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利根川の天然水のブログ一覧

2017年02月04日 イイね!

中国が「日本はドイツのように歴史を直視せよ」と要求・・・独メディアがツッコミ! 「歴史を直視してないのは中国だ」

中国が「日本はドイツのように歴史を直視せよ」と要求・・・独メディアがツッコミ! 「歴史を直視してないのは中国だ」 ドイツメディア、ドイチェ・ヴェレの中国語版が20日、中国・天津市で現地時間12日発生した爆発事故にかんしてドイツやスイスのドイツ語圏メディアから、戦後70周年における歴史認識問題と絡めて「歴史を直視していないのはいったい誰だ」との論調が出ていると報じた。

 記事は、スイスの日刊紙「ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング」が「腐敗が命取りになりうる」と題して、中国経済における「官と商の癒着」が天津市の爆発事故を起こしたと指摘する文章を掲載したことを紹介。この文章の中で「当事者間に人情や金銭の関係があると、もっとも厳格な法規も役に立たなくなるということを、天津市の爆発事故が説明した」という批判的な論調が展開されたことを伝えた。

 また、ドイツ紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」が、「中国は日本に対して第2次世界大戦の暴行への謝罪を強く要求している一方で、共産党当局は自らが歴史を直視することを拒絶している」とする評論記事を発表したことを紹介した。

 同評論記事では、9月3日の軍事パレードで中国の戦勝70周年イベントは最高潮に達する一方で、中国当局が日本に対して仕掛ける「宣伝戦」はこれで終わりにはならないとし、習近平国家主席率いる中国当局が「ありとあらゆる話を使って、人びとに『日本の侵略についての記憶』を呼び覚まさせようとしている」と評している。

 中国当局の言い分によれば、「戦争によって中国では約3500万人が死亡」し、旧日本軍が中国国民に対して「巨大な苦痛をもたらした」とする一方、「しかし、中国当局が再三日本に歴史の直視を求めても説得力がないのである。中国政府自らも歴史を書き改め、回避しているのだから」と風刺した。

 評論記事はさらに、中国共産党当局はその統治下における「暗黒面」にかんする議論を認めていないとも指摘。
中国では文化大革命や大躍進政策で死亡した人数について「公の場で語る勇気を持った人がわずかしかいない」とし、旧日本軍による中国侵略で死亡した人数より「同死者数は多い可能性すらあるのにだ」とし、「日本に歴史の直視を求めているのに、中国共産党当局自身がそれをできていないのだ」と繰り返した。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
:サーチナ   2015-08-24 10:19


Posted at 2017/02/04 13:00:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2017年02月04日 イイね!

「戦争で日本を打ち破ったのは米軍。中国にそんな力はなかった」と中国国防大教授・・・中国ネットで改めて注目

「戦争で日本を打ち破ったのは米軍。中国にそんな力はなかった」と中国国防大教授・・・中国ネットで改めて注目 中国で、中国国防大学の徐焰教授が2014年に発表した「抗日戦争の真実の戦況」と題する文章が、改めて注目を集めている。徐教授は、抗日戦について共産党の貢献を強調する教育を「一面的」と批判し、世界において「ファシスト勢力」を打破した主力はソ連、米国、英国の三大大国で、日本を打ち破ったのは米国と指摘した。

 徐教授は、中国は数十年にわたり「抗日戦争を愛国主義精神をかきたてる重要な教材にしてきた」と指摘。そのこと自体は「当然であり必然」と主張したが、「政治状況のために宣伝内容が一面的になった」と批判。

 中国では、第二次世界大戦で日本を敗戦に追いやったとして中国の貢献が強調されている。最近では国民党軍への評価もあるが、共産党軍の貢献はとりわけ強調されてきた。徐教授は、毛沢東の「われわれは支隊にすぎませんでした。主力軍ではありません」との言葉を紹介。「客観的」と評価。従来の「正統的な歴史教育」について「もはや、全面的に受け入れることはできない」と主張した。

