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勝浦城(勝浦市)

勝浦正木氏の城・勝浦城
2017年08月28日
カテゴリ : 千葉県 > 観光 > 建物・史跡
勝浦城は、天文11(1541)年の頃、勝浦正木氏の初代、正木時忠が入城しました。それ以前は、真里谷武田氏の砦のようなものであったろうと言われています。その後、二代時通、三代頼忠の居城となります。しかし、天文18(1590)年、豊臣秀吉により安房里見氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交のあった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れます。なお、頼忠の娘は、後に徳川家康の側室(お万の方)となり、紀州徳川頼宣と水戸徳川頼房をもうけます。高名な水戸光圀(黄門)は、お万の方の孫にあたります。また、絶壁を布を伝わって下りたという「お万布ざらし」伝説は、神社裏の断崖絶壁が舞台です。
養珠院於萬の方は、天正5(1577)年4月4日、上総国勝浦城主正木左近大夫頼忠の娘として勝浦城(現在勝浦市浜勝浦八幡)に生まれました。本名を萬といいました。
天正18(1590)年6月、豊臣秀吉の小田原城攻略に関連し勝浦城は落城、当時14歳の於萬は海路伊豆韮山へ逃れました。炎上する城を後に幼い弟を背負い、母と40mもある八幡岬の断崖に白布を垂らして海に下り小舟に乗って逃れたという話は、「お萬の布ざらし」として言い伝えられています。
その後、母が伊豆の土豪蔭山氏と再婚をした機会に、徳川家康に沼津本陣で見染められた於萬は、江戸城に召されて家康の側室となりました。文禄2(1593)年10月22日、17歳の時だったといいます。江戸城では於萬の方、蔭山殿と呼ばれました。慶長7(1602)年3月、京都伏見で長福丸(後の紀伊徳川家の祖頼宣)を生み、さらに慶長8(1603)年には、駿河で徳千代(後の水戸徳川家の祖頼房)を生みました。紀伊家、水戸家は共に徳川御三家として名高く、又水戸黄門の逸話で知られる水戸光圀は頼房の子であり於萬の方の孫にあたります。
元和2(1616)年家康が死去した時、40歳の於萬は仏門の人となりました。
法華教に帰依した於萬は諸寺を建立しましたが、匝瑳市(旧八日市場市)の飯高寺(飯高檀林堂)もその一つです。
生涯は仁慈貞潔のことば通りで、家康によく仕え、子弟の教育に尽くし、信仰の心篤く、病める者には医薬を恵み、貧しい者には依財を与え、刑罰にあう者には命乞いを行うなど数々の優れた業績を残したが、晩年は落飾して蓮華院と号し承応7(1653)年8月22日、享年77歳の生涯をとじました。
城が存在した場所は現在、八幡岬公園となっています。養珠院夫人の銅像が建っているほか、「養珠夫人生誕地・勝浦城址」の石碑が八幡神社参道入口に建っています。
(現地説明板などより)

Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.15
住所: 千葉県勝浦市浜勝浦

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