今年の初夢はこんな内容でした
( このブログを書き始めたのが1月初めでしたので ・・・ )
" 1987年 F1 世界選手権 第 1 戦 ブラジル GP ~
タイトルスポンサー が昨年までの JPS から キャメル に変わりその カラーリング がこれまでの ブラック から イエロー へと大きく変わったチーム ロータス 、 ドライバー は アイルトン ・ セナ と 初の日本人レギュラードライバーとなる 中嶋 悟
グリッド に並ぶ今年のマシン タイプ 99T
話題の注目ポイントは 1982 年のタイプ 92 以来となる アクティブサスペンション の搭載 、 更に そのエンジン は前年までのルノー V6 ターボ では無く ・・・
ホンダに続いてのエンジン供給という形による F1 GP 進出となった
トヨタ 初のF1 エンジン が搭載です "
「 年明け早々からなに寝惚けたこと言っているんだ 、 いつも
いかれた ? ことばかり言っていたけれど いよいよお迎えがきたか ! 」 と言われてしまいそうですが ・・・
チームロータス の F1 に搭載されたエンジン として思いつくのは
おそらく多くの場合 最初に挙がるのではないか と思えるのが
フォードDFV で 、 次にはターボエンジンの
ホンダ or ルノー 、 DFV登場以前の時代のほうが馴染み有る方の場合は
クライマックス なんて場合も有るかもしれませんね 。
逆に あえてマイナーなほうから選ぶのならば
ジャッド や
ランボルギーニ 等 ・・・
中には P&W の
ガスタービン や 少し前に話題が再沸騰した
いすゞ ・・・ を挙げられるなんて場合も ?
( ここでどんなエンジンがイメージされるか ? でその方のお歳が分かりそうですね 、 自分の場合も ?
やはり
フォード DFV です )
しかしそこにはまず 100 % トヨタ の名前が挙がることは無いでしょう 。
勿論実際に搭載されたことまでは無いようですのでその通りなのですけれども 、 S1 エリーゼ 発売当初からのローバーエンジンが供給終了して以降 ヨーロッパ S でのGMエンジン搭載の事例を除き現在まで ロータス車の ロードモデル は全てトヨタエンジン になっていますが 、 「 英国車なのにトヨタ のエンジン ? 」 とか 「 ロータス が日本のメーカーのエンジンを積むなら やっぱりそこは ホンダでしょう 」 というご意見も有るかもしれません 。
2004年にトヨタエンジン の エリーゼ 111R の日本導入を発表した際 当時のLCI 社長 南原氏 からは 「 トヨタエンジンを採用するロータス車が日本市場で受け入れられるかは未知数 。 売れ行きによっては今後の展開を考える 」 とも発言されていました 。
まあ歴代のロータスロードモデル が必ずしも自社製或いは英国メーカー製エンジンを搭載していたわけでは無いので そこに拘る必要はあまり無いのかもしれませんが 、日本での場合においては トヨタエンジン を搭載することでそれがユーザー側の安心感にも繋がりその後の売上を伸ばすプラス要素にも結果 なったように感じます 。
しかし自分の場合モディファイ する際のポイントの一つが
" 自分の好きな タイプ 78 ・ 79 当時に使用されていたブランド名にパーツブランド等を極力合わせる " というのが有りまして 、 自車のエンジンについても 「 これが フォード か 或いは ( 黒では有りませんでしたが ) ホンダ だったらな ~ 」 なんて思うことも有りました 。
( 2ZZでもコスワース のピストン等ならアフターで組むことは出来ますし ホンダ の場合でもVTECへのエンジンスワップ という事例も有りますが いずれも費用が相当かかりますからあまり現実的では有りませんので )
ところが当時の状況次第では こうした87年シーズンあたりに トヨタエンジン搭載でチームロータス F1参戦 なんていうシーン が実際に見られたかもしれません 。
もし そうなっていたら現在のトヨタエンジン が載る ロータス車に対する私達のイメージ も多少違ったものになっていたかもしれませんね 。
実際に存在した チームロータス向けTOYOTA F1エンジン
年明けにたまたまトヨタ F1 の Wiki を見ていまして
