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螢一のブログ一覧

2024年05月09日 イイね!

24万キロ達成

24万キロ達成通勤中に走行距離が240,000キロに。

ここまで、ドライブシャフトの交換や排熱回収機の交換といったウィークポイントの交換(すべて中古保証で対応)こそあったものの、その他目立った不具合もなく。

30プリウスでは20万キロ超で交換したハイブリッドバッテリーも、リチウムイオンになったこともあってか、特に劣化を感じずです。

プリウスの経済性と耐久性は、素晴らしいですね。
Posted at 2024/05/10 20:53:07 | コメント(0) | 日記
2019年12月30日 イイね!

マークXの生産終了を考える2

マークXの生産終了を考える2昨日、マークXの生産終了について、

(1)ミニバンの台頭によるセダンの退潮
(2)クルマが贅沢品から実用品に替わった
(3)贅沢装備の大衆化
(4)自動車性能の底上げ

の4点から、がんばってマークⅡを求めなくても、「広くて」「快適で」「充分な性能」を持つクルマが手に入るようになった。これが、マークⅡやマークXが求められなくなってきた理由にあるとしました。

でも、クルマには所有することには夢があります。クルマが贅沢品だった高度成長期から、特に地方では一人一台が珍しくなくなった現在、単に所有することが夢では無くなっても、新しいクルマは新しい未来を築いてくれる夢は今もあります。
カメラとかもそうですかね、コモディティ化が進んだ家電とは大きく違うところです。

次は、マークⅡやマークX自体の変化から、生産終了への道のりを追っていきたいと思います。番号は前回からの通し番号です。

(5)進む方向が変わった
マークⅡはハイソカーブームに乗って、6代目の80系マークⅡで絶頂期を迎えます。ハイソカーとして象徴的なのは5代目70系だと思いますが、販売台数はバブル期の80系が最高で、高級化路線もピークに達したといっていいでしょう。

次の90系は1992年、バブル崩壊後に登場しますが、開発はバブルの最中。でも、クルマの方向性は大きく変わりました。
税制改正で3ナンバーの敷居が下がり、マークⅡも全幅を5センチ広げ、3ナンバーになりました。5ナンバーの呪縛から解放されたことで、デザインも伸びやかになり、シャシーは新造され、走りの水準を上げながら、軽量化も実施。安全性、燃費といった現在のクルマに求められる内容が具備されてきました。

それでいて、お値段はバブル崩壊もあって据え置き。売れ線の2000CCグランデは200万円台前半のままでしたから、むしろお得度は増したわけです。

90系マークⅡのCMで名監督が「名前以外はすべてが違う」といったのは、その方向性も変わったことも言いたかったんでしょうね。内装は良く言えばシンプル、悪く言うと安っぽくなってしまいました。次の100系では、90系を基本に、安全性の向上、先祖返りが見られるフロントマスクを中心に、高級感のアップが図られました。写真は、100系のインパネで、私が以前乗っていたチェイサーですが、マークⅡと違いはありません。100系になっても販売台数の下降。

2000年に出た110系ではまた大きな方向転換がありました。シャシーを世代交代させ、スタイリッシュなハードトップから屋根を高くしたセダンに変え、居住性の良さを打ち出したのです。しかも、兄弟車のチェイサーとクレスタは終了させ、マークⅡのみを残しました。

前年に出た170系クラウンが同様なモデルチェンジを果たしながら、なるべく印象が変わらないようにしていたのに比べると対照的なモデルチェンジでした。テールランプは伝統の横長から、メルセデスをイメージさせる両端が離れたものに。セルシオもそうでしたが、出たときはこれがマークⅡなのかと思ったものです。

この110系が売れていれば、マークⅡは継続していたかもしれませんが、販売台数の下降線は是正できず、次のマークXでは心機一転、さらなるスポーティー路線にかじを切ります。

トヨタはセダンの存在意義を「走り」に見出したんですね。マークXはゼロクラウンに採用された新世代シャシーに新しいエンジンは2500CC以上に、それでいてスターティングプライスは200万円台前半と意欲的なものでした。

