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2020年06月21日 イイね!

山形県米沢市の栗子隧道を一度は見ておきたい

山形県米沢市の栗子隧道を一度は見ておきたい

山形県内のホテルに一泊しました。
当時、コロナウィルスの影響でどこも朝食バイキングが無い中、やっているという事で予約したのですが…
実際は元からやっておらず、記載ミスでしたというがっかり感…。
それ目当てで少し離れた場所に予約したのに…残念…。
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今回は、反対側である山形県側からの栗子隧道を見に行きましょう。
青い〇が前回の福島県側栗子隧道、緑の〇が山形県側栗子隧道、赤い〇が現在地です。


山形県側を探索するには、米沢砕石株式会社の敷地内を通過しなければ行けません。
会社が稼働していれば車でゲートを通過できますが、休日は下記の写真のように閉じており、その手前から歩いて20分程かかります。
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この日は日曜日だったので会社の休日と聞いていましたが、ゲートが開いておりました。
何故開いているのか?通っていいのかな?
ちょっと脇に停めて様子を見ます。
随分インパクトブルーですね。
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そうすると、1台の観光バスが通過していきます。他にも数台の車がバスの後をついて行っているように見えました。
なんか知らんが…いけるらしいな。
ていうか、観光しにくる場所か?
ドラレコの映像は…諸事情でリア側だけしかありません😓
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しかし、採石場ゆえにその道は未舗装。
そして仕事場でもある。ダンプ怖い。
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ダンプが通過するたびに舞い上がる砂ぼこり。
我が茨城県笠間市の採石場もこんな感じ。
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訪問者は立ち寄る事になっている米沢砕石株式会社の事務所。今日は稼働日のようだ。
ここで名前や住所などを記帳する。
しかし、受付の男性は渋い顔である。
何でも、先ほどの観光バス御一行で駐車場が埋まっていると思うので、停める場所がないとの事。
少し交渉すると、特別に停めてもいい場所を紹介されたが、15時にはゲートを閉めるという制限があった。
初めて行く場所だし、もし遅れたら多大な迷惑をかける事になるので、ゲートの外に車を停めて再度ここまで歩く事にしました。
ああ、また86で帰らなきゃ…(笑)
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また冒頭の場所に停車しました。
よーし、歩くぞー。
奥に見えるのは、米沢スキー場です。
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徒歩だと1時間という記事を見た事がありますが、実際は20分弱程でした。
途中、砂埃にまみれた私を見かけたダンプの運転手が話しかけてきました。
車好きらしく、私の86を先ほど見ていた様子。
「あの車じゃ(ここを走って駐車場まで行くのは)無理だよ」と笑っていた(笑)
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事務所を通過。
お、さっきの観光バスだ。という事は、ここが駐車場か。
確かに停める場所ないか。
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ん、地元のケーブルTVの車か。
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滞在可能時間は8時~17時の告知。
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明治天皇が休息した場所と記されている。
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ここから車両通行禁止となっています。
バイク乗りの方のブログでは、事務所で「(自己責任で)脇を通ったり、チェーンを外しても良い」という旨を言われたとの事。
道中、約4kmの道のりとなります。 alt


