蓮華寺(鴨川市)
小松原法難ゆかりの宗門史跡・蓮華寺
2017年08月15日

蓮華寺は、山号は花房山、日蓮宗の寺院です。小松原法難ゆかりの宗門史跡として知られています。
日蓮聖人は建長5(1253)年4月28日、清澄山上で初めて南無妙法蓮華経と称え、念仏宗は無間地獄に落ちる法、諸宗は仏の真実の教法ではないと説いて、山の大衆を怒らせましたが、ときに座にあった地頭東条左衛門尉景信は憤怒の余り聖人を斬ろうとしました。幸い師匠道善房の取りなしで危うきを逃れ裏山づたいにここ、西条花房蓮華寺内の青蓮房に難を避けられました。
丁度このころ、寺内の阿弥陀堂の開堂供養がありましたが、ここに招かれた聖人は重ねて念仏信仰を批判し諸宗無益の法門を説かれたため腹を立てた一座の人々は聖人を暗殺しようとはかりました。急を知らされた聖人は安房を逃れ鎌倉に登り松葉が谷に草庵をむすび、ここを本拠として折伏逆化の鼓を打ち鳴らされました。然るに法華経を弘めれば必ず諸難が競い来るという経文の教えの如く怨嫉忽ち至って杖木瓦石の難をこうむり、松葉が谷草庵を焼打され、伊豆に流罪されるなど諸難に遭われますが、弘長3(1263)年、2月に流罪を許され鎌倉に帰られました。翌文永元(1264)年秋、母を小湊に見舞われてのち再びこの地に帰り、9月22日には蓮華寺の住僧浄円房のために、「当世念仏者無間地獄事」という書を著しこれを与えられています。11月11日、天津の領主工藤左近丞吉隆の請いを受け天津におもむく途中、東条小松原の大路で東条景信の手の者100人の邀撃をうけ、供をしていた鏡忍房は討死、弟子数名は重傷、急を知って救援に馳せつけた吉隆も奮戦しましたがついに毒刃に倒れ、聖人も頭に疵をうけ、すでに危うい状態でしたが不思議にも難をまぬがれ、再びこの地に潜まれました。小松原法難です。その時の疵養生をされたのがこの前方にある「疵洗い井戸」であるといわれています。
14日には師の道善房がひそかに見舞いに来られ聖人は12年ぶりに対面されましたが、この時聖人は道善房に弥陀信仰をすてて法華経を信ぜられるよう強く諫められました。この時師の坊は不快の様子でしたが、後の文永5(1268)年〜文永6(1269)年頃法華経を持ち7月頃に釈迦如来像を造立されました。このことを聞いた聖人は「いますでに日蓮、師の恩を報ず」と喜ばれています。
日蓮聖人700遠忌の報恩事業として本堂と庫裡を整備。また誕生寺にあった祖師像を修復・遷座し、昭和59(1984)年落慶法要が営まれました。
門前には、日蓮聖人御疵洗之井戸があります。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.15
住所: 千葉県鴨川市花房1236
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