• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

シシィのブログ一覧

2017年08月20日 イイね!

旧東海道本線跡の石部隧道を見に行こう

旧東海道本線跡の石部隧道を見に行こう自然の脅威によって潰された石部洞門を観るために停めた駐車場から見える異様な光景……。

あれは何でしょう。

alt


これを見に行きましょう。
駐車場から行けます。
こんな感じで、えっちらおっちら歩きます。
水色が辿ったルートです。
alt



近づいてきた感じがします。
高低差があります。
alt



先人の用意してくれたと思しき、降りるにおあつらえ向きな、信用出来るか分からない錆びきった脚立。
こういったものを使うかどうかは現場判断になりますが…。
大丈夫そうなので、使ってしまいましょう。
alt



高低差6mくらい?
人の背丈より高い巨大テトラポッドの上を跳んで渡っていくわけですが、渡るために作られているわけではなく安全の保証は全くありませんので、どこから行けばいいかを考えてしっかり跳びましょう。
脚立が途中で折れたり、テトラポッドの隙間から落っこちたらえらい事ですよ。
alt



とりあえず、降りました。
帰るのが面倒そう。
alt



だいぶ近づいて来ました。
石垣とレンガですね。
alt



レンガの赤が空々しい。
alt



よく見ると、足元にかつて石垣だった物がたくさん倒れている。
alt



正面に回ってみる。
つい最近作られたかのように、キレイな石造り。
ひっくり返っている事以外は。
alt




上の方に見えるのが、旧東海道本線の石部隧道です。
向かって左が上り、右が下り線です。
ここから登るのは、相当頑張らなければ厳しいです。
もう1つ、上から水路を伝って降りてくるルートがあるのですが、そちらからは試しませんでした。
そちらからだと、隧道の中に入れるようです。
alt



ここで、ずっと背負ってきたアイツの写真も混ぜていきましょう。
かつては、どちらの隧道内にも人が住んでいたという事が知られています。
直接、話した方もいらっしゃったようです。
alt



そもそもこのトンネルは何なのか?
少し面白い歴史があります。
簡単に列記していきましょう。

明治21年(1889年):東海道本線として石部隧道と、400mほど先にある磯浜隧道が開通。単線。

明治44年(1911年):複線化工事により山側に隧道が増設。上下線の2つの隧道が並ぶ。

昭和16年(1941年)弾丸列車計画(新幹線の原型のようなモノ)の為に、山側に新しく日本坂トンネル(現代の新幹線が通っているトンネル)が開通。
alt


昭和19年(1944年)
弾丸列車計画が中止
東海道本線が日本坂トンネル(現代の新幹線が通っているトンネル)を使用開始。
石部隧道と磯浜隧道は自動車道路に転用される。

昭和23年(1948年)
:アイオン台風により、下り側の坑門が一部崩壊。
通行に支障は無かった為、以後修復されずに放置される。
引用元:TAKAの気まぐれ散歩様
alt


昭和34年(1959年):東海道新幹線計画起案。
日本坂トンネルを新幹線が使用する事に決定。
石部隧道・磯浜隧道を再び道路から線路へ転用する事になった。

昭和36年(1961年):東海道新幹線開通。東海道本線は、石部隧道の途中から新たに長距離のトンネルを掘り直し、磯浜隧道まで繋げた。これを改めて石部トンネルとして現在も東海道本線に使われている。
この為、私が今いる石部隧道西側坑門は不要となり、歴史の幕を閉じた。
磯浜隧道も途中で接続された為、東側の坑門は不要となり、現在は産廃処理施設が建ってしまい面影を見る事は出来ない。
※画像:山さ行がねが様
alt

alt

という事で、最初は明治時代に線路として使われていたのが途中で道路となり、その後また線路に戻ったうえに途中で掘りなおされたという忙しい隧道です。

道路時代の写真が、焼津市制50周年誌「やきつべ」にて掲載されています。
引用元:TAKAの気まぐれ散歩様

後ろに石部洞門も写っていますね…。素晴らしい。
alt



近年まで、もう少しレンガが坑門の形を成していましたが、2007年頃に完全に崩落して今のようになってしまったようです。
※画像:Wikipedia
alt



2017年現在の姿。風格はあるが以前ほどの風情は無くなってしまった。
alt



上から見ても道路の面影は無い。
70年前の写真を見ても、どうやって通っていたのか分からない。
しかし、2013年10月にも1.5km程先の浜当目隧道付近で県道が崩落している。
alt



