2020年12月21日
以前にも似たようなタイトルでハチロクトレノについて書いたことがある。
しかし、今日は頭文字Dの作者しげの秀一氏について書いてみようと思います。
しげの秀一氏のファンの方、特に頭文字Dが好きな方には不快な内容かもしれません。
あくまでも私個人の感想ですのでご了承ください。
現在、ヤンマガで連載しているMFゴーストですが私はあまり面白いとは感じません。
コンビニに寄った時にヤンマガで時々立ち読みしてみるくらいです。
通して読みもしないでのつまらないとはなんだ!とファンの方からおしかりの言葉きそうですが、通して読む気にもなれません。
それに、ヤンマガの目次の作者の一言を読むと

しげの氏自身も楽しくないのではないのではないかと勘繰ってしまいます。
私の感想としてはMFゴーストの前のセーラーエースのほうが断然面白かったと思います。
また、セーラーエースと頭文字Dの間に高嶺の花という自身をモデルにした(と思われる)作品もあります。
高嶺の花は上下の2巻で完結。元々長編は考えていなかったと思われます。
高嶺の花もセーラーエースも非常に面白かった。
しかし、セーラーエースは6巻で打ち切り。しかも、変な終わり方をしています。
大抵の場合、打ち切りになる週刊漫画の作品は急に話が進展して無理矢理に完結させてしまいます。しかし、セーラーエースは普通に話が続いていく途中で終わってしまいました。
これは私の推測ですが、しげの氏本人はセーラーエースを続けたかった。しかし、読者はアンケートで車マンガを望んだので、編集部は読者の意向を汲んで車マンガを始めるようにしげの氏に持ち掛けた。しげの氏は渋々承知してMFゴーストを企画したのではないでしょうか?セーラーエースが変な終わり方をするのはしげの氏のささやかな抵抗。
しげの秀一という漫画家はバリバリ伝説・頭文字Dという2つのヒット作があるので、バイク・車、それも走り志向のイメージがありますが、どちらかというとラブコメが真骨頂のように思います。
バリバリ伝説もバイク漫画ですが、実際のところ連載当初はバイクどっぷりの漫画にするつもりなかったような印象を受けます。
登場人物の歩惟も言っていますがハイティーンブギ(作中では”ヨッチのハイティーンブルース”)のような感じで、もう少し明るく笑いもある作品にしたかったのではないでしょうか?
バリバリ伝説も頭文字Dと同じでしげの氏は1部で終わりにするつもりだった印象を受けます。
つまり、バリバリ伝説はバイク漫画・レース漫画というより青春群像として高校生が鈴鹿4時間耐久レースに挑戦するというお話。で、本来はこれで完。
しかし、当時のバイクブームに乗って人気が出たのでプロのレーサーとして活躍を描いていった。
しげの秀一氏はバリバリ伝説と頭文字Dが売れたのでバイク・車の漫画家というイメージがありますが、実際は青春ラブコメが多数です。どれも、バリバリ伝説・頭文字Dほど売れていません。
頭文字Dにしても高校卒業で茂木なつきは上京して、匠は地元に残り働きながらプロのラリーストを目指します。で、終わり。秋名のハチロクは茂木なつきの思い出と共に匠の心にしまっておく青春の1頁。
本来はこんな感じだったのではないでしょうか?1部で終わりってことです。
2部は1部に比べるとダラダラとしているし、特に後半になってくるとその傾向が顕著です。
ただ2部でも面白かったのは匠と啓介の偽物があらわれて、それがきっかけで美香を出会うお話。
私はこのエピソードは凄く好きです。テンポもよくて非常に面白い。
しげの秀一という作家はこういった話が本来は描きたいのでは?
あと、涼介と死神の因縁も面白かった。
しげの秀一という作家は市場でバイク・車の漫画家という評価になってしまいましたが、実際はラブコメや青春群像が面白い。
セーラーエースの続きを是非ともどこかで描いて頂きたいものです。
Posted at 2020/12/21 21:45:24 | |
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2020年12月21日

今までは自動運転についてはあまり肯定的なことは書いてこなかった。
どうも胡散臭いような気がしたし、自動車が人間にというか人類にとってどういった位置付けかということも無視されているような気がしたからだ。
自動運転肯定派は今後はあらゆる乗り物がすべからく自動運転になり、ドライビングを楽しむということは過去の娯楽になる。
ドライビングはゲームの中で楽しむことになるという感じですかね?
これなんか極端に”脳化”しております。
脳化とは養老孟司氏の本で知った言葉で
氏の作った言葉だと思うが、現代人は情報空間に入りこみ過ぎて物理的実体を意識出来なくなっている。
しかし、どこまで情報空間に入りこんだところで脳という肉体器官は残ってしまう。
スピリチュアルが流行るのはこんなところも原因かもしれません。
スピリチュアルな世界に行けば脳という肉体器官も必要ありません。
私が自動運転に否定的だったのは今でドライビングプレジャーを追い求めてきた自分を否定されているような気がしたからにほかならない。
それも極端な話です。
さて、最近はspeeduinoを弄っていたせいで、また電子工作に興味を持ってきた。
電子工作の基本はセンサーが感知した信号を元にアクチュエーターを動かすというもの。
私が電子工作に嵌っていた中学生の頃は音センサーを付けてモーターライズの車が音に反応して加速したり、ランダムに左右に舵を切るという程度の物でした。
しかし、今はホビーレベルでも結構複雑な動きをします。
実際の車に乗れない中学生に頃は、自分の工作したホビーの車を眺めながら、これが実物の車くらいになって道路を走れたら楽しいだろうなぁなどと妄想していました。
この延長線上に自動運転があるとしたら、こんなに楽しいことはない!
これからの世界は一口に車といっても
”自動運転車”と人間が運転する車は別のカテゴリーとなっていくかもしれない。
それは”エクスドライバー”のような世界かもしれないし、
はたまた、我々の想像を超えた世界かもしれません。
Posted at 2020/12/21 07:14:52 | |
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素人自動車論いいたい放題!! | クルマ