たまに隧道まで何キロかを教えてくれる。
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少し過ぎると、なにやら「ななむずり」なる杭が。
恐らく、7回の九十九折がある…のでしょう。
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やっぱり。
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出たよ、1番目。
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2番目のむずり。
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3番むずり!
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4番目は、ここにかつてあったという茶屋跡。
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道としての面影は、福島県側の方が好きかな~。
観光バスのツアー客と会うんだろうなぁ…。なんて思いながら歩いていた。
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掲載する意味があるのか分からないが…ななむずり5番目。
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6番目。
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7番目でコンプリート。
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ななむずりも終わり、ふと目を落とすと暗渠。
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そして橋。
親柱も無く、橋の上にも土が積もって緑豊かなため、あまり意識しなければ気付かないかもしれない。
短い橋だけど、何て名前?
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暗い場所の明度を上げたので色が変だが…。
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折り返しを過ぎた辺りまで来ると、ベンチが置いてありました。
ここら辺から、当時の面影が濃くなっていくように感じました。
なお、この辺りで軽トラに抜かされました。
団体の弁当か何かを運んでいるようだった。
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その先には、山を拓いた切通。
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解説の杭も、まんま切通。
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昭和の改修時、自動車に対応した道の拡張時に作られた石垣。
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解説の杭にも記載あり。
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そろそろ近いぞ。
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あと500m。
最後の九十九折。
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ここを曲がってまっすぐ行くと…
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見えてきた。
団体の人の気配、声がする。
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86から2時間。11時半頃。
栗子隧道山形側、到着!
と思うと、団体様がたくさんいる。知ってたけど…。
かなり落ち着かない💦
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後から知った事だが、地元のコミュニティセンターが毎年主催している萬世大路の散策ツアーだったようだ。
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上の看板にある「栗子山隧道」とは何か?
明治時代に出来た当初の栗子隧道は、「栗子山隧道」の名前で向かって右側のイビツな形をした穴が隧道の入り口でした。
昭和の改修時、より隧道を直線に掘り抜く為に、福島県側が栗子山隧道の拡張を行ったのに対し、入り口を新しく掘り直しました。
その為、栗子隧道山形側と栗子山隧道の2つの隧道が並んでいます。
※写真は団体移動後に撮影
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栗子山隧道。
整った栗子隧道とは、一線を画す趣を感じます。
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内部は途中で栗子隧道の巻き立て部分に当たっているので、短い距離で閉塞しています。
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閉塞部分。
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人が多すぎて手持無沙汰なので、ガイドの方の解説を一緒に聴いたりしていた。
ツアーと関係ないのにラッキー(笑) 単独なのに、何故かアメちゃんまでもらった。
ガイドの方の話の中で、山行がの話も出てた。
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明治に萬世大路・栗子隧道の敷設を指示した、三島元山形県令の詩が飾られています。
「ぬけたりと よぶ一声に夢さめて 通ふもうれし 穴の初風」
隧道がつながった時の喜びを詩にしたものです。
東北の交通事情が悪い事を憂い、多くのトンネルや道路建設を手掛けた県令ですが、強引な手法を用いる為に「鬼県令」「土木県令」と呼ばれ、恐れられていました。
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明治期、ここに神社があったようですが、全く面影ありません。
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団体ツアーの方々は、豚汁?が提供されているようだった。
ここでトラブルがあった。
女性ガイドの方が、豚汁も取りにこない私をツアーに馴染めていない客だと思って声をかけてきた。
単独行です、と伝え、誤解は解けた。
解けたが……1人で来ているのに謎の疎外感を感じた。そう見えるよね、俺。
豚汁食べればよかったのに、と言われたが、お金を払っているツアーかも分からないのに、そんな図々しい事出来ないぜ。
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13時頃、団体ツアーが帰っていったので、改めて見てみます。
とはいえ、ツアーで浮いてる客と誤解され、団体が帰る2時間待ってる間に、なんかあまり入る気が…。帰る時間も近くなってきてしまった。
戦いっていうのはノリがいい方が勝つ、って名言があるけど、やっぱ気持ちがノッてないとダメね。
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確かに、栗子隧道。
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じゃ、ちょこっとだけ。
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どしゃ。
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手前で大きく崩れている。
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栗子山隧道の案内が、栗子隧道に。
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では、時間です。そろそろ戻らないと。
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また、九十九折を戻らないと。
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米沢砕石の敷地まで戻ってきました。
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滝岩上橋。
親柱の隣には、立派な萬世大路の紹介パンフレットが入っています。
今も手元に置いてあります。
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昭和7年9月竣工。
昭和の改修時に施工されたと思われます。
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スタート地点に戻ってきた。
この時点で15時を過ぎていた。
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事務所に帰るの報告しないとなー。なんて歩いていると、行きに私に話しかけてきた車好きのダンプドライバーの方とまた行き会った。
なんと送ってくれるという事で、ダンプに乗せてもらってしまった😲
めっちゃ背高い、やばい。恐らく、二度と乗る機会は訪れないだろう…。
おっちゃん、ありがとう。86に乗っていてよかった(笑)
(事務所による前に乗せてもらっちゃったけど、良かったんだろうか)
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事務所の方の話通り、15時にはゲートが閉まっていた。
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見越してゲート外に86を停車していたので、問題なし。
隣の砕石も崩れてこなかったのでセーフ(笑)
では、帰ります…お疲れ様でした。
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Posted at 2020/10/10 17:01:03 | コメント(3) | トラックバック(0) | 廃道 | 日記
2020年06月20日 イイね!