※上の補足。2013年10月に、台風26号により県道416号線の浜当目隧道付近が50mに渡り崩落。
調査の結果、この区間の修繕を諦めて新しくトンネルを掘り直し、2017年3月に全線復旧となった。
奥にある建物は絶景館という宿泊施設だったが、相当前に廃墟となった。崖から海までへばりつくように作られた異様な風体は、県道からもよく見えた様子。
ストリートビューは、まだこの道が何事も無かった時代の物になっています。
引用元:山さ行がねが様廃墟日常記録帳様
alt

alt

alt



補足終わり。

石部隧道から磯浜隧道まで、道が繋がっていたはずです。
本来、こんな直線ではないでしょうがこのような感じだったはずです。
alt



道路の脇で山を支えていたと思う石垣。高いところにあります。
布積みという、四角い石を敷き詰める工法で作られています。
alt



道路を支えていたと思う石垣。低いところにあります。
谷積みという斜めに石を敷き詰める工法の上に布積みで石垣が作られて、最上段はまた谷積みになっています。
alt



足元をよく見ると、この石垣の事がわかりそう。
alt



石部隧道側方。
良く立派に持ってる。
alt




実は、積み石とレンガにも積み方があります。
下のレンガをご覧下さい。
alt


短い長方形になっている列と、長い長方形になっている列が交互に来ています。
これはイギリス積みと呼ばれる積み方で、レンガを横に並べた列・縦に並べた列を組み合わせると少ないレンガで組み上げられ、且つ強度も高いという工法です。



では、次の積み方を見てみましょう。
alt


1つの列に、短い長方形と長い長方形が交互に組まれています。
一般的にフランス積みと呼ばれる積み方です。フランドル積みが正しい呼び方のようですが。
最も美しいレンガ積みとされています。
明治時代の中期まで主流の組み方でしたが、効率の良いと言われるイギリス積みへとスイッチしました。
このように、レンガではなく積み石の場合はブラフ積みと呼ばれ、横浜の山手近辺でよく見る事が出来ます。
※横浜市自体が案内のPDFや公園にブラフ積みの案内看板を設置している程です。



面白いのは、最初にできた海側の隧道と山側の隧道では、中の組まれ方が違うという点です。
明治20年頃からフランス積み→イギリス積みとなって来たと言われていますので、ちょうど技術の変わり目であったようです。
今回は中に入れなかったワケですが、次回は必ず入りましょう。
alt



そろそろお暇しましょう。
alt



波に洗われて丸くなってしまったレンガ。
alt



100年経っても色褪せない美しさ。
alt



最後に
このあたりは横穴が無数に存在します。

例えば、こんな所が隧道の中と繋がっています。
二段梯子でも無ければ入れませんが…。
ホフク前進で進んだり、狭くて中腰だけというような、狭くてきつい所なので私はやりませんけど。
団体で細かく探索レポートされている方がいらっしゃるので、見てるのは楽しいです。
→くるまみち様

では、また次回m(__)m
alt


⇒2018年 再訪しました。

同じ日の事。

【痛車】静岡県の痛車イベント、シスフェス2017に行ってきました。

静岡県大崩海岸を通ると必ず見ているはずの石部洞門

Posted at 2017/09/24 11:02:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃道 | 趣味
2017年08月20日 イイね!

静岡県大崩海岸を通ると必ず見ているはずの石部洞門

静岡県大崩海岸を通ると必ず見ているはずの石部洞門静岡県の用宗付近にある、大崩海岸。

全国各地に「崩」の字を用いた地名はありますが、静岡県にも多く存在します。

長野県との境にある青崩、伊豆にある赤崩、そしてこの大崩海岸。

海上に突き出ているバイパスが特徴的です。
この赤いラインに、石部洞門が存在します。この県道416号線を通って見た事のない人は居ない位置にありますね。
ちなみに、昔はこの区間は国道150号線でした。
たびたび通行止めになり、つい最近までもこの先の浜当目にて通行止めが続いていました。
alt


大崩海岸には、ちょっとした駐車場があります。と言ってもPと書いてある訳ではありませんが。
少し、足を止めてみましょう。
写真よりも角度が厳しく、86には結構な事でした。
意外に車がとっかえひっかえ停まるのですが、どうも富士山が見えるらしい。
alt


後ろにバイクが2台ついてしまい、こんな所に停まるとは思わないでしょうから早めにウインカーを出しました。

この駐車場の向かいに、石部洞門があります。
なお、イシベでは無く、セキベです。
alt



alt


扁額在り。
昭和18年、すなわち1943年に竣工。70年以上です。
alt


全体図。
緑に踏まれるロックシェッド、石部洞門。
もちろんバイパスから見られます。
alt


中に入る猛者もいますが…、8月という時期は分かっていましたがちょっと…。
藪が凄すぎて、足の踏み場が分かりませんので今回は遠慮しました。
alt


バイパスから撮影。
斜めに見えますが、元から勾配があるようです。
alt


真ん中だけ、緑に押しつぶされている場所があります。
1971年7月に発生した土砂崩れによってロックシェッドが押し潰され、乗用車に乗っていた20代の方が亡くなりました。。
静岡県は、この区間の防災に力を入れており、潰れたロックシェッド部分は1969年に改修したばかり。治山工事も行っていましたが、6,000㎥の土砂が42.5mを圧潰したとされています。
その日を最後に石部洞門は放棄され、海岸線にバイパスが設置されました。
alt


