市来鶴丸城(日置市・旧東市来町)
ザビエルも立ち寄った市来鶴丸城
2014年09月03日
市来鶴丸城は鹿児島を代表する中世城郭で、江口川下流右岸、標高106mの城山を最高地点とするシラス台地にあり、およそ南北に600m、東西に500m、面積20万平方メートル、鶴丸城と呼ばれる曲輪群と御惣坊城と呼ばれる曲輪群から成り、中世末には市来城本城と呼ばれていました。
市来鶴丸城は、平之城、番屋城、大根城、古城等と呼ばれている曲輪群と共に市来城を構成していました。「古城主由来記」等には13世紀初頭、市来家房が最初の城主と記されています。
他の古文書によれば、建武4(1337)年、市来院司系惟宗姓市来氏で御家人であった市来時家と島津貞久の子・川上頼久がこの城で合戦したと記されています。
その後この城は15世紀半ば頃には守護島津家領となり、15世紀末に島津薩州家領となりました。
天文8(1539)年、島津相州家から戦国大名となった島津忠良・貴久領となりましたが、16世紀末に役目を終え中世の山城としての役割を終え廃城となりました。
天文19(1550)年6月、イエズス会の宣教師ザビエルが鹿児島から平戸へ向かう途中、この城に滞在し、同年8月、再度平戸へ向かうため市来湊から乗船するため当城に12日間滞在しました。
ザビエルは、島津貴久の家臣で既に鹿児島で洗礼を受けた新納康久の家老ミカエル(ミゲル)と再会し、康久の妻等と17人の家臣を入信させました。記録によると県内でザビエルが宿泊滞在したのが確実なのはこの城だけです。
永禄4(1561)年、アルメイダが貴久に招かれ鹿児島へ行く際、市来湊に上陸し市来鶴丸城に立ち寄り、帰りにも10日間滞在し、康久の長男、次男を含む80人を入信させミカエルを激励しました。アルメイダは「この時市来城内は深い堀で分断され、相互に相当離れた曲輪から構成されており、曲輪間の移動には高い跳ね橋を渡らなければならなかった」と記していて、壮大な城であったことがうかがえます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.20
住所: 鹿児島県日置市東市来町長里
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