福島県福島市の栗子隧道を一度は見ておきたい

福島県福島市の栗子隧道を一度は見ておきたい外出自粛が終わって直ぐ、福島県福島市から山形県米沢市を結ぶ萬世大路を訪ねました。
本格的な夏になる前に行きたいと思っていたので、3年ぶりに往訪しました。
現在地は右下、赤い国道です。
目的地は左上、栗子隧道福島側です。
…結構書いた後、諸事情でかなり前の下書きに戻ってしまい、大分書くのが遅くなりました。

※国土地理院地図より引用
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萬世大路(ばんせいたいろ)とは、旧国道13号を指します。
明治天皇が実際に通行し、「万世の永きに渡り愛されるように」と街道名を命名した事で知られています。
萬世大路は過去にも尋ねた事がありますが、途中で引き返した為に、栗子隧道までは行った事がありません。由来等については、リンク先をご参照頂ければ幸いです。
今回はたどり着いてみましょう。
9時頃。
萬世大路が目的かは分かりませんが…既に何台かの車が停まっています。
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以前は案内図がありましたが、脚が変わり、完全に片付けられています。
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※2017年5月時
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では、スタートです。
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元スキー場整備道を登ってショートカットするのは変わりません。
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元スキー場整備道は終始こんな感じです。
86ではきついです。
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正規の道に出ました。
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万世大路を守る会様
いつもありがとうございます。
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少し驚く事が。
二ツ小屋隧道手前まで来ると、人気ミニバンが2台。
ていうか青いエルグランドって珍しくない?BPROで見た事あるけど…。
よくこんなところまで来るなぁ…。
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3年前に往訪した二ツ小屋隧道とご対面です。
涼しい風が抜けていきます。
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と、その前に前回見逃した場所のチェックです。
横の階段を登ります。
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この石碑。
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鳳駕駐蹕之蹟。ほうがちゅうひつのせき。
明治14年の東北御巡幸時に建てられたもので、明治天皇が籠を休めた場所に建てているものです。
他に大滝宿などに存在します。
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明治十四年と彫られた跡も見える。
なお、昭和8年(1933年)頃に従来の道を自動車用に拡張している為、設置位置は当時と異なります。
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一緒に山の神が祀ってあります。
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このまま登られるので、二ツ小屋隧道の上まで出られます。
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キレイな銘板。
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では、中に入るとするかぁ。
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理解しやすい廃道。
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昭和の道路拡張時に、大きく広げられている事が分かります。
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土木学会推奨土木遺産として認定されています。
他には、群馬県の丸沼ダムや、長野県の姫川橋等が選ばれているようです。
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こうした巻き立ては、もう修復されない。
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通れるうちに
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通っておきたい。
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3年前と違い、今回は水の量がかなり少なかった。
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今、二ツ小屋トンネルと記載された場所を抜けました。
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烏川橋。
この先、あと2本の橋があるらしい。
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青いホイールのジムニー、只者ではない。RAYSのグラムライツ57XJの限定カラーと思われる。
オーナーは下で釣りをしているようで、帰りに会った。いい人だった。
手前は、万世大路を守る会様の所有と思しき無限軌道の…なんて名前かは分からないが…。
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ここからは似たような道の連続…。
見てもあまり面白くないと思う(笑)
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トンネルを抜けてから約1時間。
2台の放置バイクが置いてある広場に出ました。
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ここはかつて、大平集落という小さな集落があり、その跡地です。
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後に、このバイクと思わぬ再会する事になるとは…。
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ここは崩落が激しく、この両サイドは崖となっています。
ここまで四輪で来た人は、この人1人しか通れない通路を見て絶望します。
