旧松代藩鐘楼〔日本電信発祥の地〕(長野市)
佐久間象山が電信実験に成功した鐘楼・旧松代藩鐘楼
2008年01月02日
この鐘楼は、真田信之が元和8(1622)年10月、上田城から松代城主となって間もない寛永元(1624)年に設けたもので、ここに松代藩足軽千人余の番割りをした割番役所を置いたので、割番所ともいいました。
この鐘は、昼夜の別なく一時(約二時間)ごとにつかせて時刻を知らせ、また城下に出火の際に非常を知らせました。
城下町の度重なる大火で、享保2(1717)年、天明8(1788)年、寛政12(1800)年の三回類焼にあい、初代と二代の鐘は焼損し、文化3(1806)年につくられた鐘は太平洋戦争中に供出されました。
現在の鐘は平成3(1991)年に旧鐘の寸法、重量を模して新しく取り付けたものです。
鐘楼は、寛永元(1624)年当初は鐘楼と火の見が一棟建てでしたが、寛政の火災時に別棟になり、享和元(1801)年に再建されたのが今のもので、北隣にあった火の見櫓は明治初期に取り壊されました。
また、この鐘楼は、嘉永2(1849)年に佐久間象山がオランダ語の書物を元に電信機を作り、北東七十メートルにあった御使者屋に電線を張り、両者の間で電信実験に成功した「日本電信発祥の遺跡」でもあります。石碑が建っています。敷地は柵で入ることができないので、外からの見学のみでした。
Photo Canon EOS 30D
H19.12.27
住所: 長野市松代町松代
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