青蓮寺(多良木町)
阿弥陀堂は国指定重要文化財・青蓮寺
2018年04月09日

青蓮寺阿弥陀堂は、上相良三代頼宗が永仁3(1295)年に初代頼景公菩提のため、黒肥地の亀田山に創建したと伝えられています。相良氏の伝承では、鎌倉時代初期の建久4(1193)年、遠江国(今の静岡県西部)相良荘の武士である相良頼景が多良木に下向し、その5年後に頼景・長男の長頼が人吉荘に下向してきたことで、多良木相良(上相良)と人吉相良(下相良)と呼ばれる二つの相良家ができたとしています。
両家は南北朝時代には数度にわたり抗争し、室町時代中頃の文安5(1448)年になると相良一族の永富長続が人吉相良を継ぎ、多良木相良を滅ぼして相良氏を一統とし球磨郡にまとめます。
戦国時代になると芦北郡や八代郡に進出し、人吉城と八代城を本拠に肥後国南半分を領地とする大名に成長しました。
関ヶ原合戦を生き残った相良氏は、明治維新まで球磨郡の領主として存続しました。多良木下向から674年間、同じ地域に領主として存続した数少ない武家の一例です。
多良木相良3代目の頼宗は、九州相良家の初代となる曾祖父頼景の供養のために、永仁3(1295)年にその埋葬所に阿弥陀堂を創建し、3年後には頼景夫人の青蓮尼の位牌所として青蓮寺を建立しました。現在重要文化財となっている青蓮寺阿弥陀堂は、560年前の室町時代中頃に再建された御堂で、広さ10m×10m、茅葺き屋根の高さは13m、軒高は約4.48m、軒より棟まで高さ約7.58mあり、県内最大の茅葺き堂です。国指定重要文化財になっています。
堂内は内陣、外陣に別れ、柱は内外すべて丸柱です。
木造地蔵菩薩立像は、熊本県指定文化財になっています。外陣右奥の地蔵菩薩立像は、正応元(1288)年に造られた像高155mの木像です。明治まで深田の荒茂山勝福寺にあった仏像で、廃寺によって青蓮寺に安置されたと伝わっています。
阿弥陀堂背後の斜面にある石塔群は、相良頼景などの相良氏一族の供養塔や住職の墓石で、五輪塔78基、石塔婆22基が立ち並んでいます。多良木町蓮花寺跡古塔碑群や人吉市願成寺の「相良家墓地」とともに相良氏の永い歴史を証明するものです。
五輪塔群の中の1基には、北方涅槃門の地輪中央に刻まれた梵字(不空成就如来の種子)の右に「蓮寂」という追刻が見られる。蓮寂は、建久4年(1193)、遠江国相良荘(静岡県棒原郡相良町)から肥後国多良木村に下向した相良頼景の法名であり、この五輪塔は頼景の墓と伝えられます。
このほうか、いずれも無銘のため確証はありませんが、青蓮尼(頼景の妻で、土豪須恵氏の娘)、上相良第2代頼氏、第3代頼宗、第4代経頼、第5代頼仲、第6代頼忠、第7代頼久、そして文安5(1448)年、下相良第11代長続に滅ぼされた第8代頼観らの墓もあるといわれています。青蓮寺古塔碑群として熊本県指定史跡になっています。
平成6(1994)年から3ヶ年にわたり大改修が行われ、当時の姿に復元されました。
日本遺産人吉球磨の構成文化財になっています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.2.1
住所: 熊本県球磨郡多良木町黒肥地3992
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