二輪の方も、この細い道に苦戦するようです。
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とはいえ、これを回避するかのように急峻な坂道が切り拓かれています。
降りる、登れる自信があればチャレンジしても良いかも。登れない時は目も当てられない。
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集落跡のすぐ先は緑が濃くなり、その先に橋が。
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大平橋。集落と同じ名前をもらった橋。
この橋の保存状態がとても良いのは、橋の上の草木が最小限しかない為だろう。
個人の方が善意で清掃しているおかげ(らしい)。
ただ、誰かが焚火をしたような跡が残っているのは残念でならない。
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橋の先まで行く人は多くないらしい。
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何故かここの橋の銘板は全て削られており、確認する事は出来ない。
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次の橋はすぐです。
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見えてきました。
杭甲橋です。
この橋も非常にきれいで、昭和初期に作られたとは思えない。
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水抜き用の穴?
下の川へ抜けていきます。
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例によって銘板がありません。
銘板はボルトで埋め込まれており、簡単に取り外せるものではありません。
何故取り外されているのか。諸説あるようですが、理由は分かりません。
この近くにある小杭甲橋は…見逃しました(^-^;
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栗子隧道まで、もうちょっとです。
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古い石垣を横目にもうちょっと歩くと
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見えてきました。
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86を置いてから、徒歩3時間半ほど。
栗子隧道、福島側に到達です。
撮影しない分、帰路は3時間でした。
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1935年(昭和10年3月)、竣工。
1881年(明治14年)に開通した際は栗子山隧道でしたが、昭和改修時に名称が改められました。
全長864mと、完成当時のトンネルでは日本最長でした。
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擁壁は今も現役の様子です。
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掘削当時の様子は、わが大滝の記録様にて写真が閲覧出来ます。
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隧道の中は水が張っています。
水没区間は長い距離ではありませんが、それ用の靴までの用意がありません。
今日はここまでにしておきます。
なお、内部は旧道化していた昭和47年(1972年)に落盤し、閉塞しています。
二ツ小屋隧道と比較して、大分キレイに見えます。
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空飛ぶアレならワンチャンあるか?と思いましたが、失敗するリスクが高すぎるので止めた。
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13時から1時間程滞在し、戻ります。
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行きにあったバイク2台がまだあった。
だが、このあと1時間後に追いつかれた…(笑)
この周辺の川で釣りをしていたおっちゃん達のものだったようで、話しかけられて少し会話した。
大平集落跡までは来るようだけど、隧道の事はあまり知らないようだった。
てっきり捨てられたバイクかと思ってた。
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二ツ小屋隧道まで戻ってきた。
中で光っているのは、冒頭に登場した青いホイールのジムニー。
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この軽トラックは、3年前は二ツ小屋隧道を抜けた後の坂に居た。
過酷な環境でよく頑張ってる…。
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※2017年5月
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二ツ小屋隧道を抜けました。
86までもうちょい。
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驚いた事に、まだチームミニバンは滞在していた。
朝からこんな半端な場所に停めて、どこにいるんだ?
川屋さんなのかな。
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ここで、手ぶら(簡単なバッグはあったかも)にジャージという、まるでコンビニにでも行くような恰好の若い男性2名が登ってきた。
挨拶を交わし「栗子隧道まで行けるか」と質問してきた。
今は既に17時近い。
往復で6~7時間はかかるので止めた方が良いと伝えた。
「二ツ小屋隧道までは行けるか」という質問には、近くだが暗くなるから気を付けてと伝えたと思う。
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あ……。
車両唯一の出入口に、恐らく先ほどの若者の物と思われる車が停めてあった。
傷や凹みだらけで、お世辞にも大切にしているとは言い難いコンディションだ。
ここに停めたら、今から来る人は居ないだろうが、エルグランド達が帰れないんじゃ……。
誰も来ないと思って停めたんだろうけど……俺は知らないぞ(^-^;
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17時過ぎに帰還。
行って帰ってで8時半~17時と、いい時間でした。
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Posted at 2020/10/07 00:33:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | 廃道 | 日記
2020年04月30日 イイね!