このバイパスは石部洞門より60m離れて造られました。
山さ行がねが様が、静岡県土木史から引用した内容によると
  1. 落石は、初期段階では、地山を滑落する。
  2. 次の段階で転落する。
  3. 1および2の段階での初速の損失は高度換算20mとする。
  4. 落下高-20mの高さで、岩石を水平に位置転換する。
  5. 空気その他の抵抗を全て無視する。
  6. 岩石は自由落下する。
  7. 地山に衝突した岩石は、水平から-30°間で跳ね出す。
  8. 地山と落石の反発係数をKとする。
  9. 地山の傾斜角を60°と仮定する。
以上の解析から次の算式が成り立つ (数式~~~)

計算の結果、路肩から40m程度海上に出せば安全が見込まれる。これは今回の(大崩落時の)最大飛距離38mに略一致する。

但し、K値によっての変動が大きいため、さらに20m沖合に設置し、より安全を期することとした。

という計算に基づいて、この位置になったそうです。
alt


事故の鎮魂石。
以前は、道路からの見えにくい位置で心無いポイ捨て・不法投棄によってゴミに埋まってしまっていたようですが、今は道路から分かる位置にあり、手入れが行き届いているようで良かった。
alt


反対側まで来てみましたが、中の入るのはやめときます。
alt


いつまで持つのだろう。
alt


既に75歳という洞門。
alt


崩れてきた山。
alt


海岸まで降りると、JR東海道線のトンネルと繋がっている横穴があります。
alt


そろそろ、お暇します。
いつも色調に統一感が無くてすみません。
alt


・まとめ
1.静岡県道416号線にある石部洞門。山からの落石を防ぐ為に1943年に造られた。
2.1971年に土砂崩れ事故で1名が亡くなり、危険度が高い事からこの洞門を棄てた。
3.海側にバイパスを作り、2017年現在はバイパスから遠めにその様子を見る事が出来る。
(ここまで86が出ていなかったので、唐突に前日のオフの写真を…)
alt


さて、駐車場に戻りましょう。

ふと見ると、駐車場から何か見えるような。
alt


次回は、この鮮やかな赤煉瓦。
旧東海道本線の旧石部隧道について、触れていきます。
alt
Posted at 2017/08/26 08:29:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃道 | 趣味
2017年05月09日 イイね!

福島県の萬世大路にあった飯坂スキー場の謎を解こう

福島県の萬世大路にあった飯坂スキー場の謎を解こう先日のブログで万世大路を通ってきましたが、スキー場の整備道だったという道を通って万世大路にアクセスしました。
詳しくは

廃道の聖地!?福島県の萬世大路にある二ツ小屋隧道を観よう(前編)
廃道の聖地!?福島県の萬世大路にある二ツ小屋隧道を観よう(後編)


下の赤い線の道です。
alt



万世大路の二ツ小屋隧道へ行く際には、必ずと言っていいほどお世話になる道です。
特に、四輪車で万世大路に行くにはここを通る以外ありませんので、様々な方のブログや手記にも登場します。
アプローチ中に時々現れる、ワイヤーの張られた支柱が印象的です。
alt



ワイヤーの張った支柱を見れば、予備知識がなくてもスキーのリフト用であった事が容易に想像つきます。
当然かもしれませんが、整備道の麓から整備道の終わりまで伸びています。
整備道からは少し離れて建っている為、近づくのは少々面倒です。
中には、支柱の中から木が育って支柱より大きくなっていたり。
alt



しかし、このスキー場跡に関しては資料が少なく、名称だけは「飯坂スキー場」であったという事ですが、その根拠となるものは現場には残っておりません。
alt


いつ頃から開始していつ廃業したのか。
著名な廃道愛好家の方々でも「いつからあるのだろう」「詳細は不明である」等と記載されており、不明な点が多いです。
そもそも、万世大路がメインだから無関係な廃スキー場なんてどうでもいいのかも知れませんが…。

という事で、少し調べてみました。
皆様あまり興味の無い事かも知れませんが…スキーやスノボー好きな方はちょっと楽しいかも?
宜しければご覧になって下さい。


……


一番麓にあるリフト乗り場と思しき施設。
私がスキーに最後に行ったのは10年以上前だが、果たしてこんな感じだっただろうか。
alt



その乗り場向いに建てられた中継の支柱。
alt



登れんじゃね?
alt



よいしょっと。意外と高い。
部品が散乱している。
alt



碍子はとてもきれい。
磁器だからか。
alt



前を見ると、大きい奴が鎮座している。
滑車の回転を司るんだろう。
alt



これを手で回して運用していたのだろうか。
なんて。
alt



かなり大きいようだ。エンジン類と接続されている。
alt



折り返すための滑車。
alt



二ツ小屋隧道前には、降りるための場所があるらしい。気付かなかった…。
※画像:真・漢楚軍談 様
alt



ここで、リフトの種類について触れたい。
一般的にスキーのリフトというと、2人ないし4人掛けのイスを思い浮かべる、と思う。10年以上スキーに行っていない人間だけど、多分あってると思う…。
alt