トヨタはユーザー層の若返りも図り、スポーツを前面に出したんでしょうが、一般道を運転するにはどの車も充分な運動性能を持つようになった今、そこに夢を求める人が少なかったんでしょうね。

(6)ライバルの変化
マークⅡのライバルといえば、古くはスカイライン、ローレル、3ナンバー化してからはディアマンテなども加わりましたが、国産の同クラスが競合相手でした。

しかし、バブル崩壊後、円高もあって輸入車もライバルとなってきます。さらに国産車の価格上昇による価格接近、欧州車の信頼性も向上により、輸入車購入の敷居が下がってきました。

こうなると、高級のブランドイメージがある欧州ブランドと競合することになります。高速道路を走っていると輸入車が増えましたし、身近なところでも輸入車を見かけることが珍しくありません。

かつてマークⅡを購入していた層が輸入車に流れ、購入者が減少したことが考えられます。

実は、はじめは、マークⅡが「もし」こんなモデルチェンジをしていたら、存続できたかもしれないということを書こうと思っていましたが、難しいことを理解しました。

100系で絶頂期への先祖がえりを試みたが販売台数は好転せず、110系で新しいパッケージングを提案したがやっぱり好転せず、名前も替えてセダンならではのスポーツを提案して2台がんばっても販売台数は減る一方。マーケティングのプロが検討しつくして出したクルマが売れないのに、私がより良い策を考えられるわけがありませんね。

マークXは2代目を10年間にわたり生産し、途中衝突安全ブレーキも導入して、このクルマを買いたい人に応えたともいえます。

何はともあれ、お疲れさまでしたと言いたいです。
自分も、親の乗っていた60系や70系、教習車や職場で世話になった80系、兄弟車ながら所有していた100系で51年の歴史の一部を共有することができたことをありがたく思います。
Posted at 2019/12/30 14:16:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2019年12月29日 イイね!

マークXの生産終了を考える1

マークXの生産終了を考える1マークXが今年の12月23日で生産終了になった際、元町工場で開かれた生産終了セレモニーは、その様子がニュースになるなど話題になりました。
時の人気車が生産終了になることは珍しいことではありませんが、ニュースになるのはマークXとその前身のマークⅡが偉大なクルマだった証でしょう。

タイトル画像につけたのは、8代目の100系と呼ばれるマークⅡの兄弟車だったチェイサーで自分がかつて乗っていたものの写真です。背高のクルマが増えた今見ると、全長の割に共住空間となるキャビンは狭く見えます。これを、伸びやかでかっこいい形と見るか、大きいわりに狭くて無駄が多いと見えるかは、人それぞれだと思います。

マークXはスポーティーな大人のセダンとして売られてきましたが、もともとマークⅡはスポーティーよりもラグジュアリーを前に出したクルマでした。初代はコロナの上級車種として登場、途中ハードトップが追加になり、4代目以降はよりスタイリッシュなハードトップが主流となります。1980年代以降のハイソカーブームで日本中にあふれ、私が子供だった80年代から90年代にかけては、近所でも道路でもお店の駐車場でもたくさん見かけました。自分の父も70系と呼ばれる5代目のマークⅡのハードトップに乗っていました。

昭和63年に6代目が発売となり、その販売台数は頂点となります。当時はまだメインが5ナンバーだったとはいえ、全長が4.7mもあるクルマが月に2万台以上、そこにチェイサーやクレスタといった兄弟車も加えると3万台以上売れたときもあったんですから、すごかったんですね。

そんな大人気だったクルマが四半世紀を経て、生産中止に至ったことについて考えてみたいと思います。

(1)ミニバンの台頭によるセダンの退潮
ミニバンが本格的に普及しだしたのは、1994年に出た初代オデッセイ以降だと思います。当時はまだミニバンの後席ドアはヒンジドアが主流でしたが、背が高いクルマは広くて快適ということが認知されました。90年代後半になるとコンパクトなミニバンが充実し、マークⅡより小柄なラウムやスパシオ、もっといえばキューブやデミオでも大人4人が快適に乗れることが分かりました。
人間、一度いいものを知ってしまうとなかなかそれをやめられないものですが、車内の広さもそうでしょう。
軽自動車はワゴンRが高さに広さを求めて大ヒットしましたが、その後タントがもっと広いを開拓し、今ではスーパーハイトが主流になっています。