栃木県那須塩原市にある鷹の巢隧道は有名な廃道のすぐ近く

栃木県那須塩原市にある鷹の巢隧道は有名な廃道のすぐ近く
栃木県那須塩原市の旧地図を見ていると、栃木県道266号線上にふと無くなっているトンネル記号がありました。
GoogleMapで当該場所を見てみると…期待できそうな雰囲気。
早速行ってみましょう。
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おあつらえ向きに停める場所がある事を、事前に確認済。
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ガードレールの外である右の擁壁沿いが、廃道区間。
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元々この266号線は、1960年代にマイカー普及による観光が急増した時代に、塩那道路・塩那スカイラインという名称で観光目的として開発された道路。
1966年に自衛隊が訓練を兼ねて山岳部の道路の開発を行い、1971年には約50kmにも及ぶ工事用道路を開通させるが、それ以降は景気の減退や自然環境保護等の時代の流れにより計画が頓挫し、長らく膨大な予算をかけて維持してきたが2004年に開通を断念。
現在は工事により人為的に廃道化済。詳しくはこちら
頭文字Dでは、栃木チームの本拠地という設定でも登場している。
開通した266号線は、かつて「那須山麓有料道路」として1991年まで有料であった。
つまり、ここは元々有料道路になっていたという事。…まぁ、地図で見ると、ぎり有料道路ではないみたいだけど(笑)
引用元:@Harita arayshi 
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高規格な橋、東白根沢橋。
奥に何か見えるが…。
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隧道の東側口の登場。
県道脇にありながら塞がれてもいないし、何の警告も無し。
この規模では珍しい。
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まずは側面を見ていこう。
現役時代からなのかは分からないが……かなり土被りが浅く、隧道となっている意味をあまり感じない。
最初からこうとは思えないので、現道の工事で大分削ったのだと思う。
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では、西側の廃道区間からIN。
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廃止後に降ってきたと思われる落石が多い。
当時も通行止めが多かったのではないか。
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落石防護ネットは崩れ、散らかっている。
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倒木と落石で、少しだけ通るのに苦労した。
隧道と対面する。
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鷹の巢隧道。
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銘板がなく、具体的な高さや長さの記録は分からず。
体感では高さ4m前後、長さ100m弱、幅4m位に感じた。車がすれ違うのはギリギリ出来るというくらい。
また、向かって左側がやや外側へ向いているように見える。
ひょうたんつぎのような形をしている。
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隧道に入り、まず目に入ったのが「バカ」。
誰に対する怒りなのか。やり場のない怒り。
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ゴミ等も少ない。電燈は元から無いようだ。
あっという間に抜けてしまう。
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隧道を抜けると、そこには橋が。
白銀橋。読み仮名は「しろがねはし」。
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東白根沢の名前を冠する。
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1964年(S39年)12月竣工。
恐らく、鷹の巢隧道も同じくらいの年代と思われる。
橋のスペックは、長さ45.8m、幅4m。外観を見られるところがなかったので気付かなかったが、アーチ橋らしい。
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現道について調べると、東白根沢橋は1988年(S63年)竣工、桁橋。
長さ53m、幅は不明だが二車線分ある。
鷹の巢隧道と白銀橋は20年ちょっとしか使われていないと思われる。
1988年といえば、A70スープラ、エクサ、プレリュード、S13シルビアといった、現代でも通用するスペックを持った車の時代。
1960年代のマイカーブーム最中に作った隧道と橋では、那須山麓有料道路及び塩那のスカイライン道路の入り口としてはスペックが低すぎたのかもしれない。
結局は有料道路入り口歴は3年後の1991年に終わり、塩那道路も開通せず、正式に廃道になった。
データ引用元:橋梁年鑑 様
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自由に入れるので、いつでもどうぞ。
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Posted at 2020/08/27 20:13:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃道 | 日記
2020年03月15日 イイね!

北茨城市関本町の神の山鉱跡にあるトンネルを抜けたら?

北茨城市関本町の神の山鉱跡にあるトンネルを抜けたら?
茨城県北茨城市は、かつては炭鉱により栄えていました。
多くの炭鉱企業があり、その内で最も有名なのは常磐炭礦株式会社です。
福島県いわき市が本社である同社は、炭鉱業界が縮小してきた1965年(昭和43年)に、常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)を設立しました。
近いですが…私は行った事がありません。
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炭鉱一筋の会社が、突然のエンターテインメントを始める事に、社員達からは相当の反発があったようです。
この経緯は、2006年にヒットした映画フラガールで一般に知られるようになりました。
6年後の1971年、神の山礦が閉山。1973年に北茨城市中郷町にある中郷礦が最新機器を導入したと同時に水没。常磐炭礦社の炭鉱は全て閉山となりました。

