(大正12)年に会社の近代化を目的に、貿易部門を担う「株式会社鈴木商店」と持ち株会社の「鈴木合名会社」に分けた。株式会社社長にはよねが就き、専務の金子に経営を任せた。
しかし、昭和金融恐慌で資金繰りが悪化し、27(昭和2)年に破綻。破綻から6年後には全ての借金を返済した。その後、株式鈴木と鈴木合名の両社は解散を決議して清算手続きに入った。通常、清算の終了を意味する「結了」をもって会社はなくなるが、両社とも結了していない。
登記簿では両社の本社所在地は「神戸市栄町通参丁目」となっている。
神戸地方法務局の担当者は「小さな会社の場合、清算を終えずに放置する例は珍しくないが、鈴木商店のような大企業ではちょっと考えにくい」と指摘する。
金子は44(同19)年に77歳で死去した。鈴木商店直系の非鉄金属メーカー太陽鉱工(神戸市中央区)の顧問、金野和夫さん(77)は「お家さんに忠誠を誓っていた金子は、死の直前まで事業計画を練って再興を模索していた。関係者はそれを知っていただけに、あえて清算を終えなかったのかもしれない」と話している。
Posted at 2016/09/10 02:54:20 | |
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DIARY | ニュース
2016年09月09日
今日はLGBTのミーティングです.
最近のロサンゼルスは涼しいです.
Posted at 2016/09/09 01:44:49 | |
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DIARY | 日記