" F1に関しては何度かエンジン供給の話が噂に上がっては幻となっていた 。
1980年代に ロータス と技術提携した際
チーム・ロータス へ供給するターボエンジンを試作したことがあったがチームの体制変動により計画は立ち消えとなった
"
という記述に
初めて気づき 「 えっ ~ そんな話知らないな 本当なのかな ? 」 と思える内容でしたが 、 チームロータス に関することですので個人的に非常に気になる内容でも有りました 。
この出典先として
赤井邦彦氏の " F1 トヨタ の挑戦 " という書籍 ( P 48 ) が紹介されていたので 実際に本を読んでみるとトヨタ関係者の証言も有ってどうやら試作されたことは間違い無さそうなもののどんなエンジンだったのかについてはあまりはっきりした内容は書かれていません 。
当時からはかなり時間が経っていることも有り関係者の記憶もやや曖昧なようで計画が立ち消えた理由もチャップマン の死や F1 で ホンダエンジン が勝ち始めていたことが挙げられていて 、 自分も読んだ際に感じたことでしたがこの2 つは時期的な差がそれなりに有り それを指摘するネットのコメントも見られ資料としての正確性にはやや不十分な印象が強いものでした 。
しかしこの件について みん友さんから 「 このエンジンについては
" レーシング オン 471 号 2014年 7 月号 " に詳しく書かれている 」 との情報をもらい入手してみますと 、 1.5 L ターボ F1時代の特集記事の中で自分としては非常に驚いてしまうような内容が書かれていました 。
又 今回読み調べていく中で このトヨタエンジンについては以前にも
レーシングオン 2009年 4 月号 で 小倉 茂徳 さんが取り上げられていて 主に 2009年記事ではチームロータス側への取材内容が 、 2014 年記事 ( こちらのライターは大串 信 さん ) では トヨタ 側が公表した内容についてが書かれていて 、 ライターさんが異なる為も有るのか片側の記事にしか書かれていないことが有ったり それぞれの内容に多少食い違いが感じられるような部分も有ったりと この F1用エンジンについて知りたい場合には両方をセット にして読まれたほうが良いようにも感じる形になっています 。
2009年の記事はこちらの
アーカイブス vol 04 " レーシングエンジン " にも収録されていますし併せて掲載されている
いすゞ スバル HKS 等の 幻の F1 エンジン についての記事も読んでいただくと お好きな方にはおもしろい と感じられる内容かと思います 。
もしかすると自分同様初耳の方もいらっしゃるかもしれませんので 両誌の記事から引用させてもらいながら自分の感じるところもご紹介させていただこうと思いますのでご興味有る皆さん お付き合い下さい 。
知られているように1980年代初めには ロータス とトヨタ の関係が非常に親密になった時期が有りました 。 トヨタ 側はチャップマンの死後 ロータスカーズ の経営が深刻化していく中で支援の為株式を保有 ( 最終的に 16.5% 、 21 % と書かれている資料も有り ) トヨタ側からの自動車部品供給 GFRP の製法パテント購入 ( VARI ) 等を行っています 。
後年でもそのエンジンの存在は箝口令扱い ・・・ 2009 年 小倉さんの記事より
小倉さんがこのエンジンについて知ったのは 1999 年のこと
仏人ジャーナリスト J ・ クロンバック から 「 以前ロータスで
" TOYOTA " のロゴが入ったエンジンを見た 、 興味は有るか 」 との連絡が有り 2 人でリサーチを開始 。
( このクロンバック というジャーナリストは日本とロータスとの関係を非常に深めた人物でも有り 、 第一回 日本GPにピーター ・ ウォー が参加したのも FIAを通じて " 欧州からのドライバーを招待したい " というJAFの意向を受けて クロンバック が ウォー に声をかけたからです 。 クロンバック の仲介により後にホンダ の第一期チーム監督となる 中村 良夫 氏がロータスを含む英国F1 コンストラクター を訪問 。 それが縁ともなったのかその後 チャップマン自身も一度来日しチームロータス向けエンジン開発交渉の為 ホンダ を訪問しています 。
又 タイプ 88 発表時のプレス向けチームリリース も作成しておりその和訳文が F1 モデリング 誌 vol.11 P73 に掲載されています 。 チームロータスの関係者では無かった筈ですがそんな関係からこうした極秘情報も持っていたんでしょうね )
クロンバック が伝えてきた情報によれば エンジンの概要は
V6 ツインターボ に軸流式 SC を備えたもの
だそうで 、 これについて小倉氏が ロータスエンジニアリング に問い合わせてみたところ
「 そのエンジンの存在は確認出来ない 。 仮に存在したとしても共同開発ならばクライアント ( つまりは トヨタ ? ) の許可が無ければこちらから公表することは一切無い 」
という回答 。 そこで今度は当時所属していたエンジニア ピーター ・ ライト ( タイプ 78 ・ 79 等の空力デザイン も担当 ) に聞いてみると最初は 「 自分は別のプロジェクト を担当していたので 有ったとは思うがよくは知らない 」 と言われるも 、 クロンバックから聞いた内容を伝えると 「 そこまで知っているのなら ・・・ 」 という形で重い口を開いてくれたとのこと 。
ライト によれば
" エンジンの仕様は 1.5 L の V6 ツインターボ 、 ターボには可変ベーン を備えて ターボラグ を抑え 、 ターボで過給された後軸流式SC で更に過給圧を高める " という仕組みだったそうです 。
ロータス側の開発トップ はロータスエンジニアリング のトニー ・ ラッド ( こちらも タイプ 78 ・ 79 等の開発にも参加 ) で ラッド の下 過給システムを担当したのは ジェフリー ・ ワイルド 。
99 年時に取材出来たのはここまでだったそうですが 小倉さんは 2004年に P ・ ウォー に会った際このエンジンのことを質問されています 。 ウォー 氏のコメントでは
「 我々は エンジンを 6 基製作しトヨタからの要求は750馬力 、 日本からトヨタのエンジニアも来ていた 」
この 6 基が製作されたという件については P ・ ライト も証言していて、 燃料噴射は直噴式 900 ~ 1.000 馬力は発生した筈だ とも語っていた とのこと 。
又 ウォー氏の記憶によれば 「 750馬力に達したことを伝えると トヨタは 6 基全てを日本に持って帰った 。 その後このエンジンについて 見聞きしたことは無い 」 そうで 、 この話をそのまま信じるならば1982 年以降のどこかでエンジン は全て日本に送られたことに 。
当時の状況としては 82 年 12 月 16 日 にチャップマン が亡くなり 、 この年は工販合併により現在の形の トヨタ自動車が誕生した年でも有ります 。
86 年半ばにトヨタ は所有する ロータス株を GM へ売却し提携関係が終了 、 直後の 7 月26 日に チームロータス から 87年シーズンは ホンダターボ エンジン を搭載することが発表されていますが 、 10 月 3 日 には FISA で F1 のターボエンジン は88 年までとすることが決定されています 。
小倉さんは偶然このエンジンかもしれない写真を見たことが有るそうです 。
2008 年 12 月ある学会での ロータスエンジニアリング による 2013 年以降の新 F1エンジン 規定に対するプレゼン資料に V6 ツインターボ + 軸流式 SC ! ながらメーカー名が入っていると思われるカムカバーは見えないように隠されているアングル の写真 ・・・ が使用されていたとのこと 。
これについてロータス側に質問してみたところ 「 当社が過去に製造したエンジンでは有るが当時の経緯は不明で 今回は写真を使っただけ 、 現物が存在するかも知らない 」 との返答 だったそうです 。
99 年 1 月に 当時の奥田社長から
" トヨタ F1 参戦 " が発表されますが 、 参戦への決断にはこうした 80 年代の経緯も踏まえてのことも有っただろう ・・・ という形で記事は終わっています 。
トヨタ 側から見た事情 ・・・ 2014 年 大串 氏の記事より
後に書かれた大串 氏の記事を読むと 小倉氏が取材で入手された内容と幾つか異なる と思える部分も有るように感じます 。
( 当初こちらからブログを書き始めていたので一部内容や表現におかしく感じられる部分が有るかもしれませんが 御容赦を ・・・ )
両社の提携によりトヨタ との関係が親密化していく中で交渉の為に チャップマン も来日し帰国後は 以前ホンダ を訪れた際もそうだった そうですが ヘイゼル婦人や ウォー 氏に 「 日本の量産技術がいかに優れていて素晴らしいか 」 を夢中になって語っていたそうです 。 トヨタ と ロータスカーズでは チャップマン自身がCMにも出演した 81 年発売のセリカXX を筆頭に幾つかの共同プロジェクト を進めていて 、 こうしたコラボレーション は チャップマン と 豊田 英二氏が意気投合したことから始まったものだった とのこと 。
余談になりますが もし 後にロータスを買収することになったのが NUMMI 等でトヨタと提携していた GM で無ければこの時 トヨタ が他社と競合になったとしても ロータス買収を決断する可能性も十分有ったのではないかとも思えるのですが ・・・
残念ながら現在の状況下ではまず有り得ないことですね 。
以前トヨタ本社の中堅デザイナーの方 ( デビュー時の 86 の純正ホイールデザイン をされています ) から 「 若手や中堅クラスの社員からは ロータス を トヨタ が買収しては 、 との声も有る 」 と教えていただいたことが有ります 。
しかし現時点ではロータス側の負債が多過ぎて役員会 を通らないでしょうし 、 そんなことをすれば株主総会でも非難轟々 ? でしょうから 。。。
トヨタ と ロータスカーズ との共同プロジェクト は
L1 から連番がつけられていて 乗用車用のV6 エンジン試作や セリカ XX以外のモデルの サスセッティング 等も有ったそうで 、 この連番の最後となる
" Lotus - 9 " が F1 用エンジン の試作プロジェクト になり 終了後も長らくその内容が公にされることは無かったそうです 。
L9 計画は豊田 英二氏 直轄のものになりトヨタ社内でも極秘扱いになっていて
開発を担当したのは後にTMG で トヨタ F1 チーム を率いることにもなる
冨田 務 氏
L9 の 開発スタート はまだチャップマン が存命で有った 1982 年初め で
この当時の F1 エンジン の状況としては
ルノー V6 ターボ が約 600 馬力 、 コスワース DFV が約 510 馬力程 。
一方 L9 によってロータス側が実現しようとしたスペック は驚くべきレベルで 構想時のエンジン出力は
750 馬力 !
エンジン本体は この当時の規則に合わせた他と同じ 1.5 L V6 エンジン ですが 、 750馬力を実現させる為の過給方法は
遠心式圧縮機 に 軸流式圧縮機を加えた 2 段式 。
併せて 燃料は
直噴式 という自動車用エンジンとしては非常に常識外れ ・・・ とも言える内容になっていました 。
Lotus - 9 とはどういうエンジン だったのか
L9 のエンジン仕様に関する提案は チームロータス側から行われ
その中心となったエンジニア は
トニー ・ ラッド
元々は WWⅡ時にはロールスロイス に在籍し スピットファイア 等でも知られるマーリンエンジン の開発にも参加 。
その後 F1 に移りBRMでこれも特徴的な構造の H型16気筒エンジンの開発を手がけ 、 69年に チーム ロータス へ加入し タイプ 78 開発時にもキーマンの一人として参加しています 。
ラッド が構想したものはライバルより遥かに高い過給圧をかけることにより他を圧倒する馬力を得ること 。 その為 8000 から 10000 回転程度までを遠心式圧縮機で過給し その後軸流式圧縮機によって更に過給圧を高める というものだったそうです 。
2段過給については ターボ + SC により異なる過給機を直列に繋ぐ方式が グループB時代のWRC での ランチア デルタ S4 や市販車でもマーチ スーパーターボ 等で見られますが これらはターボ の低回転時のデメリット を SC で補う という ものになる為 ラッド が目指したものとは目的が異なるようですね 。
