前回、二ツ小屋隧道を抜けました。
そもそも、何故パジェロとジムニー達はここで止まっているのでしょう?
何かあるのでしょうか?
5月も10日になろうというのに、出口には大量の積雪があり、先に進む事が出来ないためでした。
既に親方達、パジェロのおじさん達は先に進んだようで、いらっしゃいませんでした。
私も雪を乗り越えて先に進みます。
振り返って一枚。
二ツ小屋から少し離れました。
必然的に雪の上を歩きましたが、写真左下などをみると非常に雪被りの浅いところもあり、踏み抜きの危険もあります。
下の地形がどうなっているかわからないので、慎重に進みます。
路肩が一部崩落しています。
仮に雪がなくても、四輪車はこの先を通れない。ジムニーなら小柄だからいけるかもだが…。
コーンが立っており、安全に気を使われています。
この路肩崩落を扱った記事を見つけました。
平成28年(2016年)に起きたとの事で、つい最近こうなってしまった様子。
どうも、二ツ小屋隧道から流れてくる流水のせいでこうなってしまったらしい。
万世大路を守る会有志の手によって、水の流れを変えてこれ以上の崩落を防いでいるらしい。
ありがたい話です。
この先、橋が見えてきます。
名前を烏川橋。
明治時代に架けられたのち、昭和9年(1934年)に改修工事を受けています。
どちらも二ツ小屋隧道と同じ時期ですね。
改修後に大雪を受け続けて80年、既に欄干はボロボロ。
下には川が走っています。
釣り師の方や沢屋さんが訪れる事も多い様子。
ここのは写っていないが、親方たちもいました。
余談ですが、釣り師と沢屋は仲が悪いというのは有名な話。
こちらのサイト様をご覧になると面白いです…。
全ての親柱で唯一見える文字は「功」の字のみ。
竣功、なんでしょうね。
今一度、現在地を確認してみましょう。
1976年版の航空写真です。40年前のものですが、地形はほぼ同じです。
赤い文字が現在地の烏川橋です。ちゃんと橋の形が見えますね。
86は一番南のあたりに…。
この先をしばらく行くと、明治初期に日本一長い隧道だった、栗子隧道があります。
しかし、熊がいるぞと言われた事もあり、今回は栗子隧道まで5分の2というところで引き返しました。
写真は道中撮っていますが、代わり映えしないので省略。
途中で、スズキのキャリィが放置されていました。
さて、戻ってきましたが…
左右に上がりたいと思いますよね。
よいしょっと。
パジェロのおじさんたちが帰るのが見えます。
歴史を感じさせる、美しい二ツ小屋隧道山形側。
隧道内に流れ込んでいるのは、この沢が原因か。
万世大路を守る会の記事を読むと、白竜沢と仮称されているようです。
さて、ここが気合の入れどころです。
一つ間違えば、空いている穴に飛び込むアトラクションに強制突入です。
いい感じに流れています。
下からは、こうなっています。
この高さから間違えて落っこちる事は許されないでしょう。
段差がたくさんあり、とても痛そうです。
…なんとか通り抜けました。
別に無理せず、反対側からアクセスすればいいんですけどね。
生を実感出来ます。
コンクリートのフチを歩くのは危険すぎるので、高巻きして回避しました。
仮称、白竜沢。
ずっと山の上から下ってきています。
これを追う程の装備や技量はありませんので、ここからの撮影で。
美しい。
この穴は、隧道の中の明かり部分の穴です。
沢水が入り込んでいます。
中から見ると、こうなっています。
左の雪が、隧道の屋根を覆っています。
雪の上に乗ると、隧道の天井を突き抜けるかも?
隧道の真上を通って対岸へ行きます。
こんなところにも木がたくさん生えています。
手でつかめるものがあるので、心理的には安心です。
対岸から。
決壊している水路も、美しさを演出している要素の一つに見えます。
白黒写真も似合う。
改めて、隧道の前に。
正直、通行止にしないと危険なくらい巻立が落っこちています。
この状態を合法で通れるところは数少ないでしょう。
……別に通りたくないって?
では、親方の車に別れを告げて
また隧道の人になります。
天井、落盤の現場を改めて。
注意を喚起する人はいても、今後直す人は居るのでしょうか。
遠くない未来に、落盤が起きて埋まってしまってもおかしくありません。
壁の破け方も、半端ない。
フラッシュ焚くと、隧道自体が水浸しなのがお分かりになると思います。
そもそも、シャッター切るのが一苦労です。
入口、すなわち福島側まで帰ってきました。
二ツ小屋隧道福島側。
この近くに、明治天皇が行幸(視察旅行のようなモノ)された時の記念碑があるのですが、完全に見落としていまして見ていません。
次回探索時は見なければ…。
ところどころに、このような杭があります。
明治時代から終戦時まで行政を司っていた、内務省の「内」の字であるという説があるようです。
帰りに、バリケードにて通行止めだった分岐の方へ足を延ばしてみました。
おや。
根こそぎ、木が倒れています。
何故こうなったのか?
どうも結構長い間、このように生きている木のようです。
通行止めの原因と思われる暗渠。
この日は水の流れも無く、車も普通に通れそうでした。
もう少し歩くと、明治21年(1888年)に犯人を飯原分署へ護送した後、駐在所へ戻る途中の大雪で遭難して亡くなった森元巡査の慰霊碑跡がありました。
巡査はこの付近で亡くなったそうで、慰霊碑もこの場所に建立されましたが、廃道後はここから東にある新沢橋付近へと移設されました。
移設された為、階段と石碑跡のみがあります。
キリがないので、今回はここで切り上げて86の元へと戻ります。
前回も触れた、スキー場であった事を証明するリフト。
半世紀、ワイヤーを張ったままと思われます。
別記事で特集しましょう…。
追記:記事作成しました。
これから入っていくジムニーとすれ違いました。
ごく普通のジムニー、という感じです。
アクションカメラをヘルメットにつけたライダーもいらっしゃいました。
86の元へ戻ってきました。
(写真は、裏磐梯で撮ったやつだけど…)
近いうち、また万世大路に行きたいと思っています。
が、他にも行きたい所が多くて……。
次の所に行きましょう。
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Posted at
2017/06/23 00:18:48