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2019年11月05日 イイね!

福島県福島市の大滝は、まだ廃れてない

福島県福島市の大滝は、まだ廃れてない
宮城県のレアなダムから、福島市と米子市の境にある、大滝宿に来ました。
なお、今回の資料の殆どを「わが大滝の記録」様を参考にさせて頂いております。
実際に居住されていた方のサイトですので、かなり濃厚です。


大滝は、かつて山形県~福島県の通行を大きく変えた萬世大路の施工基地として作られました。
明治天皇が行幸(外出)された際、この大滝に宿をとられた事で知られています。
青看板にも、行先に名前が記されています。
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入り口では、かつて経営されていたであろうお土産・飲食店の廃墟が出迎えてくれます。
後述しますが、昭和54年(1979年)に無人化した後、昭和59年から「大滝宿」の観光化を計ったようですが人気が出ず、平成3年(1991年)頃には自然消滅したそうです。
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ここから未舗装路です。国道13号の旧道に当たります。
明治時代末期、ここの左手には饅頭屋さんがあり、近くの大滝銅山に販売されていたそうです。
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未舗装路をトロトロ走っていると、対面から悪路の王者ジムニーが。
道無きところへ避けて走ってくれました。王者の余裕さすがです、ありがとうございました。
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ちょっと路肩で一休み。
通称「かど」と呼ばれる場所のようです。
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割と整理されている未舗装道でも、自転車も載せてへろへろです。
山菜・きのこのお店。
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ふるさとを想う。
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今は画面真ん中の分岐路のやや南側にいます。
この道は1934年(昭和9年)に失業対策工事で施工された通称「救済道」です。
ひたすら南に行き山を越えると、秘境駅として有名な赤岩駅までたどり着けます。
当時の方は、福島の市街地に出るためにここを歩いて赤岩駅まで通ったのだとか。
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大滝橋という橋を渡って…上の地図でいう、赤い屋根の建物がある箇所に来ました。
大滝分校跡です。
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路駐しているうちに、レクサスCT200が1台通過しました。
後ろに見える坂道は、分校へ入るためにあったそうです。
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分校跡に、大滝記念碑があります。
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立派な記念碑があり、大滝の歴史が記されています。
かいつまんで記載しますと
「大滝は明治10年(1877年)、萬世大路の建設基地として生まれた町で、開通後は難所の栗子峠を越す前の宿場町として栄えた。」
「明治33年(1900年)、奥羽本線の開通により徒歩の客足は激減。30年足らずで宿場町は終焉を迎えた。」
「以降、大正、昭和初期を平和な山村として過ごした。昭和10年(1935年)、266名、43世帯が暮らした頃が最盛期となった。」
「しかし、終戦後は高度経済成長期を迎え、都市との経済格差が著しくなった。昭和41年(1966年)は新道(現在の国道13号)が開通し、主要道からも外れてしまった。」
「加えてエネルギー革命が興り、主産業の木炭が廃れ、昭和54年(1979年)に無人となった。しかし、明治天皇が宿泊し祖父親子三世代に渡って築いてきた大滝の文化に万感の思いがあり、記念碑を残す」
この記念碑自体も昭和54年のものだそうで、ちょっと驚き。
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離郷十周年時の記念碑。
平成元年(1989年)に改修した記載有。
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平成25年(2013年)、奉納の山神神社鳥居。ついこの間ですね。
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山神(さんじん)神社。
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山神神社の由来が記載されています。
明治43年(1910年)に三ツ石(光石とも)三平なる浮浪の人物が、萬世退路を通行中に良質な鉱脈がある事に気付き、一攫千金を得た。氏は、ここに神社を建てて山の安全を願った。」という事が由来のようです。
しかし、大滝銅山は鉱床極めて浅く、大正時代には閉山しました。
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感じるのは、どの記念品もキレイである事。
定期的に大滝に住んでいた方の集いがあり、手入れをされていらっしゃるようです。
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道まで戻ります。分校のすぐ近くに旧ポンプ小屋があり、現在は大滝を管理される方々の事務所となっています。
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すぐ横にある旧太見邸。
冒頭の大滝宿観光化の際に福島県の商人が空き家を買い取って、芝居小屋等として営業していたそうですが、長くは続かなかったようです。
向かいは同じく空き家(旧須田邸)を買い取り、大瀧屋という食堂があったそうです。
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悲痛な叫びが書かれています。
不法投棄・窃盗は、廃墟・廃道に必ず付いて回る問題です。
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こからは、86を棄てて歩きます。
すぐ近くにも建物があり、こちらは茶屋だったようです。
こちらのHPを見ると2006年には「コーヒー1杯500円」等の看板があったようです。
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先に進みましょう。
楜沢橋が見えてきます。
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昭和11年竣工。
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建屋が見えてきました。
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旧渡辺清治邸。
右にある萱は、冬の間に家の周りに敷き詰めて防寒効果を高めたそうです。
軒下まで雪が積もる事が多かったんだとか。
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一枚失敬。
掃除機は昭和60年(1985年)で、無人化後のものでした。
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明治天皇が宿泊された、旧渡辺要一邸。
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明治14年(1881年)、明治天皇が宿泊した事を記念して作られた碑。鳳賀註蹕の蹟と刻まれ、二ツ小屋隧道と、ここの2つに建てられています。
(前回、二ツ小屋隧道で見逃しました)
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昭和になり、御影石で改めて建てられました。
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この渡辺邸に宿泊されたわけですが、本来は隣の高野邸に泊まるところを渡辺邸が増改築する等して明治天皇に泊まってもらえるように嘆願した結果、渡辺邸に泊まる事になったとの事。
当然、高野家と渡辺家の仲は険悪となったようですが、子孫の方はそういったわだかまりはないそうです。
>(高野邸は現存せず)
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この先も萬世大路、旧国道13号線が続くのですが、家屋が無いため急激に廃道化していきます。
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少しわかりにくいですが…
この旧西川橋を渡ると、大滝の集落は終わりです。
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先はかなりの藪なので、行きません。
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旧西川橋をスルーすると、後から出来た現国道の建設などで使われた作業道と思われる道が続いています。
車で来たら、ここで転回しましょう。
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現:西川橋。国道13号線。
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新しく出来た、東北中央自動車道の新西川橋。
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謎の足場。
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謎の足場の対面は、足場を撤去した跡が残る。謎の足場側にも、撤去をした跡が残る。
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ストリートビューで見ると、単に空き地に足場がかかっているだけに見える。
対面のトンネルも4車線にするためにあるわけではないようだった。
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道がなくなるが、現:西川橋が架かるまでは農作業道があったらしい。
その後、補償としてかなりの幅員を持つ道が出来ましたが、現地では確認出来ませんでした。
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1966年時点の大滝。
左上の橋が現:西川橋。下にかかっている小さな橋が旧西川橋。
画面中央やや右にある大きな家屋が渡辺邸。
右に見える分岐路のうち、現道に上がっていくのが補償で出来た作業道です。
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86を棄てた茶屋まで戻ってきました。帰ります。
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左手に、大きく傾いた金属の門のようなものが見えます。
ここ元々の木炭倉庫で、その残骸と思われます。
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大滝の入り口まで戻ってきました。
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廃墟と御地蔵様のいる水汲み場。
蕎麦屋だったらしい。
御地蔵さんの涎掛け等は新しくなっているものもあります。
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東北中央道。
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岩を削りまくった物凄い力技を感じさせます。
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登れるようです、疲れた。
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連絡道になっており、この区間は国道13号から入る場所で、高速道路ではありません。
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特に何もない行き止まりだけがあります。
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では、大滝を離れます。2019年秋の東北の旅はやっと終わりました😅
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関連情報URL : https://ootaki.xsrv.jp/
Posted at 2020/03/30 03:16:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃道 | 旅行/地域
2019年11月05日 イイね!

