兵越峠(飯田市〔旧南信濃村〕・静岡県浜松市天竜区〔旧水窪町〕)
上洛を目指す武田信玄の兵が越えた兵越峠
2011年05月19日
兵越峠は、武田信玄が上洛を志ざし、元亀3(1573)年10月3日(新暦11月18日)約2万5千の大軍を率いて信濃国遠山領を通って、青崩峠の少し手前で分隊し、一隊はこの兵越峠も越したと言われています。
信玄が上洛のため信濃国、遠江国の国境の峠を越すことに意を決めたのは信玄の家来秋山信友が永禄11(1568)年、遠江国奥山、天野の両氏を味方につけるためにこの峠を越し、探索ののち5年後に天野氏を道案内として天野氏居城へ向いました。
この国境にある2つの峠は青崩峠方面奥領家の谷は距離が短いため信玄の本体が通ったとしていますが、兵越峠方面地頭方の谷は、北遠の穀庫といわれる谷で戦力を増すため雑兵、荷運搬馬は勿論の事、馬の餌、馬の草履、兵の草履、乾食料などの徴発や、敵が潜んでいるのを予想してこの峠を越したもので両峠は10月10日(新暦11月25日)に越し南下しました。
この峠は信玄の兵が越したと言われることから兵越峠(ひょうごしとうげ、ひょうこしとうげとも)と呼ばれるようになりました。
毎年十月、信州軍(長野県飯田市・旧南信濃村)と遠州軍(静岡県浜松市天竜区・旧水窪町)に分かれて「国境」をかけて綱引きで対決する「峠の国盗り綱引き合戦」が行われています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.5.5
住所: 長野県飯田市南信濃八重河内・静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家
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