諏訪原城(島田市・旧金谷町)
武田築城術を今に伝える諏訪原城
2009年04月26日
諏訪原城は天正元(1573)年、武田勝頼の臣馬場美濃守信春を築城奉行として築かれ、東海道武田領の最前線牧之原台地の東北角を占めた天然の要害でした。
天正3(1575)年、長篠の戦いで武田勝頼は織田・徳川連合軍に敗れましたが、家康は遠江から武田氏支配の城への攻勢を強め、諏訪原城にも攻撃をかけました。
城主今福浄閑斎は戦死し、城は落城しました。諏訪原城は武田氏の守護神である諏訪明神を城内の一角に祭ったことから諏訪原城と呼ばれていましたが、徳川氏はこの城を牧野城と改め、武田氏の攻略を強めました。ちなみにこの城は他にも牧野(原)城、金谷城、扇城という呼称があるそうです。
遺構は、本丸、二の丸、三の丸、大手郭、帯郭、西の丸、搦手、亀甲曲輪の八郭からなり、茶畑になっているところもありますが、その規模といい、遺構の保存状態といい、素晴らしい城跡です。
昭和29(1954)年1月30日、城跡の一部が静岡県の史跡に指定され、発掘調査を経て昭和50(1975)年11月25日には国の史跡に指定、平成14年(2002年)12月19日には一部区域が追加指定を受けています。
平成29(2017)年4月6日、続日本100名城(146番)に選定されました。
H21.3.21
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.5.4(写真差し替え)
住所: 静岡県島田市金谷
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