リフト、すなわち索道にも多くの種類があり、規模や予算、斜面の角度によって大きく違ってくる。
交互に往復するもの、滑車で循環するもの、単線のもの、複線のもの。
いわゆるリフトは、搬器(乗り物)が開放式である事を示す特殊索道が適用される。
一般社団法人 日本索道工業会 HPより
alt



この中で、単線滑走式特殊索道(シュレップリフト)というものがある。
同じく、一般社団法人 日本索道工業会 のサイトより一部抜粋すると
スキー・スノーボードなどの滑走具を装着したままの利用者が、停留場間でワイヤロープに固定された搬器を股の間に挟んだり、腰にあてたりした状態で雪面をけん引されることで運送される索道。
立ったままリフトにつかまって移動するタイプで、今の日本ではごくわずかに存在するらしい。
alt



構造的に恐らく、シュレップリフトだったのだと思う。
初心者向けコースに設置される事が多いようだが、どこかのサイトに飯坂スキー場は初心者向けコースのみと書いてあった気もする。
※画像は日本索道工業会
alt



さて、話を戻そう。
本体を見てみる。
alt



ヂーゼル機器株式会社の刻印が。
後のボッシュである。
恐らく、減速機用の機器?
300~1,600回転するらしい。
alt


結構シビアなオイル交換が明記されている。
冬場に毎日動かしてたらすぐにオイル交換だろう。
alt



横には別の刻印。
刻印には、機器の型式はあっても用途が書いていない。
古すぎて型式を調べても出てこない。
alt



メインエンジン。ディーゼル。
通常、リフトの原動機はモーター、電気である。
停電用に、安全な着陸を目的としてサブとしてディーゼルエンジンを入れる場合があるくらい。
wikipediaによると、1970年代ではトラックのエンジンを改造してモーター代わりにする例が見られたのだという。
alt



日産ディーゼル、今のUDトラックスの名前が見える。
レブ2,600回転で36馬力だそう。どんなもんだ?
P-220という型式がある。P型エンジンというヤツなのか。
DATE(日付)が「42年11月20日」とあるが、西暦ではなく昭和であると思う。
何故か?
日本で初めてリフトが作られたのが昭和21年(1946年)だからだ。
昭和42年は1967年。
現国道が作られたのが1966年5月なので、エンジンが1967年の11月末に作られた事を考えると1967年終わり辺りに開業したと考えるのが妥当か。
alt



少し空中写真で歴史の移り変わりをみたい。
まず現在の地図。
Googleでは勝手に薄く道が表示されるが、今実際にある道は赤いマーカーのラインでだいたいあっている、はず。
工事現場は、東北中央自動車道の新路線で使用される栗子トンネルの換気に関する工事を行っている。
8km以上の長距離トンネルである。
2017年度に供用される見込みだ。
※GoogleMap
alt



ここからの航空写真は、国土地理院より拝借した。
昭和41年(1966年)2月の写真である。
国道の開通が同年5月なので、開通直前の写真である。
赤い〇が、トンネル入り口である。
スキー整備道とされているところに、複数の建物が見える。
国道の開通前からスキー場の造成工事を行って整備道を作ったとは考えにくく、国道の工事関係者が仮設道路を作り、そこに仮設住居を構えて宿泊していたのではないかと推測する。
※国土地理院地図
alt



1か月後の同地区の写真である。
3月のせいか、雪はかなり少ない。
工事車両と思しき車も複数確認できる。
建物も健在だ。
alt



そして、昭和41年(1966年)12月。
国道が開通した初めての冬の写真である。
雪が多いとはいえ、建物は見当たらない。
恐らく工事が終了したので、全て解体撤去したのではないかと推測される。
alt



昭和46年(1971年)の航空写真もあるが、粗いのでパス。


現国道開通9年後の、昭和50年(1975年)12月の写真。
縮尺の都合で、赤〇のトンネル入口が見切れているが…。
ゲレンデの姿をしているように見える。
ピンク色で囲った大きな建物は、今までの写真にはなかった。
立派だが2017年には存在しない。
水色の〇がリフト及び支柱である。黄色〇の施設は、恐らく既に取り壊されていると思われる。
現代のこの位置は、山の斜面になっている。

alt



現国道開通より10年後の昭和51年(1976年)の写真。
ゲレンデになっている事が確認できる。
水色の〇が、支柱とリフトである。
乗り場、降り場を抜かすと5本の支柱があると思われる。
黄色は現存しない施設、今のところ内容は不明である。
ピンク色の建物はいつまで存在したかは分からない。
航空写真を見る限りは、1984年にはまだ面影があったように見えたが1997年には確認出来なかった。