(2)クルマが贅沢品から実用品に替わった
乗用車が普及しだした頃はクルマは贅沢品でした。そして、昭和の時代は高度成長とともに上級志向がありましたから、次に替えるときはもっと上級なクルマが欲しいという志向がありました。
その最たるものが1983年に登場した7代目クラウンのCMで打たれた「いつかはクラウン」だと思います。当時のクラウンは、法人ユースがメインのセンチュリーなどの例外を除けば、国産車の最高級車でした。
マークⅡとその兄弟は、クラウンの次の位置づけでしたが、当時のカタログやCMには「高級車」の文言が多用されていることからも、その思いが窺い知れます。
しかし、クルマが一般的なものになり、特に田舎では一人一台が普通になった今、クルマは贅沢品ではなくなりました。
となると、上級志向も消え、自分が求める用が足せればいいので、必要以上の贅沢なもの→高級車は求められなくなったわけです。

(3)贅沢装備の大衆化
昭和の時代はもっと上級なクルマを求めたと書きましたが、当時は簡単に言うと大きなクルマほど装備が充実していました。パワーステアリングやパワーウィンドウといった快適装備は、上級なクルマから採用され、しかも世代交代ごとによりよくなっていきますから、みんなそれにあこがれたわけです。特にパワステは、有ると無いのとでは快適性に大きな差が出ます。
しかし、今や懐かしい響きの「フル装備」…エアコン、パワステ、パワーウィンドウは当たり前になりました。軽乗用車でも無いのを探すのが難しいほどです。そして、法整備もあってクラスを問わない安全装備の充実により高剛性ボディーやエアバック、ABS、横滑り防止装置といった装備が軽や小型車にももたらされました。
今でも高級車のみに用意される装備はありますが、一通りの便利装備は小型車にも用意されるようになり、そういった点でも高級車を求める意味がなくなりました。

(4)自動車性能の底上げ
昔といっても25年ほど前の軽自動車は、特にターボなしのAT車ですと高速道路でスピードを維持することがつらいものでした。当時の軽は3ATが普通。上り坂に入って加速したくても、ステップが離れていますので一段下の2速に落とすことができません(オーバーレブになってしまう)。
1500CCクラスの小型車も30年以上前は3速ATが珍しくありませんでした。エンジン性能の余力から、軽のように坂で減速はしないまでも、エンジンの唸る音が常に入ってきたわけです。
マークⅡクラスは80年代前半には4速ATが採用されており、高速道路でも唸るエンジン音が響き続けることはありませんでした。
今は、軽やコンパクトカーはCVTが多く、CVTですと常に最適なギヤ比を設定できますから、加速したいときは高回転でパワーを稼ぎ、定速走行では低回転で静かに走ることができます。

以上4点をまとめると、がんばってマークⅡを求めなくても、「広くて」「快適で」「充分な性能」を持つクルマが手に入る。じゃあそれでいいよね。
これが、マークⅡやマークXが求められなくなってきた理由にあると思います。

・・・と長々書いてきて自分が云うのもなんですが、実はほかにも理由はあると思います。次回はそれを検証したいと思います。
Posted at 2019/12/29 22:33:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2019年12月26日 イイね!

食わず嫌いはもったいない

食わず嫌いはもったいない出たときは、歌舞伎顔を受け付けず、30プリウスの方がいい!と思っていましたが、乗り換えるとやっぱり新型は良くなっていました。

好き嫌いが分かれる顔つきのおかげ(?)か中古価格も順調にこなれて、ディーラー保証付きで100万円台前半になったところを購入。スティールブロンドメタリック色もこの好みが分かれるためお手頃価格の要因だったようですが、気に入っています。
30プリウスからの乗り換えですと、外観はずいぶん違うのに、すぐに運転に慣れるのが不思議。静かで好燃費、トヨタが力を入れて作っただけに、ちょっと力みすぎた感はありますが、食わず嫌いはもったいない、いいクルマ、なんじゃないでしょうか。
Posted at 2019/12/26 22:35:29 | コメント(0) | クルマレビュー
2019年09月29日 イイね!

