
021年5月2日(日)の事です。
母の故郷呉市蒲刈(かまがり)へ弟と叔母(母の妹)の分骨を持っていきました。蒲刈には叔父(母の弟)が住んでいます。
叔母は熊本へ嫁ぎ、先月28日に葬儀を終えました。
コロナでなければ私も熊本へ行きたかったのですが、目の手術を二回することになっており、熊本行きを諦めました。葬儀当日は左目の白内障手術でした。
熊本にいる従兄弟の話では叔母は広島に帰りたいと言っていたらしい。初七日に故郷に帰り、叔母も安心したことでしょう。
叔母の小さい頃、若いころの写真を見ると可愛くて綺麗です。同じ姉妹なのに母とは大違い。母はそれなりです。しかし、亡くなった表情は私の母、私の祖母と似ていたらしい。
叔母との思い出。
・古い写真を見ると私が5歳ぐらいにはお盆のお墓参りで一緒に写っているのですが、記憶にありません。
・私が小学校5年か6年生の時、お正月にあった時が最初の記憶。いきなり赤ちゃんにおっぱいをあげだして、私はビックリしました。
・夕飯のご飯を少しだけと言ったのですが、叔母は山盛りにするのです。山盛りにしてと言うと、それも山盛り。
・その後は広島へ帰ることは少なくなりました。
時々、母と電話では話をしていて、最後は私が挨拶をしていました。
・個人商店をしていたので、時折、お菓子、果物を送ってくれるのです。広島でも安く購入できるお菓子もありました。私はその度に「おばちゃん、ありがとう。」と伝えていました。
・両親の入院、葬儀にも電話、香典も。
また、自分も体調が悪いにも関わらず、私の弟の病気(癌)、葬儀にも心遣いをしてくれました。
・ちょうど二年前に熊本へ行き、叔母に会いました。
会うといきなり、「ソラン君」と言って泣き出すのです。今ではその気持ちはわかります。私は亡くなった弟の長女を見ると泣きそうになるのです。顔の表情、しぐさが弟と似ているのです。
母から聞いた事ですが(一部叔父から)、
・戦争当時、私の祖父祖母は海軍関係の仕事で船に乗っていた。
私の伯母(母の姉)は勤労奉仕で仕事をしていた。蒲刈には私の母、先日亡くなった叔母、母の伯父が住んでいた。祖父母が軍関係だったので、お米に配給は優先だったらしく、祖父母は蒲刈へお米を送っていた。しかし、母の伯父はその白米を食べさせなかった。叔母は背中を丸めて小麦を食べていた。
母は昭和8年生まれ、叔母は五歳若い。当時はこれが普通だったと思うが、今では考えられないことばかり。
・叔母夫婦にはなかなか子供に恵まれなかった。
私の5級年下の弟を養子にする話が出た。弟も叔母に懐いて叔母も可愛がっていた。しかし、私の祖父が許可しなかった。昭和中期までは、姉が亡くなれば、その妹が代わりに嫁ぐとか、子ができなければ、親戚から養子をもらうとか、普通だったらしい。
世の中が落ち着けば、熊本に行きたい。
それまでは、蒲刈で叔母の供養をしたい。
Posted at 2021/05/03 11:35:04 | |
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