飯坂スキー場は、この写真以降の年代から急速に森に帰っていく。

恐らく、この前後には営業を終了したのだろう。
昭和42年(1967年)から営業開始し、昭和50年(1976年)前後に撤退したという説でいかがだろうか。
alt



実は、こんな資料があった。
「わが大滝の記録」の紺野氏と「街道web」のTUKA氏によって記録された資料である。
大滝宿は廃村になって久しいが、空き家の民家が残っており今でも当時の面影を残している。
みんカラだと、RA6オデ17様のブログが見やすい。

引用させて頂く資料によると…
1.スキー場は、昭和42年(1967年)~昭和46年(1971年)までの短い時間しか運営していなかった事
2.山形県の佐藤酒造店という酒屋さんが運営していた事(!)
3,飯坂スキー場バス停があった事

が判明した。
alt



1.について、「飯坂スキー場」であった根拠が掴めた。
開始時期は概ね思っていた通りだったが、閉業が思ったよりも早い。
1975年のカラー写真の時点で、既に廃業から4年も経過している事になる。
スキー場整備道については、私見だが元来は現国道の工事関係者用の仮設道路で、それを整備道に転用したのではないかと思う。
なので整備道が間違っているという事はない。
ちなみに1948年の航空写真では、まだこの道は無かった。

2.について、まさか山形県の酒屋さんの経営だったとは。
山形県の最上というと、スキー場から170kmほど離れており、単純なルート検索で2時間40分前後かかる道のりだ。
この酒造店は今もあるようだが、遠い地で開通したばかりの国道沿いにスキー場を作って経営するというのはいささか理解し難いが…。


3.について、既にバス停自体が設置されていないようだった。何もなくなったから、誰も乗り降りしないからね…。


謎. 結局リフトの形式についてはどこにも触れられていない。
お金がかかるような物は入れなそうだし、多分シュレップ式で合ってると思うんだ…。駐車場も、どこだったんだろう。




という事で、廃道系ページで気になりつつも「いつから開業していつ閉業したんだろう」と気にかけられていた飯坂スキー場について触れてみました。
正直退屈でしたでしょうか。
個人的には、自分で行った場所のだいたいの謎が分かって楽しかったです…。
みんカラユーザーだけでなく、廃道愛好家の方々のお役に立てれば嬉しく思います。

最後に、航空写真でピンクで〇をつけていた、立派な建物があったと思われる場所の写真を持ってました。
恐らく、この残骸が建物の一部であったと思います。
次行く時は、じっくり見てみたいですね。
alt
Posted at 2017/06/25 22:42:32 | コメント(7) | トラックバック(0) | 廃道 | 趣味
2017年05月09日 イイね!

廃道の聖地!?福島県の萬世大路にある二ツ小屋隧道を観よう(後編)

廃道の聖地!?福島県の萬世大路にある二ツ小屋隧道を観よう(後編)前回、二ツ小屋隧道を抜けました。


そもそも、何故パジェロとジムニー達はここで止まっているのでしょう?
何かあるのでしょうか?




5月も10日になろうというのに、出口には大量の積雪があり、先に進む事が出来ないためでした。
既に親方達、パジェロのおじさん達は先に進んだようで、いらっしゃいませんでした。



私も雪を乗り越えて先に進みます。
振り返って一枚。
二ツ小屋から少し離れました。
必然的に雪の上を歩きましたが、写真左下などをみると非常に雪被りの浅いところもあり、踏み抜きの危険もあります。
下の地形がどうなっているかわからないので、慎重に進みます。



路肩が一部崩落しています。
仮に雪がなくても、四輪車はこの先を通れない。ジムニーなら小柄だからいけるかもだが…。
コーンが立っており、安全に気を使われています。




この路肩崩落を扱った記事を見つけました。
平成28年(2016年)に起きたとの事で、つい最近こうなってしまった様子。
どうも、二ツ小屋隧道から流れてくる流水のせいでこうなってしまったらしい。





万世大路を守る会有志の手によって、水の流れを変えてこれ以上の崩落を防いでいるらしい。
ありがたい話です。




この先、橋が見えてきます。




名前を烏川橋。
明治時代に架けられたのち、昭和9年(1934年)に改修工事を受けています。
どちらも二ツ小屋隧道と同じ時期ですね。




改修後に大雪を受け続けて80年、既に欄干はボロボロ。




下には川が走っています。
釣り師の方や沢屋さんが訪れる事も多い様子。
ここのは写っていないが、親方たちもいました。
余談ですが、釣り師と沢屋は仲が悪いというのは有名な話。
こちらのサイト様をご覧になると面白いです…。




