山科本願寺跡(京都市山科区)
土塁跡が山科中央公園によく残る山科本願寺跡
2017年04月19日
山科本願寺跡は、土塁跡が山科中央公園によく残っています。
文明10(1478)年に浄土真宗中興の祖である蓮如上人により造営が開始された寺内町です。寺域は南北約1km、東西約0.8kmにおよび、周囲には防御施設として土塁や濠が巡っており、寺域内は主要な堂舎がある「御本寺」、家臣や僧侶が生活する「内寺内」、寺に関わる職人・商人などが生活する「外寺内」の3つの郭で構成されていました。
「寺中広大無辺にして、荘厳さながら仏国のごとし」と言われるほど、繁栄していたことが想像できます。しかし天文元(1532)年に細川晴元が率いる法華宗徒と延暦寺、近江守護六角氏の連合軍により、焼き討ちにあいます。
昭和48(1973)年に団地の建設に伴い、山科本願寺の北東部では山科本願寺における最初の本格的な調査が行われました。
「御本寺」と「内寺内」を限る南北方向の土塁と平行する濠や「御本寺」と「内寺内」をつなぐ道路や、石垣、鍛冶場、石組みの井戸が見つかりました。またこれら上面に堆積していた焼土や灰は、山科本願寺が焼き討ちにあったことを裏付ける証拠となりました。
これまでの調査成果で、土塁の造成の様子や中枢部である「御本寺」西側に庭園や石風呂などの施設のほか、全国的にも珍しい工芸品なども出土し、その重要性がより一層明らかになってきました。
また寺域を巡る土塁は一部現存しており、その姿を今も目にすることができます。
中でも山科中央公園に残る土塁は、「内寺内」の北東角にあたり、東西75m、南北60mにわたって残っており、当時の状況をよく留めています。
平成14(2002)年には蓮如の隠居所としてつくられた南殿とともに、国史跡に指定されています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H29.4.9
住所: 京都府京都市山科区西野阿芸沢町
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