今回、神の山礦のあった場所にあるというトンネルを訪問します。
※国土地理院地図
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GoogleMAPのストリートビュー機能で下見をしてみると、現場最寄りは住宅に近い様子。
この車は少しだけ目立つ上に地元のナンバーではないので…不審車にならないように停める場所探しに苦労する。
んー、ここはバス停に近いし…目立ちすぎる…。
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高架下の誰も来なそうなところに捨てた。
今回の出番はこれで終わり…😥
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田んぼの真ん中を歩いて、太陽光発電畑に向かう。
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かつて、ここには神の山区の住宅があった。
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更地になった後、今は全て太陽光発電システムの敷地となっている。
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ええ?どういう事?
車種不明のセダンが気の毒。
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この橋を渡ると、トンネルに近づく。
目の前は太陽光発電畑になっている。
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第七八反橋。
78ではなく、第7八反橋という意味…と説明する必要はないか。
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昭和54年、思ったよりも新しかった。
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目の前になる太陽光発電畑は、かつて神の山鉱区の遺構が多く残っていた。
今はフェンスと防犯カメラ付きのセキュリティを敷いており、近づく事も難しい。
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太陽光発電畑を後目にわき道を登っていくと、見えてきた。
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右が太陽光発電畑入り口。左がトンネル。
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八反トンネルというらしい。
正確な名前は銘板がなく、個人のトンネルベースサイトである穴蔵様に、写真と全長が62mと記載されているくらいで情報がない。
上部を見ると山も土被りも無く、トンネルである必要性を感じない。
にもかかわらずトンネルとなっているのは、右側にあった太陽光発電畑は、この上を立体交差して通過する為である。
昭和48年版の国土地理院発行地図にはこのトンネルがなく、平成になってから表記されるようになった。
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空中写真ではトンネルがあるようにも見える。この道は常磐道の建設時にも使われたようだ。
※国土地理院地図 1975年(S50)11月3日撮影  
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ちなみに…2019年は太陽光発電場となっているここは
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1975年は更地で
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1970年には、多くの住宅があった。
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北茨城市なら何か知っていそう。
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老朽化の為、危険であるというが、中は崩れた様子は見受けられない。
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四輪車のタイヤ跡がある。
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継いだように巻き立てている。
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ひび割れ。
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2.2mの高さ規制。
誰かがぶつけたのか、曲がっている。
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トンネルを抜けた先は未舗装路となっており、水の流れがあるせいで路面が削られている。
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トンネルが終わりならこの記事も終わり…。
の前に、もう1つ気になる事があってここに来ました。
下の地図は冒頭に乗せた国土地理院地図のものですが、赤〇の下の方、南の分岐点に施設を表す赤いマークがあります。
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ここにはかつて、神の山鉱区に携わる多くの住宅がありました。
この辺りを中区、南区と呼んでいたようです。
赤い〇が、上の地図で小さく赤いマークをつけてある施設です。
※国土地理院地図 1966年(S41)10月29日撮影
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2019年現在の空中写真と比較すると、その変わりように驚きます。この施設を見に行きます。
※国土地理院地図 2019年(H31)4月28日撮影
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話を現地に戻す。
路面が削れている箇所を抜けると、開けた未舗装路に出る。
手入れもされているのは、ここが電信柱が通っている為だと思われる。
この先は常磐道の真下向かっており、それに関連した施設の為に送電しているのだろう。
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地図にも出ていた通り、二股に分かれる箇所がある。
過去の空中写真を参考にすれば、どちらも住居だった南区内へのルート。
電信柱は右奥へ続いているが、気になる施設があるのは左側のルートなので、左へ。
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このわずかな高低さに石垣があり、また何かに使われていただろうコンクリートの杭が散らばっている。
刻印はないようだった。
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この先は南へ向かい、やや下り勾配となる。
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現れたのは、里根川の支流とそこに架かる橋。
地図を見ておけば分かるが、川を跨いでいたのか。知らなかった。
この橋は、親柱が無い。
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ガーダー橋だった。
北茨城市磯原町木皿にある、1945年(S20)から30年使われた重内炭鉱の廃線跡を見ても似たような具合だった。
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恐らく、ここから先の唯一のアクセスは今の橋。
あの具合だと、もう大分人が来ていないのではないかと思う。
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ここに住居があった名残、木製電柱。
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脇には、炭鉱の軌道レールと思われるものがいくつか刺さっていた。
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南へ進みます。
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左か右か、分岐した。
うーん、左!
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長い事使っていなさそう、しかし立派な扉に遭遇しました。ご丁寧に施錠してある。
中には特に何もないようだった。
ここに火薬庫があったという話を聞いた事があるので、その名残だったのかもしれない。
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引き返して、右側のルートへ。
ここは水の流れがあり、大分削れていた。
角度があり、登っていく。
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先ほどの道はひたすら登って行ったが、少し逸れると見えた。
航空写真で見えた施設。
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しかしこの施設、かなり不思議である。
蔵の様に見えるが、四方八方を8m程の急峻な斜面に囲まれていて、どこから近づけば良いか分からない。全てを囲まれている。
今いる道も、本当のルートじゃないと思う。
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階段のようなものがあるかと思ったが、見つからなかった。
施設の屋根よりも高い場所にいるので、下まで降りるのは少し辛いし、近づいてもあまり魅力を感じなさそう。
施設の状態は良い様子で、今なお現役で使っているかのように見えた。
特に看板や表記があるわけではないので、誰が何の為に管理しているのか、それとも使用しているのかいないのか分からなかった。
少し前に登場した赤い門の中の敷地と隣り合わせにあるが、斜面で隔ており、アクセスは出来ない。
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窓は無く、扉は施錠されており、中をうかがい知る事は出来ない。
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斜面を伝うと、隣にもう1つ施設がある。
先ほどの施設を小さくしたような作りで、基本的には同じようだった。
ポリバケツが放置されているのも同じなので、本来はこの施設に必要な道具だったのだろう。
写真の通り、ここも斜面に囲まれている。
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では、人が訪れないのかというとそういうワケではなく、10m以上はある避雷針のような新しい金属の棒が施工されていた。
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施工はここ1~2年のように見える。
この金属棒の用途も分からないまま。
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結局、分からない事だらけのまま退散です。
北茨城市に問い合わせてみようかな。
余談…
帰りに、トンネル前のついている錠前が、職場で使っている物と似てるなぁ…と思って試しにカギを差し込んだら…開いてしまいました(^-^;
…そっと元に戻しました。
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Posted at 2020/07/05 18:20:16 | コメント(3) | トラックバック(0) | 廃道 | 日記
2020年01月01日 イイね!

