人吉城(人吉市)
人吉城は、もともと平頼盛の代官矢瀬主馬祐が城主であったとされていますが、建久9年(1198)年、遠江国相良の出身で人吉荘の地頭となった相良長頼が、矢瀬氏を滅ぼし、翌年から人吉城 (中世人吉城・原城)の修築を始めました。
その時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城、或いは繊月城ともいわれます。 戦国時代に相良氏は球磨地方を統一し、更に芦北・八代・薩摩方面へと領土の拡大を図り戦国大名として発展します。
しかし、天正9(1581)年に島津氏に臣従しました。後に天正15(1587)年豊臣秀吉の九州征服により、球磨郡のみを支配することになり、関ヶ原の戦いでは西軍につくも後に東軍に内応し、本領を安堵されました。
近世人吉城の本格的な築城は、20代長毎によって天正17(1589)年、豊後から石工を招き始められられました。
明治4(1871)年の廃藩置県により廃城となり、明治10(1877)年の西南戦争で全焼しました。
その後城跡は公園として整備され、昭和36(1961)年国の史跡に指定されました。
平成元(1989)年隅櫓が復元され、平成5(1993)年には大手門脇多聞櫓と続塀が復元されました。
平成17(2005)年には人吉城歴史館が開館し、平成18(2006)年4月6日、日本100名城に選定されました。平成19(2007)年には市内民家に移築されていた堀合門が現存する門や絵図に基づき復元されています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.9.15
住所: 熊本県人吉市麓町
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