

競争社会で、「結果」がすべての、中国からみると、日本の学校教育は学業以外にも、多くのことを教えていて、教育の概念が全く違うと感じられるようだ。中国メディアの快資訊は3日、日本のある学校の取り組みを紹介し、この「 残忍な小学校教育課程 」から、中国人は教育とは何か、考える機会にすべきだとする記事を掲載した。
記事の言う、「残忍な授業」とは、ブタを飼育し精肉にするまでの、プロセスを体験させる食育の授業だ。これについては日本国内でも、賛否両論さまざまな意見が噴出した。動物を飼育するというのは多くの小学校でも実施しているが、「食肉」にまでするというのは、かなり思い切った授業である。
記事は、数枚の写真を掲載して、子どもたちが楽しそうにブタの世話をする様子や、と殺場に連れていかれるのをじっと見つめる場面、いなくなったブタ小屋で、号泣する子どもたち、神妙な面持ちで解体された、肉の説明を受けるところや、最後には「薬を飲むように」無理やり、調理したブタ肉を食べる様子などを紹介している。
この授業について記事は、名前まで付けてペット同然に世話した動物を、と殺場に連れて行くだけでもショックなのに、解体した精肉を子どもたちに見せて、最後には食べさせるなど、「残酷で度が過ぎている」と非難している。この授業を通して日本の学校が目指すのが、食の大切さなのか、社会の残酷さなのか、分からないとしながらも、中国の教育を考え直す機会になるとしている。
中国の子どもたちは、わがままで温室育ちで、「小皇帝」と呼ばれている。中国の農村部では、昔の日本と同じで、庭に鶏が走り回り、ブタを飼い食料にしているため、自然と食育になっていると言えるだろう。しかし都会の「小皇帝」は、全くこういう経験をしたことがなく、食べ物を粗末にする傾向がある。この記事に対するコメントでも、こうした理由で日本の命の授業に、賛同するというコメントが見られた。
この授業には、賛否あるとしても、日本と中国の学校教育の、違いを物語る一例となっていると言えるだろう。少なくとも中国と比べて日本の教育は、成績ばかりでなく、命の教育など幅の広い教育を通して、わがままな「小皇帝」を作らない、平衡のとれた教育をしていると言えるのではないだろうか。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF) サーチナ 2018-07-05 07:12
Posted at 2018/07/05 14:41:53 | |
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