天童城(天童市)
舞鶴山は、城山とも呼ばれ全山が戦国時代の山城、天童城(天童古城、舞鶴城)です。
最初に本拠としたのは、14世紀の南北朝時代に、南朝方であった北畠天童丸といわれています。
天授元(1375)年、足利氏の一族の斯波兼頼の孫で成生荘地頭となり里見氏を名乗っていた里見頼直が、成生楯よりこの山城に移り、天童氏を名乗りました。
頼直は応永17(1410)正月6日に没し、二代頼泰がその後を継ぎました。その後、頼基、頼氏、頼繁、頼尚、頼道、頼長、頼貞、頼久(頼澄)と10代にわたって村山地域の東部一帯に勢力を伸ばし、土豪や地侍を従え、盟主的な地位にありました。
ところが、戦国時代に入り天正12(1584)年、山形の最上義光に攻められ、これまで天童氏を支えてきた各地の有力な領主が離反し、壮絶な合戦の末、10月10日落城し城主天童頼久は伊達氏の家臣国分氏を頼り、多賀城の地に移り住みました。天童氏は伊達政宗に仕え準一家として厚遇され、多賀城市域最大の家臣となりました。
天童城は落城後廃城となり、最上義光は直ちに城址の山頂の主郭部分に愛宕神社を造営し、社領1370石を寄進し、祭神として勝軍地蔵を安置しました。
この山城には、主郭である愛宕山頂を中心に、防御施設である切岸(人工の崖)によって囲まれた曲輪(平坦地)が至る所に残り、県内では最大規模の戦国期山城です。
城跡は天童公園として整備され、天童のシンボル将棋駒から、将棋駒の供養祭や人間将棋が繰り広げられます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.5.4
住所: 山形県天童市大字北目
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