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延沢城(尾花沢市)

野辺沢(延沢)氏の居城・延沢城
2015年05月23日
カテゴリ : 山形県 > 観光 > 建物・史跡
延沢城は、元和8(1622)年までは野辺沢城と書き、またの名を霧山城ともいいました。
初代野辺沢(延沢)薩摩守満重、二代能登守満延、三代遠江守康満(光満、光昌)2万7千石の居城です。
標高297m、連郭式の典型的な山城で、初代城主満重が天文16(1547)年に築城し、本町館より移ったと伝えられています。山頂には本丸、二の丸を構え、麓の三の丸には南館と家中屋敷、三日町には大手、六沢には搦手の大門(四脚門)があり、惣構の縄張りです。
本丸は東西110m、南北70mに及ぶ広大な曲輪で、北面には高い土塁を巡らし、東南面には低土塁の跡と、東端と南端には櫓台跡が残されています。北面の土塁の開口部は桝形門で、門を降りた大手曲輪は二の丸です。二の丸の南西にも桝形の大手門、東は虎口の搦手門を開き、二段の帯曲輪に連絡しています。この帯曲輪の北面には、幅20mを越す巨大な堀切があります。東端に天人水と呼ばれる池があり、初代城主満重と天女のロマン伝説があります。
建造物は寛永13(1636)年9月、山形藩主保科氏の延沢城諸取記録には、本丸には付書院造りの主殿、二の丸には四軒の家屋があったとみられます。付書院、桝形門、城門、土塁の構造、惣構という城郭遺跡には、近世初期の改修を思わせます。
野辺沢(延沢)氏は、天正12(1584)年の天童合戦以降、最上義光に従い城将として活躍しました。
元和8(1622)年8月、山形最上家の改易により野辺沢家も連座し、延沢城も幕府に没収されます。城主康満(光満、光昌)は、熊本に預けられました。
その後、寛文7(1667)年になって幕府の手によって破却されました。
なお、本丸跡には、県指定天然記念物の大スギがあります。樹高26m目通りの幹周り7.35m、樹齢100年と推定されています。
(現地説明板より)
城跡は、常盤中学付近から登りました。

Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.5.4
住所: 山形県尾花沢市大字延沢

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