全ての親柱で唯一見える文字は「功」の字のみ。
竣功、なんでしょうね。




今一度、現在地を確認してみましょう。
1976年版の航空写真です。40年前のものですが、地形はほぼ同じです。
赤い文字が現在地の烏川橋です。ちゃんと橋の形が見えますね。
86は一番南のあたりに…。




この先をしばらく行くと、明治初期に日本一長い隧道だった、栗子隧道があります。
しかし、熊がいるぞと言われた事もあり、今回は栗子隧道まで5分の2というところで引き返しました。
写真は道中撮っていますが、代わり映えしないので省略。
途中で、スズキのキャリィが放置されていました。




さて、戻ってきましたが…
左右に上がりたいと思いますよね。




よいしょっと。
パジェロのおじさんたちが帰るのが見えます。




歴史を感じさせる、美しい二ツ小屋隧道山形側。




隧道内に流れ込んでいるのは、この沢が原因か。
万世大路を守る会の記事を読むと、白竜沢と仮称されているようです。




さて、ここが気合の入れどころです。
一つ間違えば、空いている穴に飛び込むアトラクションに強制突入です。




いい感じに流れています。



下からは、こうなっています。
この高さから間違えて落っこちる事は許されないでしょう。
段差がたくさんあり、とても痛そうです。




…なんとか通り抜けました。
別に無理せず、反対側からアクセスすればいいんですけどね。
生を実感出来ます。
コンクリートのフチを歩くのは危険すぎるので、高巻きして回避しました。




仮称、白竜沢。
ずっと山の上から下ってきています。
これを追う程の装備や技量はありませんので、ここからの撮影で。




美しい。




この穴は、隧道の中の明かり部分の穴です。
沢水が入り込んでいます。




中から見ると、こうなっています。




左の雪が、隧道の屋根を覆っています。
雪の上に乗ると、隧道の天井を突き抜けるかも?




隧道の真上を通って対岸へ行きます。
こんなところにも木がたくさん生えています。
手でつかめるものがあるので、心理的には安心です。




対岸から。
決壊している水路も、美しさを演出している要素の一つに見えます。




白黒写真も似合う。




改めて、隧道の前に。
正直、通行止にしないと危険なくらい巻立が落っこちています。
この状態を合法で通れるところは数少ないでしょう。
……別に通りたくないって?




では、親方の車に別れを告げて





また隧道の人になります。




天井、落盤の現場を改めて。
注意を喚起する人はいても、今後直す人は居るのでしょうか。
遠くない未来に、落盤が起きて埋まってしまってもおかしくありません。




壁の破け方も、半端ない。




フラッシュ焚くと、隧道自体が水浸しなのがお分かりになると思います。
そもそも、シャッター切るのが一苦労です。




入口、すなわち福島側まで帰ってきました。



二ツ小屋隧道福島側。
この近くに、明治天皇が行幸(視察旅行のようなモノ)された時の記念碑があるのですが、完全に見落としていまして見ていません。
次回探索時は見なければ…。




ところどころに、このような杭があります。
明治時代から終戦時まで行政を司っていた、内務省の「内」の字であるという説があるようです。




帰りに、バリケードにて通行止めだった分岐の方へ足を延ばしてみました。




おや。




根こそぎ、木が倒れています。
何故こうなったのか?
どうも結構長い間、このように生きている木のようです。




通行止めの原因と思われる暗渠。
この日は水の流れも無く、車も普通に通れそうでした。




もう少し歩くと、明治21年(1888年)に犯人を飯原分署へ護送した後、駐在所へ戻る途中の大雪で遭難して亡くなった森元巡査の慰霊碑跡がありました。
巡査はこの付近で亡くなったそうで、慰霊碑もこの場所に建立されましたが、廃道後はここから東にある新沢橋付近へと移設されました。




移設された為、階段と石碑跡のみがあります。
キリがないので、今回はここで切り上げて86の元へと戻ります。




前回も触れた、スキー場であった事を証明するリフト。
半世紀、ワイヤーを張ったままと思われます。
別記事で特集しましょう…。
追記:記事作成しました。

福島県の萬世大路にあった飯坂スキー場の謎を解こう






これから入っていくジムニーとすれ違いました。
ごく普通のジムニー、という感じです。




アクションカメラをヘルメットにつけたライダーもいらっしゃいました。




86の元へ戻ってきました。
(写真は、裏磐梯で撮ったやつだけど…)




近いうち、また万世大路に行きたいと思っています。
が、他にも行きたい所が多くて……。
次の所に行きましょう。
Posted at 2017/06/23 00:18:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃道 | 趣味
2017年05月07日 イイね!

