菅原神社〔藤川天神〕(薩摩川内市・旧東郷町)
菅原道真が余生を送ったと伝えられ、「臥龍梅」と「西郷どんのツンの像」で知られる菅原神社〔藤川天神〕
2018年03月23日

菅原神社は、一般に藤川天神と呼ばれ、学問の神様として人々に慕われている菅原道真公をお祀りしてあります。
延喜元(901)年、藤原時平のそしりにあい、右大臣(現在の副総理)から太宰権現(九州政庁の副長官)に左遷された菅公は、その後も藤原時平の陰謀を恐れて大宰府で病死をよそおい、ひそかに舟で薩摩に下り、此処、藤川北野で静かに余生をおくられたと言い伝えられています。
神社は、道真公が亡くなられて間もなく建立されましたが、天正15(1587)年豊臣秀吉軍の兵火により社殿その他を全焼、正保4(1647)年島津久光公が再建、文化13(1815)年大改修がおこなわれ、明治35(1902)年には村をあげて菅公一千年祭が盛大に執り行われました。昭和58(1983)年本殿を大改修、平成9(1997)年には拝殿並びに参道の改修を行い今日に至っています。
第二鳥居の北側の石垣の囲いは、菅公の墓所と伝えられ、臥龍梅は、道真公が自ら植えられた一本の梅から繁茂したと伝えられており、淡い紅色で八重咲きの花を咲かせます。毎年、2月上旬頃から咲き始め、2月25日の春祭の頃には満開になります。
その成長には特徴があり、老木になると枝が四方に傾いていき、地面と接した部分から根付いて新たな子株となります。「臥龍梅」の名称は、この成長の様子が、地に伏せた龍のように見えることに由来しています。その後、子株は成長を続け、親株との連結部が土に埋もれることで独立していきます。
臥龍梅を植えたとされる菅原道真は、宇多天皇の「寛平の治」を支えた後、藤原時平の陰謀により、続く醍醐天皇への謀反の疑いで、太宰府へ左遷され、延喜3(903)年2月25日、左遷先で亡くなったというのが通説ですが、この死は、時平による暗殺から身を隠すために装ったもので、密かに太宰府を離れていたという説もあります。
この地では、後者の説が伝えられており、太宰府を脱出した道真は、出水海岸に上陸後、阿久根田代から湯田口を経て藤川に到着し、余生を送ったとされています。
神社の境内には、道真にお供して当地入りし、終身節を尽くして瞑目したとされる白太夫の石碑があり「白太夫之墓」の刻印があります。
「梅が香も かたじけなさも身にしみて おぼえず 袖に散る涙かな」
これは、天保8(1837)年、薩摩の歌人、八田知紀が藤川天神に参拝した時の献歌です。
「藤川天神の臥龍梅」は、昭和16(1941)年10月3日、国の天然記念物に指定されています。
境内には「西郷どんのツン」の銅像があります。体高60cm、体長80cmでほぼ等身大で、日本芸術院会員の中村晋也鹿児島大学教授が制作しました。
明治7(1874)〜明治8(1875)年頃、藤川天神に参詣の西郷どん(西郷さん、西郷隆盛)は、藤川牧野の前田善兵衛が飼っていた名猟犬のツンを見て懇望しました。ツンは虎毛の左尾の牝犬で兎狩りの逸物でした。三原隼太なる人を経て贈られた西郷どんは喜び、自分の乗馬を三原に与え、前田には金20貫を与えました。その後ツンははるばる藤川を慕って二度も帰ったと言い伝えられています。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の放映を機に平成2(1990)年2月、110年を経て「ツンの像」が建てられました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.1.31
住所: 鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川1767
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