徳重神社(日置市・旧伊集院町)
島津義弘を祭神とする徳重神社
2014年09月01日
徳重神社は、島津氏第17代島津義弘(神号精矛厳健雄命)を祭神とする神社です。
この地にはかつて妙円寺がありました。
妙円寺は、元中7(1390)年、伊集院城主伊集院長門守忠国の第11子石尾眞梁禅師が故あって大内義弘の娘、法名法智妙円の霊を弔うために建立しました。
明治2(1869)年11月、藩内一般廃仏の制令により廃寺となり、其の跡に同年12月28日に徳重神社が建立されました。
祭神の義弘公は、天文4(1535)年7月23日、伊作城(日置市吹上町)に生まれ、天文5(1536)年2歳の頃から父貴久公(松原神社祭神)とこの伊集院にある一宇治城に移り、16歳頃まで10余年を過ごされました。
故に慶長9(1604)年、妙円寺を自分の菩提寺に指定し、自ら500石の寺領を寄進し自己の本像を京都の康厳という者に作らせて安置されました本社の御神体がそれです。
旧暦9月14日の例大祭は義弘公が慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの際、敵中を突破し帰国したその苦闘を偲び戦いの前夜旧藩士氏が太平の世に士気を鼓舞し心身を鍛練するために鎧甲冑に身を固め遠く五里の山路を往復し、或いは近郷より三々五々陸続して公の霊前に参詣するようになって行われる祭典でこれが妙円寺詣り行事であります。
これも義弘公が武勇だけでなく学問の道にも秀でた徳望の高い御祭神であるからです。
大久保利通の日記にも、西郷隆盛らとこの行事に鎧武者姿で参加し非常に感動したと記されています。
公は元和5(1618)年7月21日、85歳をもって加治木で薨ぜられました。
公の逝去に際して、これに殉死する者13名、その霊を慰めるために、地蔵塔が西の方に十三基建立されています。
(現地説明板より)
なお、妙円寺は徳重神社の西側の明治13(1880)年に再建されています。妙円寺の名を冠しながら、現在では徳重神社にて行われている「妙円寺詣り」について、妙円寺は主催者の日置市などに対し名称を「徳重神社詣り」に変更するよう要望しています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.20
住所: 鹿児島県日置市伊集院町徳重1786
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