八丁沖古戦場(長岡市)
河井継之助の長岡城奪回作戦が行われた八丁沖古戦場
2009年05月29日
八丁沖は長岡の東北郊外、百束(ひゃくそく)、大黒(だいこく)あたりから、南は富島(とみじま)、亀貝(かめがい)にいたる南北約5km東西約3kmにわたる大沼沢地でした。
北越戦争で、長岡城を奪われた長岡藩家老河井継之助は、長岡城奪回のため、長岡全軍の力を一つにして、この八丁沖を密かに渡り、一気に城下へ突入することを計画しました。
継之助は藩兵に弾薬と切餅を配り激励し、「城に戻り両三年もすれば、もとの繁盛にすることはたしかに出来るから、御一同共、必死を極めて勝ちましょう。死ぬ気になっていたせば、生きることもでき、もし死にたくない、危うい目にあいたくないという心があるとするならば、それこそ生きることもできません」という内容の口上書を読み聞かせました。
慶応4(1868)年7月24日午後7時ごろ行動を開始し、全軍600余名声をひそめて潜行し、7月25日未明に富島へたどり着き、大激戦のすえ宮下の新政府軍前線基地を占領しました。さらに、全軍を4手に分け、長岡城をめざして猛進撃に移りました。不意を突かれた新政府軍は、必死に防戦しましたが昼すぎには勝敗は明らかとなり、長岡城の奪回に成功しました。
継之助の八丁沖渡河作戦は、この方面の防備が手薄なことを察知し、巧みにその虚をついた作戦として、現在でも高く評価されています。
現在は古戦場付近は干拓され、田園地帯となっています。古戦場の一角富島に八丁沖古戦場パークとして公園が整備されています。石碑の他、八丁沖渡河作戦で河井継之助が旧諏訪神社境内において使用されたと伝えられる手水鉢、長岡城本丸から出土した踏石があります。
Photo Canon EOS 30D
H21.5.4
住所: 長岡市富島町
関連リンク
タグ
地図
関連情報