鳶ヶ巣城(出雲市)
宍道氏の居城で尼子氏と毛利氏の攻防の舞台となった鳶ヶ巣城
2016年05月17日
我が国の戦国時代に中国地方の覇権を獲得しようとする戦いの中で、鳶ヶ巣城は大きな役割を果たしていました。
天文11(1542)年、大内氏、毛利氏の連合軍は、尼子氏が拠点としていた富田城(現広瀬町)に進攻しました。
しかし、2年間にわたる戦いの末、大内氏、毛利氏の連合軍は、尼子氏に敗退しました。
このとき連合軍の中にあった鳶が巣城も落城し、城主の宍道隆慶は一族とともに長州(山口県)に逃れました。
それから20年後の永禄4(1561)年、大きな勢力となった毛利元就は再び尼子氏攻めに出撃しました。宍道隆慶も毛利元就の武将として出雲に進攻しました。
翌年、毛利氏は鳶が巣城を乗っ取り、宍道隆慶、政慶父子を城主とし、尼子氏攻略の拠点としました。4年間に及ぶ戦いの末、尼子氏拠点の富田城は落城しました。出雲平野を挟んで、鳶が巣城と戦った南山の米原氏(尼子方)の高瀬城(現斐川町)も落城しました。
こうして出雲の国は、完全に毛利氏が制するところとなりました。 宍道氏は、この2つの戦いの功績から、出雲北山一帯の武将を支配する地位に任命され、その後40年近く城下及び領地の経営に力を尽くしましたが、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いがおこり、西軍豊臣方に属した毛利氏は破れ、その配下であった宍道氏も毛利氏に随行して、萩(山口県)に移り、鳶が巣城は廃城となりました。
主郭には、宍道政慶公の碑が立っています。南2郭からは出雲平野が一望できます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H28.5.3
住所: 島根県出雲市東林木町
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