建礼門院五輪塔(三好市〔旧三野町〕)
平家の伝説が残る建礼門院五輪塔
2024年10月24日

徳島県三好市三野町太刀野には、県道鳴門池田線の側に建礼門院のものと伝えられている五輪塔があります。
建礼門院とは、平清盛の次女「平徳子」の称号です。徳子は、承安2(1172)年高倉天皇の中宮になり、治承2(1172)年、後の安徳天皇を生み、寿永2(1183)年7月の平家都落ちには幼帝安徳天皇とともに同行、元暦2(1185)年3月、壇ノ浦(下関市)の海戦で入水、助けられて帰京の後は、吉田野津御所などを経て、大原寂光院(左京区大原草生町)に移って仏に仕え、建保元(1213)年12月13日、享年60歳を以てその生涯を全うしたこととなっています。
しかしながら、壇ノ浦(下関市)の源氏と平氏の海戦で、御生母建礼門院徳子とともに入水したと伝承される安徳天皇は、替え玉であって、実の安徳天皇は屋島の合戦に敗れて瀬戸内海を西走する一行から離れ、平国盛(教経)に伴われて海上を東に向かい、香川県の引田に上陸して讃岐山脈を西に向かい三野町と琴南町の県境「大川山(1042m)」を経て、三野町の馬瓶集落に下り、河内谷川沿いの川又集落を経て吉野川の北岸、ここ三野町太刀野に至り、更に吉野川を南岸に渡り、二手に分かれて三加茂町の鍛治屋敷から加茂谷をさかのぼったり、井川町の井内谷を遡上したりして四国山脈に分け入り、寒峰の鞍部を通って、秘境祖谷地方の大枝名に落ち延びたといわれる。
建礼門院徳子とて、幼帝安徳天皇を案じ、京にはいたたまれず、替え玉を残し女官とともに安徳天皇の後を追ってここ三野町太刀野に至りましたが、吉野川の洪水に渡川を阻まれているうち不幸にもご逝去、この地に葬られました。
一方、安徳天皇も秘境祖谷の地において無念にも崩御され、火葬に付されました。
平国盛(教経)らは、安徳天皇の御生母建礼門院徳子が眠っておられるお近くに帝の分霊を御祀りするべくここ三野町太刀野の地に到着、近くの松尾神社を仮の御奉安所とし、後に、背後の高台にささやかな陵(みささき)を築造安置して、ここに安徳天皇及び御生母の御安寧するところとなったと伝承され、村民心底から厚く御霊を崇拝し今日までの800余年間ひそやかに、しかし、我が子を思う慈母の証しとして守護信奉し至ったのです。
平成になり、我が国の平家琵琶演奏第一人者上原まり氏も参拝されるなど平家落人伝説を思慕する大方の要望に応えるべく太刀野老人クラブのボランティアによって参道及び周辺を整備するとともに案内板及び「由緒」を建立し、以て安徳帝及び建礼門院の御平安を祈念し奉る次第であります。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.9.28
住所: 徳島県三好市三野町太刀野
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