 徐教授は、当時の中国について「貧しく弱く、大国の名はあっても大国の実力はなかった。日本には持久戦で対応するしかなかった」と指摘。世界においてファシスト勢力を打破した主力はソ連、米国、英国の3カ国と論じた。つまり、中国国内戦線でも「支隊」であった共産党軍の貢献は、全世界を視野に入れれば、「ごくわずか」ということになる。

 徐教授はさらに、「中国で語られてきた数字」には虚偽があると主張。例として、中国では日中戦争で「(旧)日本軍150万人の消滅させた」と語られてきたが、中国戦線における旧日本軍の戦死者は45万人であり、太平洋戦線などを含めた全戦線の22%にすぎないと主張した。

 さらに、日本に最も大きな損害を与えたのは米国と指摘。海外の戦場で旧日本軍に重大な損害を与えただけでなく、原子爆弾の投下を含め、日本本土を猛烈に爆撃したと主張。中国に日本本土を攻撃する力はなく、ソ連は満洲と朝鮮半島北部、日本の北方諸島に進軍できただけだったと主張。この歴史事実を知れば、米国が戦後の日本処理の主導権を握ったことも理解できると論じた。

 上記論説は、人民日報系のニュースサイト「人民網」に、2014年9月3日付で掲載された。そして、現在も転載が続いている。一般ユーザー以外にも、ポータルサイトの漢豊網は8月31日に、上記論説を掲載した。

 英BBCも上記論説について「最近になり中国のネットで広がっている」と注目した。

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◆解説◆
 徐焰教授は1951年生まれ。軍事誌の専門家で階級は少将。日本の防衛大学校で講義を担当したこともある。(イメージ写真提供:(C)Brandon Bourdages/123RF.COM)
:サーチナ   2015-09-02 07:21


Posted at 2017/02/04 08:49:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2017年02月04日 イイね!

零戦は「殺人魔機だ」 中国メディアが「醜名とどろく飛行機」と罵倒、「日本での復活飛行は安倍政権の意向が関係」と決めつける

零戦は「殺人魔機だ」 中国メディアが「醜名とどろく飛行機」と罵倒、「日本での復活飛行は安倍政権の意向が関係」と決めつける 旧日本海軍の零式艦上戦闘機(零戦)の試験飛行が27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地で行われることを受け、中国メディアの環球網は26日付で「日本で明日、第二次世界大戦の『殺人魔機』が復活飛行。戦後初の登場」と題する記事を発表した。

 記事本文でも最初の部分で、「第二次世界大戦終了後、同機型(零戦)が初めて日本の空に出現する。『第二次世界大戦殺人魔機』の『復活』と見なされていると強調した。

 日本における零戦の飛行復活を進めてきたのは、ニュージーランド在住の実業家、石塚政秀氏だ。環球網は日本メディアを引用して、石塚氏の取り組みや日本政府の反応を紹介したが、石塚氏が零戦を「日本のものづくりの原点」と強調していることには触れていない。

 記事は、石塚氏の取り組みを紹介した次に、改めて「零戦は中国侵略戦争にも参与した。戦争末期には『神風特攻隊』として自殺攻撃を行うさいの、主たる機種だった。第二次世界大戦時の『殺人魔機』として醜名がとどろいている」と、改めて零戦を非難した。

 日本政府が零戦の国内飛行を認めたことについては、「第2次安倍内閣の発足以来、日本政府はこの種の罪悪戦争の『殺人神器』の記憶を増やしている」と主張。

 さらに、「今回の零戦の復活飛行を許可する前にも日本はヘリコプター空母の出雲(いずも)を2013年8月6日に、ヘリコプター空母の加賀(かが)を2015年8月27日に進水させた」、「出雲も加賀も第二次世界大戦中の日本の主力航空母艦であり、米軍に撃沈された」と論じた。

