旧唐人屋敷内土神堂(長崎市)
旧唐人屋敷内にある地主神を祀る土神堂
2015年01月13日
江戸幕府は、一般の日本人と外国人との交流を避けるため、オランダ人(当初はポルトガル人)の住居は出島、唐人の住居は唐人屋敷と定めました。
唐人屋敷は、元禄元(1688)年に密貿易を取り締まるため長崎村十善寺郷のこの地、現在の館内町のほぼ全域に造成され、元禄2(1689)年4月に完成しました。これ以降、唐人の市内居住は禁止されました。敷地は8,015坪(のちに9,373坪余に拡張)で、煉塀と矢竹来で二重に囲まれ、出入口には大門と二の門が設置され、この二重の門により人の出入りが厳しく制限されていました。二の門より中は、遊女のほかは役人であってもみだりに入ることは許されませんでした。
2階建の瓦葺き長屋が20棟あり、2,000人から3,000人の中国人を収容することができたといわれています。
安政6(1859)年、日本が開国すると、来航した唐人たちは、大浦の外国人居留地や新地・広馬場などへ住むようになりました。
明治元(1868)年に唐人屋敷は解体され、現在、跡地は市街地になっています。
地主神を祀る土神堂のほか、東西の隅に天后堂が、東北の隅に観音堂(関帝堂)が祀られています。福建会館は唐人屋敷廃止後の明治後に建てられました。
土神堂は、土地の神である土神を祀ったお堂です。元禄4(1691)年に唐船の船主らの願いにより建てられました。
天明4(1784)年の大火で焼失し、のち再建され、以後数回にわたり改修されました。昭和25(1950)年、老朽化及び原爆の被害を受けたことから解体され、石殿だけが残っていましたが、昭和52(1977)年に再建され、現在に至っています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.12.27
住所: 長崎県長崎市館内町16番17号
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