内裏屋敷跡(長野市・旧鬼無里村)
鬼女紅葉伝説の紅葉が住んだとされる内裏屋敷跡
2018年01月15日
貞観8(866)年、伴大納言善男は応天門を放火したという冤罪で、伊豆の小島に流されました。
大赦によって会津に住み、その子孫に笹丸という男がいて妻の菊世と仲むつまじく生活していました。
しかし、子宝に恵まれず第六天魔王に子授けを祈り、その甲斐あって承平7(937)年の秋に女子を出産し、呉葉と名付けました。生まれつき利発で、希に見る美貌で、父笹丸は天の恵みと喜んで呉葉の一家は京の都に上りました。呉葉は名を紅葉と改め、四条通に住み琴を教えて暮らしを立てていました。
天暦7(953)年6月の夕暮れ、琴の音が源経基の御台所の耳にとまり腰元に召されました。天性の美貌と才知で局となり経基の愛を一身に受けて子を宿しました。その頃御台所が病の床に伏し快方祈願に明け暮れました。その病は紅葉の呪いによると噂が広がり経基は思案の末水無瀬の山に流しました。
深山に追いやられた紅葉一家は裾花川を下りたどり着いたのがこの地根上り集落「内裏屋敷」でした。里人たちは紅葉を敬慕し住まいをつくり世話し、紅葉もまた人々の病を治し京の文化を伝え、読み書きを教え、都を偲び近在の集落を東の京、西の京、加茂、春日、二条、三条、五条などとよび遠い都への夢を増しゆく日々でした。都恋いうる情念がときに鬼と化し、悪事を働き荒倉山の岩屋に住む女賊が都を狙っているとの噂が京まで伝わり、女賊退治のため信濃守に任ぜられたのが平維茂でした。
幾度か紅葉に屈した維茂は別所北向観音に十七日の参籠をなし必勝を祈願し紅葉の妖術を破るべく降魔の剣を拝し荒倉山に向かいました。一方紅葉の軍勢は摩利支天の妖術を頼みとしてこれに立ち向かう大炎を吹いて抵抗する紅葉でしたが、維茂金剛太郎の一刀は紅葉の胴腹をえぐり、首は天空高く舞い上がりいずくともなく消え去ったといいます。
時まさに安和2(969)年10月25日、紅葉33歳でした。
10年間女盛りを住んだこの地を里人は今も内裏屋敷と称しています。また紅葉無きにより鬼無里に変わったとも伝えられています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H29.12.31
住所: 長野県長野市鬼無里日影
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