御殿林(庄内町・旧立川町)
戊辰戦争で庄内藩と新政府軍の戦いになった御殿林
2015年05月20日
幕末の志士、清河八郎の誕生の地として知られるここ清川には、荘内戊辰戦争清川口古戦場となった御殿林があります。清河神社の敷地内に説明看板が立っています。
慶応4(1868)年、総督府(奥州鎮撫総督九条道孝)は、荘内追討を布令しました。副総督沢為量・参謀大山格之助(薩)のひきいる政府軍は、4月14日岩沼を発し、笹谷峠ー山形ー天童ー尾花沢ー新庄ー本合海を経て、24日未明土湯に上陸し、早朝清川腹巻岩を占拠しました。ただちに政府軍は、腹巻岩山上より清川村に対し、攻撃を開始しました。これに対し荘内軍は、かねてからこの事あるを察知し、布陣しており松平甚三郎を総大将に、水野弥兵衛を士大将として、御殿林を中心に、ただちに応戦しました。しかし、政府軍の急襲により苦戦となり、婦女子は狩川に避難しましたが、午後には援軍が到着し、奇襲戦法なども功を奏し、戦況は逆転した。午後3時頃、荘内軍は腹巻岩の要地を奪還し、政府軍を撃退しました。
激戦の結果、荘内軍戦死者13名、負傷者18名、政府軍戦死者12名、負傷者50名余といわれています。
明治26(1893)年8月9日俳人正岡子規は清川に立寄り、御殿林が戊辰戦争の戦跡と聞いて次の句を詠んでいます。
「蜩の二十五年も昔かな」
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.5.3
住所: 山形県東田川郡庄内町清川上川原
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