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◆解説◆
 零戦の初飛行は1939年で、制式採用された皇紀2000年(1940年)だったことから、零式艦上戦闘機と名づけられた(航空機名に皇紀を用いるのは、敵に開発時期を伝えているのと同じとの理由で、後に取りやめられる)。

 零戦は極限までの軽量化、定速回転プロペラ、超々ジュラルミン、剛性低下式操縦索など、機体設計で当時の最新技術が込められていた。特に格闘性能、操縦性のよさがもたらした射撃命中率のよさ、航続距離の長さなの優れた点があった。ただし、軽量化のために機体の強度などを犠牲にした面があり、急降下の限界速度が低く、被弾した際の防御も考えられていなかっため、戦争の進行とともに撃墜されるケースが増えた。

 零戦が初めて実戦を行ったのは1940年9月12日。重慶市近くの上空で零戦13機が中華民国軍の戦闘機34機の編隊と戦闘になった。中国軍はソ連製戦闘機のI-15、I-16を使用していた。零戦は機数が半数以下だったのにもかかわらず、27機を撃墜した(中国側発表は被撃墜13機、被撃破11機)。日本側は1機が被弾したが、撃墜された機はなかった。

 日本は敗戦にともない航空機開発が禁止された。そのため航空関連の技術者は自動車や鉄道の開発に携わるようになった。現在の自動車産業や新幹線技術の基礎を築いたと言える。

 写真は米国のシアトル市上空を飛行する零式艦上戦闘機(22型)。2013年6月29日撮影。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:(C)Christopher Fell/123RF.COM)
:サーチナ   2016-01-26 14:33




Posted at 2017/02/04 08:21:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | 趣味
2017年02月04日 イイね!

驚異的だ! 明治維新後の日本は「たった40年」で世界有数の海軍を作った=香港

驚異的だ! 明治維新後の日本は「たった40年」で世界有数の海軍を作った=香港明治維新の時期に遂げた日本の変化と成功は国内外においてよく知られているが、中国メディアの鳳凰網が5日付で、日本は明治維新後のごく短期間で世界一流の海軍を有するようになったと驚きとともに説明している。

 「バルチック艦隊」という帝政ロシア海軍の名を知る日本人は多いだろう。日露戦争中、この艦隊はロシアの切り札と期待されていたが、1905年の日本海海戦において日本海軍により壊滅的な打撃を受けた。

 日本海海戦より11年前の1894年にも、日本は日清戦争中の黄海海戦で清国北洋艦隊に勝利しているが、記事は日本海軍がこの2つの海戦で勝利をおさめたことにより、世界に注目される「一流の海軍となった」と説明。さらに日本海軍について「第2次世界大戦前においてはアジア最強、世界でも第3位の海軍力を有していた」と指摘した。

 一方で記事は、ペリー提督率いる米国艦隊が日本に開港を求めてやってきたのは1853年のことであり、当時の日本人に大きな衝撃を与えた黒船来航は日本海海戦の52年前、そして日清戦争中の黄海海戦の41年前だったと紹介、「黒船来航当時の日本に海軍はなかった」にもかかわらず、わずか40年ほどで一流の海軍を保有した当時の日本に驚きを示した。

 また、日本は島国であるゆえに「海洋民族」であると認識されがちだが、実際は海洋民族でなく「海岸民族」であると主張。当時の日本には魚を捕らえる程度の造船技術はあっても、大航海時代に使用された造船技術は有していなかったと指摘し、明治維新当時の日本が言わば何もない状態から短期間で一流の海軍を持つようになったという事実を際立たせた。

 記事のこうした説明からは、当時の日本人の学習意欲や学習能力の高さに圧倒されている感が伝わってくる。現代から見ても、明治維新後に日本がごく短期間で成し遂げた発展ぶりは偉業と呼ぶに相応しい。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
:サーチナ   2016-12-10 10:13
Posted at 2017/02/04 08:00:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行/地域

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「発車3分前の列車でも余裕で乗れる日本の鉄道、中国じゃ絶対あり得ない! =中国メディア http://cvw.jp/b/1528111/42009436/
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