立入城〔新川神社〕(守山市)
野洲川の左岸にあった平城・立入城〔新川神社〕
2023年07月12日
立入城は、野洲川の左岸にあった平城です
松田秀興がこの地に城を築き、立入氏を称したとされています。秀興の子・立入宗康から皇室の食料や費用を預かる御倉職に任ぜられ、その職は宗康-宗長-宗継と続きます。
立入宗継は、応仁の乱以降の掠奪や横領により荒んだ御料所の回復や京都御所の修営を依頼するため、織田信長に上洛を促したことで知られています。
新川神社境内に土塁が残っています。
<新川神社 由緒>
この辺りの人の営みは縄文の終わり頃になります。
野洲川は、ほぼ現在と同じ流れで、弥生・古墳時代へと時移り、川や水の流れを求め、蓼が繁茂した安河へ入って(タデ入)糧を得、狩猟や農耕を行う人々が、ムラを創り、恵と共に生活に危険を齎す水への恐怖から、水神信仰が生まれ、そこに神が居まし所、磐座が作られたのがはじめとされます。
新川神社と称するようになったのは、白鴎元(673)年、物部大川尊を勧請し、霊亀2(716)年、新川小楯比賣命、建新川命を合わせ祀り、新川大明神と号しました。
野洲と幸津川二邑に分祀後、上新川社と称しました。
平安中期(900年頃)の全国の年中儀式や制度を纏めた「延喜式」が編纂され、中でも「延喜式神名帳」は3,132の神社が収録され、当社は東山道近江国野洲郡九座の一社で、この延喜式内社は、野洲川沿いに鎮座し、川の氾濫から郷や人々を守る司水神として崇められました。
祭神小楯比賣命は、川水の幸として祀られる水神・ 川の神の祖神とされる女神です。
貞観11(869)年には朝廷より、神階正五位が授けられた名社で、隣接する東福寺は新川大明神の神宮寺で、神仏合せ尊崇する麗しき立入の郷で、室町から戦国にかけて活躍した、郷土の偉人「立入宗継公」の数々の事績に顕れています。社殿は幾多の水害や争乱などで消失しましたが、明治11(1878)年再建されました。また、拝殿横に建つ神饌所は、昭和の御大典の悠基殿の建物を移築したものです。境内には脇宮として、須佐之男神社・稲田比賣神社が配され、境内社として神明・豊受・松尾・日吉・住吉・熊野 ・愛宕・春日・八幡神社と多くの神様が祀られてきました。
Photo Canon EOS 5D Mark IV
R5.6.25
住所: 滋賀県守山市立入町123−11
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