宮城県仙台市の大倉ダムは、日本に2基しかないマルチプルアーチダム

宮城県仙台市の大倉ダムは、日本に2基しかないマルチプルアーチダム
前回、北上市でいつもの水力発電所跡を1日かけて堪能しました。

その後、仙台市内へ向かいました。
東北道で、インパクトブルー所属のStar Lineさんとハイタッチしました。
ハイタッチ後、事故による通行止めの案内が実施されており、築館ICで強制的に降りる事になりました。
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後から知りましたが、18時前に起こった交通事故のようです。
最大50kmの渋滞になり、0時を過ぎても事故処理が終わらなかったとの事。
ガス欠で路肩にハザードを点けて停車した車から、70代の夫婦が助けを求めて高速道路上に飛び出してきた為に、次々と後続車両に轢かれるという痛ましい事故だったといいます。
高齢化社会の中では、逆走も含めてこうした思いもよらない行動に遭遇する事例の一つでもあるかも知れません。
現場は凄惨を極めていたとの事で、もう30分早かったら遭遇していた事を思うと、山屋さんと長く話し込んだのが良かったようです?
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強制的に一般道に降りましたが、仙台以北から東京方面に向かう全ての車両がここで降ろされている事もあり、大渋滞となりました。
私は3日間高速道路乗り降りし放題のプランを利用しているので、使ってこそ意味がある?
次の古川ICで乗り直し、プランを最大限利用しました(^-^;
仙台港北ICに近いスマイルホテルに泊まりました。値段がめちゃ安いので不安でしたが、良いところでした。
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ここから本題、大倉ダムへ向かいます。
仙台の東から仙台駅前を突っ切って西に向かいます。
命名権の関係で、本名は仙台環境開発大倉ダムですが、長いので…ここでは大倉ダムとします。
土日祝は右に入れない事になっていますが、今日は平日ですので右に曲がりましょう。
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まずは、アーチダムの上を弓なりに走ります。
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渡りきると、退避所があり、またアーチが始まります。
ダムの天端を走り続ける事になります。
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なお、ここは交互通行です。やや高い壁があるので、86のような車は相手から認識されにくそうです。
私は自転車載せてるから平気ですけど😁
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どういう事かというと…
渡り切ったところに、親切な看板があります。
このようにアーチが2つあるというのが大倉ダム最大の特徴です。
普通、アーチ式ダムというと黒四ダム(黒部ダム)のように、弓なりに作られたダムを指します。
大倉ダムはそれが2つ繋がっているマルチプルアーチ式(多連式アーチダム)という事になります。
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このマルチプルアーチという形は、以前紹介したバットレス式ダムよりもさらに珍しく、日本に現存するのは2基しかありません。
香川県の豊稔池(ほうねんいけ)ダム(1930年竣工)と、ここ宮城県の大倉ダム(1962年竣工)のみとなっています。
大正時代に着工された豊稔池ダムは5連式の石積アーチとなっており、国の重要文化財に指定されています。香川県に行く事があれば是非行ってみたいですね。
大倉ダムは2連のコンクリート造で、アーチダムが2つかかっているような形をしています。
とはいえ、5連式も2連式も、石積もコンクリートも日本唯一となりますので、どちらも大変貴重な形をしたダムです。