廃道の聖地!?福島県の萬世大路にある二ツ小屋隧道を観よう(前編)

廃道の聖地!?福島県の萬世大路にある二ツ小屋隧道を観よう(前編)山形県米沢市と福島県を結ぶ国道13号線は万世大路(ばんせいたいろ)と呼ばれています。
仰々しくも不思議な名前ですね。
これは昔、ここに萬世大路(ばんせいたいろ)という長大な道路が存在した為です。
ブログの中では、万世大路という表記に統一してお話ししますね。




この万世大路という名前が意味するところは何でしょう。
簡単に歴史を振り返ってみましょう。

明治9年(1876年)に、薩摩藩出身の三島通庸(みしまみちつね)が山形県令、今でいう県知事に就任しました。

三島県令は、陸路の整備こそが流通経済を活発にさせ、県民を豊かにすると考え、反対派を押し切り、歯向かう者は権力を振りかざして罰するなどして数々の土木工事を強行し「土木県令」「鬼県令」と恐れられていました。

その「土木県令」が1881年に完成させた道路が、万世大路です。
4つのコンクリート橋と5つの隧道がある長大道路で、特に5つの隧道のうち栗子山隧道はアメリカから最新機器を導入して掘削し、約864mという当時で日本一長いトンネルを、死者を出さずに竣工しました。

開通式の折、式に立ち会われた明治天皇は「万世の永きに渡り、人々に愛される道となれ」という願いを込めて、万世大路と名づけられました。

そのような経緯もあり、廃道業界の中ではもっとも著名な存在の一つであり、聖地等と言えるかもしれません。


誉れ高い万世大路ですが、全体図でいうと下記の様な図となります。
南のなだらかな道路が現在の万世大路(国道13号)、東からクネクネして北へ登っているのが1881年の万世大路です。
国土地理院、1976年のものです。







GW最終日、この万世大路を福島側から5つの隧道のうちの1つ、二ツ小屋隧道を探索してみたいと思います。
といっても、隧道は既に3つは殆ど痕跡無く、現存するのは崩落した栗子山隧道と、今回の二ツ小屋隧道しかないのですが。
余談ですが、東栗子トンネルは2,376m、西栗子トンネルは2,675mもあります。





この近くに、このような道があるはずですが…





もはや全く面影がない?




少し調べると、どうやら少し入口が変わっているようです。
対向車線を越えて、山肌にあるトンネル換気塔工事現場入口を見ると…
案内図があった。
とても分かりやすい。




だが……
お前に何があったのだ?





案内板に従い、換気塔工事横を登っていきます。
結構急な坂です。
86は捨ててきました。




上がると、ダートな道が。
この道は元々、ここにあった飯坂スキー場の整備道で、万世大路ではありません。
この道を抜けた先に、万世大路があります。
かなり荒れていますが、土嚢袋等で最低限整備はされているようです。













飯坂スキー場の遺物、ゴンドラリフト。
整備道に沿って定期的に出現しますが、道から離れて立っており、近づくのは少し面倒です。
スキー場は何十年も前に閉鎖されたらしく、地上からはどこがゲレンデだったのか見当もつかない。
リフトの遺構については、別に記事をアップしましょう。




20分ほど歩くと、右側にA型バリケードが。




入口に捨て置かれていた案内図を思い出します。
今、南から上がって来てちょうど赤い〇のところにいるようです。
脇道から万世大路に入ってきた、という具合です。
これからが本当の万世大路を辿る事になります。
左側に行き、二ツ小屋隧道を観る事が今回の目的です。




A型バリケードについている紙を見てみます。
万世大路を守る会、という地元の団体の名称が見えます。
この道が一切「立入禁止」でないのは、この方々のおかげなのでしょう。




どうやら右には行けません。
私も目的地は左側の道なので、ここは一度スルーしましょう。
…ん?自動車通行出来ない?
って自動車が来るの?ここに?





ここから、かつて明治天皇が「万世に渡って愛されるように」という願いを込めた道路を辿っていきます。
先ほどまでのスキー場整備道とは大きく違う点があります。
石垣が出現した事です。




石垣は明治時代のもの?昭和の道路拡張の時のものでしょうか?
積方を観察すれば、分かる人は分かるのでしょう。
なんだかブラタモリみたいですね。
広く、美しい道です。さすが万世大路。




万世大路が作られた時代は、馬車が最も大きい乗り物でした。
その時代に、拡張工事を受けながらここまで広くて快適な道路を作るという事は、相当な流通を重視していた事が伺えます。
1966年に現道が完成するまで、この万世大路が使われてきました。





ふと、モータリゼーションな音が耳につきました。
林道好きなライダーかな?