高萩市の国道6号線には今も隧道がある

高萩市の国道6号線には今も隧道がある天下の国道、6号線。
東京都から宮城県を結ぶ、通称陸前浜街道、ロッコク。
茨城県を大きく縦走している、泣く子も黙る一桁国道です。

江戸時代より続く6号線は、時代の都度改善が加えられ、線改良が進められていました。
例えば高萩市赤浜周辺には、かつて隧道があったようです。

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現在は大きな掘割があり、当然この隧道は掘削されて現存しないものと思っていました。
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しかし、高萩市立図書館にある高萩市史(1980年)を見ると、さぞ今も残っているかのような記述がありました。
名前を赤浜隧道といい、未舗装の旧国道6号線にあった隧道だと記述があります。
残念ながら竣工年や長さ・高さの情報はありません。
「隧道は土盛されて閉鎖され、人々から忘れ去られようとしている」とあり、1969年に撮影された写真では開通しているようですが、高萩市史が発行された1980年頃には既に閉鎖されていたのでしょう。

実際に見に行ってみましょう。
※写真:高萩市史より
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現地到着です。
写真にもあった特徴的な方丈ラーメン橋。
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この掘割が、かつての隧道を掘削して広げた場所なのかと思っていました。
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ここが、写真の撮られていた場所に近い場所。
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ガードの甘い柵の内側へ。
ここは現役企業の敷地内になるので…。こんな事は元旦にしか出来ません。
少しの間だけ、失礼します。
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写真から見て、この辺りか?というところにアタリを付けて探してみます。
すると、何か見えてきました。
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隧道の上部と思しき構造物です。
これは…アタリだな。
写真を見れば残っているんだろうとは思っていましたが、ネット上ではこの隧道を触れた記事が無かったので半信半疑でした。
よかったよかった。
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横の、排水を流すと思しき場所には樹が生えています。
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このやや斜め内側に入っていく擁壁?の部分は
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間違いなく、これが赤浜隧道である事を証明しています。
※高萩市史より
体感では、幅5~6m、高さ4mくらいか。
写真から見ると長さは50~100mくらいのようだが…。
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反対側は別の企業の敷地になっており、完全に埋め戻されているようで手掛かりは何もなかった。
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推定坑門埋没地点。
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さて、私有地ですから、いじるのは最小限にしてササッと離れます。
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最後に、最初の写真と同じような構図で撮影。
樹が邪魔で橋が見えませんが…。
地元の方にお話しても、この隧道を覚えている方はまだ会った事がありません。
陸前浜街道の要だったはずですが…。
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最後にまた比較写真。
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この後、古地図から見た別の隧道跡を見に行きましたが…何も見つけられずにボウズです。
ネットに出ていないようなマイナー物件は、地道に探すしかないようです。
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Posted at 2020/06/01 01:57:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃道 | 趣味

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「3Dプリンター技術等を使った、古いホンダ車の互換部品製造とNSX向けの新レストアサービスについて
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