先日、宮城県仙台市であるイベントが行われる運びとなり、参加してみたいと考えていました。
大した距離ではないので日帰り可能ですが、どうせなら1泊2日にしようと計画し、イベント前日は探索しようと再び金華山へ行ってみる事にしました。
正直、NSXが来てからは探索する時間や欲もあまり湧かなくなっています。
イベントがどのような内容であるかは、次のブログで紹介いたします。
もちろんそんな資金は全くありませんので、時間制限のある一般プランで目的地を目指します。
前回は鮎川港からの海上タクシーでしたが、今回は女川町のフェリー発着場からとしました。
新しめの建物で、快適です。ここで切符を購入します。
女川港。釣り人も多くいました。
駐車場。
無料です。
海上フェリーが着岸しました。
乗りこむ際、職員の娘さんと思われる女児達が切符確認の手伝いをしていました。
田舎ならではの牧歌的な雰囲気です。
さあ、出航します。
フェリーは、前回の海上タクシーと比べるとだいぶ快適です。
運転士の方のほか、ガイドの方が付く点も〇。
出発して間もなく、陸地に置かれた橋が見えます。
出島へ架ける橋の位置。
※GoogleMAPよりキャプチャ
出航して30分程でしょうか。金華山へ到着します。
さて、乗客全員が金華山黄金山神社を目指します。
3回参拝するとお金に困らなくなるそうですが、前回行ったので行きません。
俺は行きたい場所があるんだ…。
到着した写真もなく、色褪せた看板の写真だけ。
1時間半しか時間がないぞ、急げ~!
ここを上るわけ。
前回は崖登ってたから前情報は大切。
出たよ、金華山観光ホテル。
後回し。
まずは車から攻略。
ここはクラシックカー博物館。水平は正しいです。
トヨペット・コロナT40型(1964-1970年)の後期型だと思う。
こいつはここに残された5台のうち、ダントツで状態が良くて美しい。
竹の生命力はすさまじく、放置家屋の床から生えて屋根を突き抜けているのを見たことがあります。
錆びてパイの実のようにサクサクした鉄を突き破るのは容易のようです。
黄色、赤、青緑のいわゆるトリコロールカラーだったのでしょうか。
だいぶ賑やかです。
誰かにやられたのか?中、傷んでるなぁと思ったけど、確認したら前回もこんな感じだったみたい。
助手席のドア、手動ハンドル多いな。
三角窓とメインの窓用。
真ん中上部はドアを開け閉めするための手すり。
さすがにエンジンルームをがさごそする気にはならない。
哀愁漂うリア。かつてはホテルの顧客を金華山の港から運んでいたのでしょうか。
近くにいる6代目トヨタ・コロナ(1978-1982年)、T130型。
前回もそうでしたが、バッテリーのプラ部だけ新しく見えて怖い。
ぐしゃり。
前述のコロナよりも10年ほど新しいコロナのはずですが、状態は悪い。
テールランプはキレイ。
こっちはサイドのウインカー?サイドマーカー?からしてダットサン・サニーバンB210かな…。
1975年~。リアも潰れて状態は悪い。
2代目エルフ150と思われる、1968年~。
福島ナンバーですね。後ろにもナンバー付けたままです。
タンクは手書きで積載量等の記載があります。
そして少し離れた場所にいるバン。マツダボンゴのような雰囲気ですが、近づこうとしたら気づいてしまいました。
荷物置きに鱗が見え、やべーヤツが載っています。
アオダイショウでしょうか。退散します。
残るはホテル本体。前回よりも時間があるぞ。
お邪魔します。
この手の物件の中では、中はとてもきれい。
正面すぐ、宴会場。
眺めは最高ですね。
ちょっと洋館っぽい。
見上げると、上の階の様子も分かる。
客室はどうだろか。
宿ダー。
風呂場も木製のドアだったのか…。
風呂フタがあったりホースがあったり、なんだか宿というよりアパートみたいです。
まぁ、大浴場もあったしね。
居間は当時のような電話配置。
1Fもそうですが、土壁なのでボロボロ。
ハンガーなんかも使えそうね。
風通し良し。ここは昔から弱かったらしく、20年近く前の写真でもここは崩れていました。
恨めしげな視線を感じたら、また電話だった。こわ。
受付。
内部の黒板。
何故こういう所に来ると必ず「う〇こ」だの「ち〇こ」だの「〇〇〇」だの書いて偏差値の低さを証明する方がいるのでしょうか。
偏差値2くらいの言葉を書くことで日常感から解放されるんでしょうか。どなたか論文にして発表してもらえるとありがたいです。
書かれた日付が本当だとすると、15年以上前の落書きもありますし、つい最近のものもあります。
受付を出て各部屋のルームキーがたくさん残されている中、ふと地面に置いてあるものに気づいてしまったんですよ。
当時のパンフレットがあったことに…。
記載されている松島観光開発株式会社は、1959年(昭和34年)に日本三景である松島に巨大展望タワーを建築しようとしたものの紆余屈折があり、1964年(昭和39年)に当初予定の7割弱の高さで建設。
タワー建設中に東武鉄道が株式の2割を取得して系列となり、2001年(平成13年)に会社解散。
住所はホテル壮観と同じ。タワーは2002年(平成14年)に取壊されています。
ホテル壮観は2010年に大江戸温泉物語が運営権を取得。2023年現在も営業しています。
ある意味、金華山観光ホテルを間接的に楽しめるかもしれません。
驚くべきは金華山への運行船の多さ。
鮎川~金華山間を1日8便の記載がありますが、2023年現在は1日1便しかありません。
1980年代後半には閉業していたという記載を見たことがありますが、パンフレットの状態は非常に良かったです。
最初に見た宴会場は、真ん中下にある会議室だった様子。
椅子や電灯に面影ある。
和室は見上げて見えたところかな。
ちなみにパンフレットはそのまま置いて行っています。
船のガイドの方が「島にあるものは持ち返らないと昔から言われている」というようなエピソードを話していたので。
多分、そんなタブーはどこの離島でもあるでしょうけどね。まぁ、持ち返ってもどうしようもない。
あと、好事家のカメラ遺品が色々転がってました。
外に出た。
大浴場と渡り廊下。
一番壊れているのが、電話があった部屋。
床抜けが懸念されるので、2Fには行ってません。
ヤマビルが靴下の中に。忌避剤をかけても入ってきてやばい。血吸われました。
鹿が多い金華山ではマダニも懸念されますが、幸い会いませんでした。
よくまぁ、東日本大震災にも耐えています。
元気でな。
鹿、何匹いるんだろう。石垣が崩れているのが見えるけど、問題ないんだろう。
廃遊歩道。
今回は飛ばす時間ありませんでした。
帰りのフェリー乗り場に向かいます。
1日1便しかないので乗り損ねたら取り残されるわけですが、割とざっくりしていました。
前回の鮎川港行の海上タクシーは不在者に電話かけたりしていましたが、女川港行フェリーは「ん~、1人いないか?まぁたまにいるんですよ。居心地良いのかな。」と出航していました。
無事、女川港に戻ってきました。
向かいはシーバルピア女川というショッピングモールがあります。
震災後に復興したもので、建物全体が新しく、あか抜けた雰囲気があります。
同時に、基礎杭が抜けて横転した交番などの震災遺構も展示されています。
当時の金華山は意外にも津波のダメージは少なく、むしろ地震と台風による被害が甚大だったようです。
あまりにも汚いので、途中石巻市内の洗車場で車を洗います。
NSXで来たのは、翌日のイベントのためです。
次回に続きます。