ウインチの付いたジムニーが。
え、パジェロミニ?分かんない…。
とりあえずジムニーと呼ばせて下さい。



あら、もう1台。
赤いジムニーもウインチ装備。
私のハッタリ86とは真逆の、飾り気の全くないその姿は非常に漢らしく美しいです。
ていうか車で来られるんだ。
86で来ればよかったか。




あ、ごめん、さっきの嘘。
絶対無理。




へぇ…。
こんなところも楽々通れるんだな…。




なんて感心しているうちに、どんどん登っていくジムニーたち。
ローギアでのぼる音だけが聴こえるようになりました。




ちょっと進んでいくと、美しい隧道が見えました。
さっきのジムニー達が停まっていたので声をかけると、車の漢らしさによく似た、親方と呼ぶにふさわしい男性二人が気さくに話に応じてくれました。
地元の釣り好きの方で、相当前から万世大路に通っているそうです。
反対の山形側の万世大路も、以前ウインチを使って走破したとか。
しばらく話した後「この前、ここに熊がいたから気を付けてな」と注意を頂きました。
どうしたらいいんだろう。




では、入ってみますか。
明治14年(1881年)に開通し、昭和9年(1934年)に改修されました。
約350mの隧道です。
開通より130年以上、改修より80年以上経っています。




そこまで長くないので、明かりが見えます。
巻き立てのせいか、すぐに断面が一回り小さくなります。
電気がないので真っ暗ですが……まぁ普通?




全然普通じゃなかった。
赤い〇をつけた、ありとあらゆる場所から水が湧き出ています。
当たり前ですが、隧道の中は水浸しです。




結構な水量です。
油断して歩いていると、ずぶ濡れです。




そうこうしているうちに、親方達のジムニーが出口まで突っ走ります。
それにしても、なんだか石が多くない?




壁が破れています。
石が多いわけです。




ここも。
他にも多数、穴が開いて大きな石が転がっているので足元に注意しましょう。




ついでに天井も崩落していましたから、頭上も注意すると良いですね。




おっと。前も見ていないと、トラックにぶつかりますよ。
誰も乗っていませんでした。
青いけど、さすがにインパクトブルーには無理かな…。




ここらで、後ろからやってきたパジェロかな?三菱の車に乗ったおじさん2人が、真っ暗な隧道に佇んでいる私に声をかけてきました。
「この先、いけるのか?」と。

「ジムニーの方が行っていたから、行けると思いますよ」
とりあえず行ってみて欲しいという私の勝手な期待があったので、知らないけどこのような答えをしました。


出口は近いぞ。
変な所が明るいが…。
手前がパジェロ、奥がジムニーです。




二ツ小屋隧道を紹介するうえでよく出る、天井崩落による明かり部分。
落石が隧道を直撃した事が原因だとか?
上に沢が走っているので、かなりの水が上から降ってきています。




常に沢水にさらされ続けています。
この日は晴れていたので、明るく良い感じでした。




水があちこちから出ているせいで、冬に来ると氷柱が幻想的な風景を作り出します。
是非一度見てみたいですが、行軍中に死人も出た事があるとの噂。
素人では、熟練者同伴の上で相当の準備をしなければこの光景を拝むのは難しいでしょう。


心に残る風景がここにあります♪ 様より画像を拝借しました。



さて、5月に戻ります。
外へ出てみると、パジェロの前にコンクリートの巻立が崩落しています。
ここに停めるのは危ないんじゃないかな…。上から今にも降ってきそうだし…。
トンネル上部には沢水を逃がす水路がありましたが、相当前に決壊し、滝を作って地面を水浸しにしています。




長くなりましたので、ここで一度区切ります。
後編では、隧道周りや道の先に触れていきます。
Posted at 2017/06/20 02:22:19 | コメント(3) | トラックバック(0) | 廃道 | 趣味

プロフィール

「[整備] #NSX トランクダンパーがぶっ壊れたので変えた https://minkara.carview.co.jp/userid/1644328/car/3056235/8313374/note.aspx
何シテル?   07/27 22:33
青い86/NSX/S2000と言えばこのヒト…というのを目標に、ブルーの86/NSX/S20000で楽しんでいければと思っています。 無言フォロー歓迎です...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

[ホンダ NSX] ステアリングコラムカバー修理 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/07/13 21:51:39
[ホンダ NSX] 2017.8.23 パワーウィンドウ メンテナンス 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/06/11 19:15:22
[トヨタ ヴィッツ] AT→MT換装 ~その③・書類作成編~ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/28 15:39:23

愛車一覧

トヨタ 86 トヨタ 86
2013年7月納車の86GTグレード。 フルノーマルの展示車両を購入しました。 ギャラ ...
ホンダ S2000 ホンダ S2000
AP1-120系のタイプV。 初のMT車、オープンカー所有です。 ボディカラーはニュルブ ...
ホンダ NSX ホンダ NSX
New Sports Car X(30年前)。 ボディカラー、よく聞かれますが純正色で ...
トヨタ シエンタハイブリッド トヨタ シエンタハイブリッド
シエンタ ハイブリッドのシルバーメタリック。 スライドドアってすごい。運転席からもボタン ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation