蔵王堂城(長岡市)
古志長尾氏、堀氏らが城主となった蔵王堂城
2009年05月29日
蔵王堂城の築城時期は不明ですが、南北朝時代の築城という説があります。
本格的な築城は、越後守護代長尾景恒の次男景晴(景春とも)が蔵王堂城を本拠とし、古志郡を支配し古志長尾氏といわれるようになりました。
永正2(1505)年、房景の代に古志長尾氏は、栖吉城に本拠地を移し、古志郡の有力国人に成長しました。その後、蔵王堂城は長尾為重(長尾為景の弟・謙信の叔父)が城郭として再整備し、御館の乱の後天正10(1582)年には河田長親が城主となりました。
慶長3(1598)年、上杉景勝は会津に転封となったため、蔵王堂城には越後に入国した堀秀治の弟親良が入城しました。親良の引退後、坂戸城主堀直寄の後見の元、親良の養子鶴千代が跡を継ぎました。後見人の堀直寄は蔵王堂城が信濃川に隣接し災害の恐れがあったことと近世城郭に城域を拡大できないことから、長岡城を築城を推進しました。、慶長11(1606)年に家督を継いだ坂戸城主堀直寄の実子で親良の養子鶴千代が死去したため、蔵王堂藩は直寄の坂戸藩に吸収されました。しかし、
慶長15(1610)年、堀氏は改易され、直寄は信濃飯山に転封されます。越後には徳川家康の六男松平忠輝が入封し、蔵王堂城には城代として山田隼人が入城しました。長岡城の築城はここで一旦中断となります。
しかし、元和2(1616)に松平忠輝は改易となり、堀直寄が蔵王堂城主として戻り蔵王堂藩を復活しました。
直寄は再び長岡城の築城を推進し、完成と共に移転したため、蔵王堂城は廃城となり、蔵王堂藩は長岡藩になりました。長岡城の完成間近で直寄は長岡から村上に転封になりました。
城跡は金峯神社となっていて、堀や土塁などが残っています。その他堀直寄の銅像が建っています。
Photo Canon EOS 30D
H21.5.4
住所: 新潟県長岡市西蔵王3-1-5
関連リンク
タグ
地図
関連情報