上杉景勝の本陣付近で、大坂城と共通の刻印石の石垣がある八剱神社
2018年05月25日
八劔神社は、応永3(1396)年の創祀と伝えられ、八劔大明神・武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)・罔象女大神(みづはのめのおおかみ)を祭神としています。鴫野村住民の夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡を此の地に垂れんと欲す。明日汝等出て来て吾を淀川の辺に迎えよ」とのお告げがあったので、翌日、村民十数人を呼んで河辺に来ると小蛇が陸に上がって行ったそうです。その姿は大変悠々としていて、一同がこれに従って行くと、小蛇は川を越えて当地に入り、その留まったところに小さな祠を建てて祀ったとされています。
慶長19(1614)年11月26日に起きた大坂冬の陣「鴫野・今福の戦い」は今の城東区域が戦場になりました。八剱神社の鎮座する鴫野村には徳川方の上杉景勝が布陣しています。
大坂城は翌年の大坂夏の陣で落城し、5年後の元和6(1620)年、徳川幕府は新たな大坂城の再築を始めました。工事は秀吉築造の城を盛土でおおい、改めて石垣を築き直す大規模なもので、石垣は将軍の命を受けた諸大名によって築かれました。水運にめぐまれていた鴫野村は各地から運ばれた石材の集積場となり、工事完了後使われずに残された石材は、付近の護岸石垣として利用されたり、村に下げ渡されたりしたと考えられます。
八剱神社の石垣は、この大坂築城用の石材を転用したとみられ、いくつかの石で確認される刻印は、今の大坂城の石垣に見られる刻印と特徴が共通しています。刻印とは石垣築造の過程で彫られた符号で、今の私たちに豊臣・徳川両家の大坂城をめぐる攻防の歴史、築城にたずさわった人たちの苦労や息づかいを伝えてくれています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H30.4.28
住所: 大阪府城東区鴫野東3丁目31番8号