
時間と宿がとれたので、悪友トス坊と、その昔のアン・ノン族よろしく「萩・津和野」に行って来た。
今回は安心なのとトス坊と交代で運転するということで、メガーヌで行きました。

朝6時半に大阪・吹田より中国道で西に向かいました。
平日毎日のように宝塚ICあたりで渋滞しますから、早起きさんでした。
二人で半々くらいで運転し、一気に津和野に着きました。
いやいや、おっさん2人で「萩・津和野」とは、気恥ずかしいもんです。
その昔、ファッション誌アンアン、ノンノに紹介され一躍ブレイクした
若い女の子向けの観光スポットなんでね。
でも、当時はそんなことに反発してか、ヘンコおっさんたちは、
その頃より「萩・津和野」には行ったことがなかった。
それに、40年も昔のブレイクだから、逆に今鄙びていたらそれもよしと
思い立った次第です。

津和野駅前。
なるほど!ひっそりしています。観光客らしき人はゼロ!まして若い娘なんておりゃせん。
それはそれで、チト淋しい。なんでおっさんとおるんやろ?
あぁ、つわの駅の看板って、こんな事してます。
で、古き街並みへ繰り出した。

まぁ、全国各地のこういう観光地でやっている手法ですが、鯉!デカイね。
で、おっさんたちは食べ物も若い娘同様興味津々。
事前調査で「うずめめし」なるものはどんなんや!と探していたらありました!すぐに。
う~~~ん、まぁこんなもんやろって味です。悪くはないよ。でもまぁこんなもんやろな。
要は、初め具を飯の下に埋めてあるだけのだし茶漬けめし。
森鴎外が10歳あたりまで過ごしたらしい。

そんな街でもあります。
森鴎外は、「雁」「阿部一族」「高瀬舟」などで有名ですが、
彼の家系は代々藩医をつとめており
鴎外も東京大学医学部を卒業し、陸軍軍医でもあったのです。
医学博士という側面もあるという、手塚治虫みたいな人なんです。
ここらへんは、悪友トス坊が熟知しており伝授されました。
彼は、国文学専攻で大学院まで進んで高校の国語教師を務めておりますので。
まぁいい。
んで、町中を散策。
教会がありました。

夜はライトアップです。
どうも、地方は隠れキリシタンの話がよくあります。
この地にも、拷問を受けた殉教者の話が語り継がれていました。
乙女峠にマリア聖堂があり、日本で唯一マリア様が降臨されたとか。
街の外れの、湯川というところが好きになりました。
観光地というより、日常生活を営んでいる旧屋敷が並んでいます。
水郷が屋敷前を流れており、静かできれいです。
翌日も晴天、
萩に向かいました。で、いきなり「松下村塾」からです。

吉田松陰と言えば、幕末の過激な進歩的思想家で有名です。
長州藩の過激門下生を多数生み出した彼は、天才だったのでしょう。
10歳そこそこで藩の大老に、講義を披露し感心させたと聞きます。
でも、後に松代藩思想家「佐久間象山」に学んだことが大きかったようです。
こんな小さな塾で、木戸孝允、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋らを教育した。
そうそう、黒船で密航しようとするも失敗して返されたあと、自首したというから恐れ入る。
とにかくすごい人物です。てか、歴史で学びましたね。流行ったし。
萩駅です。
ここは萩市中心から離れていて、とても静かな佇まいでした。イイじゃん!
アン・ノン時代はここも娘たちにキャー!ステキィ~とか言われたんだろーな。
今は、暑くてばぁさんすら居ませんでした。
Posted at 2012/08/05 23:05:13 | |
トラックバック(0) |
ドライブ | 旅行/地域