忍城(行田市)
石田三成が水攻めしたことで知られる忍城
2008年07月21日
忍城は数度の城攻めを受けて、一度も落城しなかった要害堅固な城として戦国時代には関東七名城の一つに数えられました。
忍城は文明10(1468)年頃に成田顕泰によって築城されたといわれています。この地は湿地帯が広がる地形によって攻めにくく守りやすい、難攻不落の名城として知られていました。
天正18(1590)年、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた際に忍城城主である成田氏長は小田原城に籠城し、家臣らが忍城を守りました。
そこに石田三成が軍勢を引き連れて、忍城を包囲しました。三成は全長28kmにも及ぶ堤防を築き、利根川・荒川の水を引き入れて水攻めを行いましたが、城はこの水攻めではついに落城しませんでした。そのことはやがて、城が浮くためであるという噂もささやかれ、それが「忍の浮き城」という別名を冠するようになりました。
徳川家康が関東に入封すると、三男の松平忠康(後の忠吉)が城主となりました。関ヶ原の戦い後天領となりましたが、寛永10(1633)年、智恵伊豆といわれた松平信綱が入城しました。
寛永16(1639)年、時の老中阿部忠秋が入城し忍城の大改築に着手し、孫の正武の代に忍城御三階櫓の建設や城門土塀の修築などがなされました。
文政6(1823)年、伊勢桑名から松平忠堯が移封し、忠誠の時に明治維新を迎えました。
廃藩置県に伴い「忍県」の県庁が二の丸に置かれましたが、その後廃城となって城内の構造物はほとんどが撤去され、城跡は公園(成田公園、後に忍公園)として整備されました。
昭和63(1988)年、御三階櫓が復元され、郷土博物館の一部となっています。
平成29(2017)年、続日本100名城(118番)に選定され、同年4月28日に文化庁が認定する日本遺産ストーリー「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」の構成資産(文化財)のひとつに加えられました。
「のぼうの城」という和田竜氏の小説でも有名になりました。
Photo Canon PowerShot G9
H20.7.12
住所: 埼玉県行田市本丸17-23
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