生善院(水上村)
生善院は、謀反の疑いにより非業の死をとげた普門寺盛誉と、その後を追って死んだその母玖月善女を祀るために、寛永2(1625)年に人吉藩主相良長毎によって創建されました。
天正10(1582)年、相良藩への謀反を企てているという嘘の訴えにより、湯山佐渡守宗昌とその弟で普門寺の盛誉法印が殺されることになりました。その話を聞いた宗昌は日向へ逃げましたが、寺に残った法印は殺され、寺も焼かれてしまいました。無実でありながらわが子を殺された法印の母、玖月善女は愛猫玉垂を連れて市房神社に参籠し、自分の指を噛み切ってその血を神像に塗りつけ、 玉垂にもなめさせて、末代までも怨霊になって相良藩にたたるように言いふくめ、茂間が崎というところに身を投げて死んでしまいました。すると、相良藩では、猫の怨霊が美女や夜叉に化けて藩主の枕許に立つなど、奇々怪々なことが次々に起きました。藩では霊をしずめるために普門寺跡に千光山生善院と名付けて寺を建立しました。現在の本堂も観音堂も、その時に建てられたものです。
法印の命日である3月16日に、藩民に市房神社と生善寺に参詣するように命じ、藩主自身もそうしたので、怨霊のたたりはしずまったと伝えられています。
この玖月善女の愛猫伝説から「猫寺」とも呼ばれています。堂内の須弥壇や厨子も当初のものです。生善院観音堂は、堂内の金箔や極彩色の厨子や須弥壇、あるいは堂の内外を漆塗りとした霊屋的な意匠を持つ点が特徴です。保存状態もよく、豪華な造りで、球磨地方の江戸時代前期の代表的建造物として価値は高いです
日本遺産人吉球磨の構成文化財になっています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.2.1
住所: 熊本県球磨郡水上村岩野3542
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