牛岐城〔富岡城〕(阿南市)
新開氏、賀島氏の居城・牛岐城(富岡城)
2007年05月06日
牛岐城は富岡城ともいいます。築城された時期は明らかではありませんが、正平6・観応2(1351)年頃は安宅頼藤が居城としていました。
戦国時代は阿波守護細川氏の家臣新開氏の居城でした。阿波の実権は細川氏から三好氏に変わりましたが、牛岐城は依然として新開氏が城主でした。
天正3(1575)年、土佐の長宗我部元親が阿波に侵攻し、周辺の諸城はすべて落城しましたが、牛岐城の新開遠江守道善は最後まで抵抗しました。しかし、天正8(1580)年には多勢に無勢でついに軍門に降りました。長宗我部元親が阿波全土を平定した天正10(1582)年に長宗我部元親は道善を丈六寺(現徳島市)まで呼び出して謀殺した後、弟の香宗我部親康を牛岐城主としました。
天正13(1582)年蜂須賀家政が阿波へ入国し、牛岐城には家政の甥(おい)、細山帯刀政慶が城番として入りました。
やがて帯刀は、賀島主水正政慶と改め、1万石が与えられました。阿波九城の一つとして整備され、地名も縁起の良い富岡とし城も富岡城と呼ばれるようになりました。
元和の一国一城令により寛永15(1638)年には廃城となりました。
城跡は、道路工事や宅地化により本丸跡と二の丸跡が分断されています。
城跡は牛岐城趾公園となり、牛岐城趾館が建ちます。「恋人の聖地」になっているそうです。
Photo Canon EOS 30D
H19.5.3
住所: 徳島県阿南市富岡町トノ町24−3
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