※画像は名所旧所案内様による豊稔池ダム
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マルチプルアーチ式を採用した理由としては、バットレス式ダムと同じく、工費の節約と言われています。
前述の豊稔池ダムは灌漑(農業)用として作られました。国の施策による多目的ダムや、豊富な資金力のある電力会社の発電用ダムと違い、灌漑用ダムの場合は地元が工費を負担するケースが多かったようです。
特に戦前はセメントの価格が高く、いかに少なくしてダムを造るかが工費を節約する要でした。
その為、重力式ダムに比べて2割~5割の経費削減が見込める方法が、このマルチプルアーチ式だったといいます。
豊稔池ダムは地元の大きな期待を背負っており、15万人を投入、わずか4年作られました。しかし、複雑な形が作業効率を落とし、結果として期待に沿うような能率的な成果を上げる事が出来ず、以後採用されませんでした。
その後、建設費の兼ね合いと地質の良さから2連のアーチの大倉ダムが出来るまで、マルチプルアーチ式ダムは豊稔池ダムだけでした。

文字だらけで申し訳ございません。86を適当に捨てます。
この奥は、大倉小学校や郵便局等があります。
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チラ見する大倉ダム。
ここから2連のアーチが見えるが、こうして平面で見るとあまり実感が湧きません。
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ダム手前のロックシェッド横に据えられた大倉ダム記念碑。歩きでなければ気付きにくい。
記念碑にはアーチ式コンクリートダムである旨だけが記載されています。
用途として、灌漑・上水道・発電の多目的ダムである旨が記されていました。
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86で渡ってきた天端ではありますが、徒歩で横断を試みます。
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中央を目指しましょう。
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紅葉がまだ美しかったです。
目下に見えるのは、大倉川という川です。
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中央の待避所に到着です。
ここには駐車をするなという旨が書いてありますが、何台かはとっかえひっかえ駐車しておりました。
今日のような平日は問題ないが、夏休み等の長期休暇期間に待避所が使えない事は、あまり考えたくない。
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駐車するな、と書いておきながら駐車しなければ読めないような案内があるのも誤解を招く一つかもしれない。ベンチもあるし。
私のように、遠くに車を棄ててから歩いてくる人間は多くないと思う。
この案内も、大倉ダムがマルチプルアーチ式である事は一切触れておらず、それ故に何故この形を採用したかも触れていない。
日本で唯一の2連アーチだとか、日本で2基しかないマルチプルアーチだとか、もっと主張すれば良いのではないかと思う。
この待避所が混むんじゃ困るけどさ。豊稔池ダムは結構PRしてるみたいだよ。
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では、渡り切りましょう。
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やや斜め前から。
なかなか全体を捉えるのが難しいです。
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大倉湖。
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大倉大橋。
名前はすごそうだけど、一車線しかない上にバスが通る。
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大倉ダム事務所。
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少しダムから離れると、大倉ダム下公園という広場に行けます。
名前の通り、大倉ダムの真正面にあり、あおった光景でダム全体を見る事が出来ます。
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仕方ない。ここで2号機、初フライトにします。
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当時、Phantom3 Advanceから変わって、かなりビビリながらの飛行。
マルチプルアーチの形が良く分かります。
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初フライトの為、なんだかロクな写真がありません。
もっと全景を捉えろって感じですが…。今は慣れました。
是非、宮城県に来たら大倉ダムに寄ってみて下さいね。見たら自慢出来ますよ。
さて、次は山形県です。

       :ツウになる!ダムの教本
       :一般社団法人日本ダム協会
       :Wikipedia
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Posted at 2020/02/19 00:32:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | 景勝地 | 日記

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「[整備] #NSX トランクダンパーがぶっ壊れたので変えた https://minkara.carview.co.jp/userid/1644328/car/3056235/8313374/note.aspx
何シテル?   07/27 22:33
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