特性の異なる過給機を組み合わせた多段過給の考え方は空気の薄い高高度での性能が必要とされる航空機用レシプロエンジン で既にWWⅡ時等から見られたもので 、 松本零士 氏の戦場まんがシリーズでも多段過給エンジンの描写が有ったような気がします 。
こうした発想は航空機エンジンも手がけた ラッド らしいとも言えると思いますが 、 自動車用エンジン エンジニア からは出てこない考え 同時に やはりレース専用エンジン とは言え自動車に応用するのは内容的に多くの点で無理が有った ・・・ というところかもしれません 。
通常自動車用に使われる圧縮機 で軸流式の採用はかなり珍しい例になるかと思えますけれども
現在のF1 エンジン の場合だと ホンダ だけがコンプレッサー側に採用しています 。
L9 の軸流式SCも
" ジェットエンジン の前半部分を小型化したようなもの " とされていますので似たような形状だったのでしょうね 。
ただこうしたあまりにも従来の自動車用エンジンからかけ離れた内容に対し トヨタ側は将来F1への実戦参加の可能性は有ったにしても
L9 はあくまで実験 レベルと捉えており 、 対する チーム ロータス側はこのエンジンを早く実戦投入しそのハイパワーによって タイプ 78 ・ 79 時のようなライバルチーム を圧倒するアドバンテージ を得たい ・・・
こうした認識のズレ が両社の間には存在したようです 。
( この時の トヨタ 側にしてみれば
あくまで 実験 で有って 、 後の いすゞ製 V12 と同じレベルの位置づけだったようですね )
軸流式圧縮機については当時の英国軍ヘリ用のガスタービンエンジンを参考にしたロータス側の内部設計によるもの 。 小倉氏の記事に有る ジェフリー ・ ワイルド の名前はこちらには出てきませんが 、 ジェフリー ・ ワイルド もラッド同様 ロールスロイス から BRM に移籍していて この計画に参加したのも ラッド が声をかけたことによります 。
高回転に対応するCDI を使った点火システムは ロータス側では用意出来なかった為 日本電装 が開発を担当 。
遠心式圧縮機についてはロータス側がターボメーカーと交渉するも特殊なサイズなことも有って纏まらず トヨタ が内製することになったそうです 。 この点はほぼ同時期に開発されていたことになる WRC でのグループ B セリカ ・ ツインカムターボ のターボエンジン開発ノウハウ も活用されたとのこと 。
難航する開発 もう一つの課題 直噴化
高圧縮に対するノッキング対策ととして考慮されたガソリン直噴化でしたがこちらも開発が難航します 。 この当時トヨタ側でも量産エンジン向けの基礎研究は行われていたそうですがまだ初歩段階レベルでレーシングエンジンへの応用は無理 、 ロータス側は直噴の燃料制御をピエゾスタック ( PZT ) というアクチュエータ で考えていたそうですが現在は量産エンジンにも普及しているものの この当時は軍事技術に関わるような扱いの物だったとのこと 。
それでも 82 年 12 月には試作された単気筒エンジン が回り始めたそうです ( チャップマン の死が 82 年 12 月 16 日 )
そして83 年秋にようやく V6 エンジン の形になりますが ( 計画の3ヶ月遅れ ) 直噴エンジン による燃焼の問題の為にトラブルが多発 、 パワー や耐久性を見る以前のレベルだったようです 。
その後 85 年秋にトヨタ東富士研究所内にてチーム ロータス関係者を招いてのベンチテスト が行われたそうですが 、 この時の仕様は 直噴では無く通常のポート噴射に 2段過給も通常のターボのみになっていたとのこと 。
冨田氏によれば 「 高回転まで澄んだ見事な音色で回った 」 そうで 700馬力を発揮したとのことですが 、 既にこの時 F1 では厳しい燃費規制の時代に入りかけていて ラッド が狙った 「 とにかく高過給でハイパワー を得る 」 というコンセプト は時代に合わなくなりつつ有りました 。
開発にあたってはあまりに困難で膨大な作業に冨田氏も音を上げたくなったそうですが 、 こうした直噴や 高過給 技術 ( 高圧コモンレール と ピエゾ制御 ) の開発時の苦労も 、 現在の高効率自動車用エンジン において不可欠なものとして活きているそうですので なにごとも万事塞翁が馬とも言えるのか ?
しかし F1 でのターボエンジン に対する規制の強化や ロータスエンジニアリング を含む グループロータス を GM が買収することによりトヨタ との提携が終了する形になったことも有り 、 この 85 年秋のベンチテスト が事実上の L9 プロジェクト 終了になったようです 。
2014 年の記事ではおそらく トヨタ側から公開されたと思われる L9 エンジン の写真が 1 枚掲載されていて エンジン自体は大変コンパクトに作られていたそうですが 、 自分も感じた点ですけれども エンジン上部に SC ユニット が有り重心が高いように思われ 大串さんが 冨田氏に質問したところ当然把握されていて 「 このままではレーシングエンジンとしては使いものにならず もし二次試作の機会が有れば給排気位置を逆にした 」 と答えられています 。
冒頭の自分の初夢はこの記事を読んだことでの ( さすがに SC を併用した2段過給は使用されなくなっていたかと思いますが ・・・ ) 86 年に実戦用に再設計された V6 ターボエンジン で 87 年 シーズン F1 GP へ トヨタ がついにデビュー する ・・・
という妄想 ? からのものでした 。
それでも残る謎 ~ 全貌はいまだ明らかになってはいない ?
今回 レーシングオン の両記事を読み チームロータス向けのトヨタ初の F1 エンジンについてそれまで未公開だった多くの部分が技術的な内容まで紹介されていて大変興味深く感じました 。
しかし 両記事の内容を比較してみると エンジンが発生した出力と仕様の表現にはかなり差が見られる 、 又 トヨタ 側が引き揚げたと ロータス側関係者が証言する 6 基のエンジン について 何故 冨田氏は全くふれていないのか ?
ロータス側も参加した と冨田氏が言う 85 年秋のベンチテスト 時点では ターボ + SC のシステム はまだ完成していない にもかかわらず なぜ P98 に掲載されている開発着手時に計画されていた本来の仕様のエンジンの写真が存在するのか ?
この写真こそ 小倉氏が 2008 年に学会において見たものではないのか ?
・・・ 等 いろいろ疑問に感じる部分も残りました 。
技術レベル的に非常に困難な点が多かったことも有りトヨタ側が公開した内容のほうがどちらかと言えばより信憑性が高いようにも感じますけれども 、 他にも時期的なものや仕様面にもやや食い違いが感じられる部分にはチームロータス関係者が小倉氏に話した内容には事実では無かったものが多かったのか ? 或いは 冨田氏がかなり控え目な内容部分しか答えていなかったのか ・・・
両記事を同じ人物が もしくは共同で書いていればこうした点ももう少しクリア になっていたかもしれませんね 。
しかし 仮に ロータスの買収相手がGM では無く ロータス とトヨタ の関係が継続して 或いはより親密になっていたとしても Lotus Toyota 誕生は難しかったかもしれません 。
85 年終盤からは ホンダ V6 ターボ が連勝し始め 後にセナは 「 ホンダエンジン で戦いたい 」とホンダ側に直談判に出向いたとも聞きますので 仮に実戦型の TOYOTA V6 ターボ が完成したとしてもレースでの実力は未知数ですから当然 反対しそうです 。 実際 ウォー 氏のコメントでも 86 年にセナから 「 ホンダエンジン が欲しい 」 言われ 「 ルノーとの契約が残っているから駄目だ 」 「 ならもう ロータスでは走らない ! 」 という 遣り取りが有って 、 セナ を繋ぎとめる為に ルノー側に違約金を支払う破目になっています 。
実際
Lotus Toyota は 実現しなかった ・・・
実走行可能なエンジンが完成したのかも怪しいレベル で有り 、 こちらも最初から試作のみが目的だったとは言え 一度はテストラン も行った
" いすゞ V12 " にも及ばない形では有りますけれども トヨタエンジン が搭載された ロータス 車に乗った一人として 幻に終わってしまったこの
L9 プロジェクト により造られたエンジンが 当初の構想通りのような
トンデモ 仕様では無かったとしても
是非 ! 実現して欲しかった !! ・・・・
と どうしても感じてしまう
" if " の出来事でした 。