函館要塞〔津軽要塞〕(函館市)
函館山に建設された函館要塞〔津軽要塞〕
2015年08月05日
函館要塞は、明治28(1895)年の日清戦争終結後に、日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に、明治31(1898)年から約4年間を費やして函館山に大小4ヶ所に砲台が建設されました。
他の多くの要塞が軍港を守ることを目的にしたのに対し、函館要塞は商業港である函館港を守るために建設されました。
日露戦争開戦後、津軽海峡でロシア艦隊が日本の船舶に損害を与えましたが、射程外であることから要塞からは一発の砲撃もされませんでした。しかし、要塞の存在により函館港は攻撃されませんでした。
その後、大砲は撤去されましたが、大正に入り、米国を仮想敵国とし、海空の攻撃から函館と青森の両港を守り、津軽海峡における敵艦隊の通航を阻止するため、津軽要塞として再整備されましたが、戦闘機を相手とした実戦では役に立たず、函館は空襲に遭い甚大な被害を受けました。
函館要塞建設直後の明治32(1899)年に要塞地帯法が制定され、敷地は保安林も含め、御殿山、薬師山、千畳敷、谷地頭付近の約16万坪が陸軍省の所管となり、昭和21(1946)年5月の開放までは、一般市民の立入りはもちろん、写生、撮影ならびに測量などが一切禁止されました。
現在も函館山の各所に地下壕跡などが残されています。
(現地説明板などより)
平成27(2015)年6月13日放送のNHK「ブラタモリ」で紹介されました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.7.16
住所: 北海道函館市函館山
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