
誰も知らない中国調達の現実(247)-岩城真
先日、久しぶりに富士山の麓・忍野八海に友人と行ってきた。観光客の6-7割は中国人である。そこに並ぶ土産物を売る露店のほぼ100%は、中国人観光客目当ての品揃えをしている。リンゴに1個500円といった値札が付けられている。贈答用の桐箱に入ったものではない。その場で、丸かじりする類のリンゴだ。
同行していた友人は、「ぼったくりだよ、中国人だって買わないだろう」と吐き捨てるように言った。しかし、筆者は、「そうかな? 露店とはいえ店をだしているのだ、まったく売れなかったら店を閉めるか、値を下げるだろう」と考えた。
きっと商売になる程度に売れているのだ。中国人ならば、買ってもおかしくない。なぜ、そのように考えるのか? それは、中国人と日本人では、購買行動やその基準が、異なるからだ。
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もう少し、筆者の漫談におつきあい願いたい。筆者は、毎日欠かさずコーヒーを飲むほどのコーヒー好きである、と言っても、インスタントコーヒーで満足してしまうコスパの良いコーヒー好きである。(笑)
少し前までは、中国の地方都市に行くと、中々コーヒーが飲めなかった。空港に行けば喫茶店があり、コーヒーが飲める。空港の喫茶店で提供されているのは、インスタントコーヒーで、なんと当時でも50元以上することもあった。するとコーヒーが飲みたい、インスタントコーヒーでも満足できる筆者が、躊躇してしまうのだ。
貧乏サラリーマンの筆者でも50元のカネがないわけではない。しかし、「インスタントコーヒー如きに50元?」となってしまう。レギャラーコーヒーならば、何の抵抗もなく飲んでいたはずだ。筆者は「飲みたいか否か、50元のカネが工面できるか否か」という購買基準のほかに、「インスタントコーヒー1杯に支払ってよい上限額」という基準を無意識のうちに持っているのである。
一方、中国人はというと、「日本のリンゴを食べてみたい」、「500円の持ち合わせならある」という条件が満たされれば、“買う”という行動に結びついてしまうのである。
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これらの購買基準は、いわゆるBtoC取引に限ったことではない。BtoB取引ではなおさら、高く買って高く売れば、より利益が拡大するので、拍車がかかることはあっても、ブレーキが掛かりにくい。
何らかのきっかけで、需要が拡大し供給が追いつかなくなると、物価は高騰する。高騰を止めるひとつのブレーキは、需要の飽和だが、もうひとつのブレーキは、異常な高値による投資(購買)意欲の減退である。
この意欲減退の源泉こそが、まさに経営者の「××に投資してよい上限額」というブレーキのスイッチなのである。ところが、中国人には、このブレーキがない、ゆえに中国企業は、際限なく高値を提示して世界中から資源を買い漁った。これこそが、リーマンショック前の常軌を逸した資源価格の高騰の真因だと筆者は考えている。
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現在の世界的な不況が中国に端を発しているのは周知の事実である。その震源である深刻な設備過剰は、需要が飽和するまで投資を続けた結果である。非中国的な購買行動であれば、需要飽和の少し前に何らかのブレーキが掛かり、投資意欲が減速し、ここまでの設備過剰は回避できていたはずだ。
最期に蛇足ながら、ここまで市場が飽和し供給過剰となっているにも関わらず、生産を続け、追加の設備投資計画さえ策定される不思議について解説する。
ひとつめの理由は、一般に語られるように雇用の維持(=社会の安定)といった共産主義国家独特の事情かある。もうひとつの理由は、鉄鋼、セメント、ガラスのような政府系の装置産業は、大掛かりな統廃合が進められる。統廃合となった場合、統合される側でなく、統合する側になりたいと考えるのは、至極あたりまえのことだ。
では、統合する側になる条件はなにかというと、「生産量が多く、最新鋭の設備を有している」ということだ。つまり、現在の政府系装置産業は、需要があって売れる見込みから生産しているのではなく、生産高を上げるために生産をしている。設備投資にしても同様である。資本主義自由経済の日本にいると考えられない理屈であるが、共産主義計画経済下では、あたりまえの理屈なのである。。(執筆者:岩城真 編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF) :サーチナ 2016-03-15 19:02
Posted at 2017/02/17 10:41:42 | |
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