新庄城(新庄市)
江戸時代新庄藩戸沢氏の居城だった新庄城
2015年05月22日
新庄城は、寛永2(1625)年、新庄藩初代藩主戸沢政盛が築いた城です。
藩主戸沢氏は元和8(1622)年に最上郡と村山郡の一部に移封された当初、真室城(鮭延城)に入城しましたが山城で手狭なことから、新たな居城として新庄城を築きました。
創建時の新庄城は、本丸中央に3層の天守閣、3隅に隅櫓、表御門・裏御門を備え、二の丸は役所や米倉、大手門・北御門を有し、三の丸には多数の侍屋敷を区画した堂々たる近世城郭でした。
新庄藩は最上郡一円と村山郡の一部、6万石(後に6万8200石)を領しました。
藩主戸沢氏は元和8(1622)年から明治初年まで、11代250年にわたり、この城を拠点として藩政を展開しました。
慶応4(1868)年7月、新庄城は庄内勢に攻められ、黒煙を吐いて焼け落ちました。明治に入って、新庄城は廃され、跡地は新庄学校・勧業試験場・招魂社・郡会議事堂などの敷地として利用されました。
現在は、最上公園となり戸澤神社、新荘護国神社、新荘天満宮などが建っています。
戸澤神社は、新庄藩主戸澤家の始祖戸澤飛騨守衡盛公と新庄藩移封当時の藩主戸澤右京亮政盛を祀る神社で明治27(1894)年5月に鎮座創立されました。
護国神社は、旧新庄藩主戸澤正實公が、家臣の勲働を追憶し、明治4(1871)年設けた招魂場を、大正4(1915)年、城内に遷座し、昭和14(1939)年に新荘護国神社と改称したものです。新荘天満宮は、元和8(1622)年、戸澤政盛が常陸松岡から新庄に移封され、寛永5(1628)年に城内の西南に遷座しました。社殿は2代正誠公の寛文8(1668)年に再建されたものです。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.5.4
住所: 山形県新庄市堀端町6
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