宇土城〔近世宇土城〕(宇土市)
宇土城は小西行長の居城です。
天正16(1588)年、小西行長は宇土・益城・八代・ 天草を拝領し翌天正17(1589)年からこの地に新城を築き始めました。
また、支配体制を整えるためにに領内の隈庄城(城南町)、木山城(益城)、岩尾・ 愛藤城(矢部町)、麦島城(八代市)を支城とし城代を置きました。
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは小西行長はで西軍につき敗れ、行長は捕らえられて斬首されました。この時、加藤清正は、宇土城を攻め、行長の弟隼人は城を死守していましたが、行長処刑を知らされ開城しました。
合戦後、宇土城は肥後一国の領主となった加藤清正のものとなり城代が置かれました。清正はこの城を隠居城とするべく普請を行いましたが、慶長16(1611)年に清正が没すると、 翌慶長17(1612)年幕府の命令で宇土城は破却されました。
また、島原の乱の後城は徹底的に壊され、正保3(1646)年に宇土細川藩が成立しましたが、築城は許されず陣屋を構えたため、以後城を築くことはありませんでした。
昭和40年代、県立宇土高等学校社会部による発掘調査が行われ、また、昭和53(1978)年〜昭和57(1982)年に本丸跡の公園整備に伴う発掘調査が行われ石垣、建物、門、井戸などが発掘され、瓦も大量に出土しているそうです。
(説明看板などより)
本丸跡には小西行長の銅像が立っています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.9.16
住所: 熊本県宇土市古城町
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