軽自動車の進化3

軽自動車の進化3母親が初代アルトの後期型のデジパネ付きモデルに乗っていたことを書いた。このアルト、デジパネ付きながらエアコンはオプションで当初はついておらず、知り合いのモータースで付けてもらっている。いくらかは知らないが、当時でもエアコンは10万円前後はしたんじゃないだろうか。

自分がクルマを運転するようになったのは平成12年ごろで、既に昭和の軽は少なかった。地方の大学だったので、学年が進むとクルマを持つようになり、自分も大学3年の時に母のおさがりのPE82スターレットに乗り始めたのだが、それは平成6年式。周りも親のおさがりか、中古車に乗っているのが多かったが、当時は今ほどクルマの寿命は長くなく、昭和の550CCの軽はほとんど見かけなかった。

平成14年に勤め始めてから、勤務先のクルマを運転するようになったが、その時点で一番旧い軽が写真の平成5年式のミラ(L200系後期)だった。

このクルマがなかなかスパルタンで、エアコンとAMラジオこそついているものの、マニュアルでパワステもない。ビニールシートに手巻きの窓、昭和の時代を知っている人からすれば当たり前と言われそうだが、若年者は特にMTとオモステを忌避して使わないクルマだった。

それでも、660CCで12インチのラジアルタイヤも装着、初代アルトよりは当然よくなっていると思われる。インパネも90年代を思わせるオーバルを多用したもので、自分の初めての愛車、EP82スターレットに通じるところがある。

このクルマを運転しての印象は、パワステとATに慣れていると、駐車場などで半クラッチが下手でもたもたしてクルマが止まりそうになると、ハンドルが重くなってつらいこともあったが、慣れればどうってことはなかった。MTはシフトがうまくできるようになると軽量ボディーで山道も結構元気に走れる。ただ、路面が濡れた下りのカーブで一度強いアンダーステアが出て、あわや曲がり切れないかと肝を冷やしたことがあったが…(若気の至りです)

長々書いたが、興味を持ったのがその価格。4シーターで一番ベーシックなAグレードの価格は、55万5千円なのである。
平成初めの規格改正でボディーも10センチ大きくなり、安全性向上のためサイドインパクトビームも採用、先述の12インチラジアルタイヤや電動のウォッシャー(笑)、巻取り式のシートベルトなども装備しており、初代アルト47万円より、コスパが高くないか?

さらに、ご存じの方も多いかもしれないが、税金の関係で軽のボンバンはモデルチェンジが続いても55万5千円のモデルが継続して用意され、なんと平成10年秋の新規格になった後も用意されていた。

ミラだとL250系の初期まで、平成14年式まで55万5千円のモデルがある。L250系は平成10年新規格の第2世代で、660CCのEFIエンジン、衝突安全ボディーやパワステ、エアコン、MTも5速がついているのである。

21世紀に入っていた平成14年にして、新車の価格が55万5千円の破格で用意されていたのに、窓もロックも手動では質素すぎて、初代アルトのようなヒットにはならなかったが、これって、初代アルトの47万円どころじゃない、最強のコストパフォーマンスですよね。エアコンがついている時点で、追い抜いてる(笑)

ABSどころかESCが義務化された今では実現不可能な金額ですが、平成14年までこんな手ごろな価格で買える軽自動車があったことは驚きです。平成25年に登場した初代ミライース後期型がマイナーチェンジで値下げし、74万5千円で登場した時も驚き(こちらは、CVTで、ダブルエアバック、ABS、アイドルストップ付、しかもデジパネ(笑))でしたが、そのインパクトも霞む、エアコン・パワステ付きの新車が55万5千円。だったのであります。
Posted at 2019/09/29 17:36:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ

プロフィール

「30プリウスから50プリウスに替えて、一番変わったと思ったのが高速道路での運転。ACCでアクセルを踏まずに走れること。初めは怖かったが慣れるとこんな楽なモノはないですね。」
何シテル?   12/26 22:02
家族4人のお出かけで荷室を含めて不満ない広さと不足ないパワー、家計にありがたい好燃費が出せるプリウスに乗ってます。 中古で30プリウスを買ったときは、50...
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