鶴嶺神社(鹿児島市)
島津氏歴代当主とその家族を主祭神とする鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)
2005年12月04日
鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は、初代島津忠久をはじめ歴代当主とその家族を祭神とし、家老5名、殉死者45名を従神とする神社です。
島津氏は、その初代忠久が源頼朝の長庶子といわれ、鎌倉時代の初め文治元(1185)年より幕末から明治維新に至るまで、約7百年に渉って南九州を良く統治支配し、幾多の名将・名君を輩出した武将の一族です。
鶴嶺神社は明治2(1869)年11月、島津家歴代の当主とその家族等をお祭りする神社として、市内坂元町山下鶴嶺(現在の照国町)に創建されました。
同6(1873)年、社格を県社に列せられ、、大正6(1917)年、島津家歴代に由緒深い旧集成館工場跡の現在地に遷座されました。
昭和10(1935)年、天皇陛下の地方行幸の際には幣帛料を賜りました。
現在、境内地は、国指定史跡集成館の一部となっております。
鶴嶺神社には、島津歴代当主とその家族が祀られていますが、亀寿姫も御祭神の一人です。
亀寿姫は、元亀2(1571)年16代島津義久の三女として誕生しました。天正15(1587)年、父義久が豊臣秀吉に降伏、亀寿姫は人質として秀吉のもとに送られました。
その後、18代家久(義久の弟義弘の嫡男)の夫人となり、寛永7(1630)年に亡くなりました。心優しい人であったと伝えられ、鹿児島の人たちは亀寿姫の法名・持明院にちなんで「ジメサァ」と呼んで慕い続けました。
また、たいへん美人であったとも伝えられています。「薩藩旧伝集』に、秀吉は、亀寿姫があまりにも美しいので、はじめは偽者ではないかと疑いましたが、落ち着き払った態度を見て本物に違いないと判断したという逸話が記されています。
このため、鶴嶺神社にお参りすれば身も心も美しい女性になれるといわれ、多くの女性がお参りするようになりました。(現地説明板などより)
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