
山形県米沢市と福島県を結ぶ国道13号線は
万世大路(ばんせいたいろ)と呼ばれています。
仰々しくも不思議な名前ですね。
これは昔、ここに
萬世大路(ばんせいたいろ)という長大な道路が存在した為です。
ブログの中では、万世大路という表記に統一してお話ししますね。
この万世大路という名前が意味するところは何でしょう。
簡単に歴史を振り返ってみましょう。
明治9年(1876年)に、薩摩藩出身の三島通庸(みしまみちつね)が山形県令、今でいう県知事に就任しました。
三島県令は、
陸路の整備こそが流通経済を活発にさせ、県民を豊かにすると考え、反対派を押し切り、歯向かう者は権力を振りかざして罰するなどして数々の土木工事を強行し「土木県令」「鬼県令」と恐れられていました。
その「土木県令」が1881年に完成させた道路が、
万世大路です。
4つのコンクリート橋と5つの隧道がある長大道路で、特に5つの隧道のうち栗子山隧道はアメリカから最新機器を導入して掘削し、約864mという当時で日本一長いトンネルを、死者を出さずに竣工しました。
開通式の折、式に立ち会われた明治天皇は「
万世の永きに渡り、人々に愛される道となれ」という願いを込めて、
万世大路と名づけられました。
そのような経緯もあり、廃道業界の中ではもっとも著名な存在の一つであり、聖地等と言えるかもしれません。
誉れ高い万世大路ですが、全体図でいうと下記の様な図となります。
南のなだらかな道路が現在の万世大路(国道13号)、
東からクネクネして北へ登っているのが1881年の万世大路です。
国土地理院、1976年のものです。
GW最終日、この万世大路を福島側から5つの隧道のうちの1つ、二ツ小屋隧道を探索してみたいと思います。
といっても、隧道は既に3つは殆ど痕跡無く、現存するのは崩落した栗子山隧道と、今回の二ツ小屋隧道しかないのですが。
余談ですが、東栗子トンネルは2,376m、西栗子トンネルは2,675mもあります。
この近くに、このような道があるはずですが…
もはや全く面影がない?
少し調べると、どうやら少し入口が変わっているようです。
対向車線を越えて、山肌にあるトンネル換気塔工事現場入口を見ると…
案内図があった。
とても分かりやすい。
だが……
お前に何があったのだ?
案内板に従い、換気塔工事横を登っていきます。
結構急な坂です。
86は捨ててきました。
上がると、ダートな道が。
この道は元々、ここにあった飯坂スキー場の整備道で、万世大路ではありません。
この道を抜けた先に、万世大路があります。
かなり荒れていますが、土嚢袋等で最低限整備はされているようです。
飯坂スキー場の遺物、ゴンドラリフト。
整備道に沿って定期的に出現しますが、道から離れて立っており、近づくのは少し面倒です。
スキー場は何十年も前に閉鎖されたらしく、地上からはどこがゲレンデだったのか見当もつかない。
リフトの遺構については、別に記事をアップしましょう。
20分ほど歩くと、右側にA型バリケードが。
入口に捨て置かれていた案内図を思い出します。
今、南から上がって来てちょうど
赤い〇のところにいるようです。
脇道から万世大路に入ってきた、という具合です。
これからが本当の万世大路を辿る事になります。
左側に行き、二ツ小屋隧道を観る事が今回の目的です。
A型バリケードについている紙を見てみます。
万世大路を守る会、という地元の団体の名称が見えます。
この道が一切「立入禁止」でないのは、この方々のおかげなのでしょう。
どうやら右には行けません。
私も目的地は左側の道なので、ここは一度スルーしましょう。
…ん?自動車通行出来ない?
って自動車が来るの?ここに?
ここから、かつて明治天皇が「万世に渡って愛されるように」という願いを込めた道路を辿っていきます。
先ほどまでのスキー場整備道とは大きく違う点があります。
石垣が出現した事です。
石垣は明治時代のもの?昭和の道路拡張の時のものでしょうか?
積方を観察すれば、分かる人は分かるのでしょう。
なんだかブラタモリみたいですね。
広く、美しい道です。さすが万世大路。
万世大路が作られた時代は、馬車が最も大きい乗り物でした。
その時代に、拡張工事を受けながらここまで広くて快適な道路を作るという事は、相当な流通を重視していた事が伺えます。
1966年に現道が完成するまで、この万世大路が使われてきました。
ふと、モータリゼーションな音が耳につきました。
林道好きなライダーかな?
ウインチの付いたジムニーが。
え、パジェロミニ?分かんない…。
とりあえずジムニーと呼ばせて下さい。
あら、もう1台。
赤いジムニーもウインチ装備。
私のハッタリ86とは真逆の、飾り気の全くないその姿は非常に漢らしく美しいです。
ていうか車で来られるんだ。
86で来ればよかったか。
あ、ごめん、さっきの嘘。
絶対無理。
へぇ…。
こんなところも楽々通れるんだな…。
なんて感心しているうちに、どんどん登っていくジムニーたち。
ローギアでのぼる音だけが聴こえるようになりました。
ちょっと進んでいくと、美しい隧道が見えました。
さっきのジムニー達が停まっていたので声をかけると、車の漢らしさによく似た、親方と呼ぶにふさわしい男性二人が気さくに話に応じてくれました。
地元の釣り好きの方で、相当前から万世大路に通っているそうです。
反対の山形側の万世大路も、以前ウインチを使って走破したとか。
しばらく話した後「この前、ここに熊がいたから気を付けてな」と注意を頂きました。
どうしたらいいんだろう。
では、入ってみますか。
明治14年(1881年)に開通し、昭和9年(1934年)に改修されました。
約350mの隧道です。
開通より130年以上、改修より80年以上経っています。
そこまで長くないので、明かりが見えます。
巻き立てのせいか、すぐに断面が一回り小さくなります。
電気がないので真っ暗ですが……まぁ普通?
全然普通じゃなかった。
赤い〇をつけた、ありとあらゆる場所から水が湧き出ています。
当たり前ですが、隧道の中は水浸しです。
結構な水量です。
油断して歩いていると、ずぶ濡れです。
そうこうしているうちに、親方達のジムニーが出口まで突っ走ります。
それにしても、なんだか石が多くない?
壁が破れています。
石が多いわけです。
ここも。
他にも多数、穴が開いて大きな石が転がっているので足元に注意しましょう。
ついでに天井も崩落していましたから、頭上も注意すると良いですね。
おっと。前も見ていないと、トラックにぶつかりますよ。
誰も乗っていませんでした。
青いけど、さすがにインパクトブルーには無理かな…。
ここらで、後ろからやってきたパジェロかな?三菱の車に乗ったおじさん2人が、真っ暗な隧道に佇んでいる私に声をかけてきました。
「この先、いけるのか?」と。
「ジムニーの方が行っていたから、行けると思いますよ」
とりあえず行ってみて欲しいという私の勝手な期待があったので、知らないけどこのような答えをしました。
出口は近いぞ。
変な所が明るいが…。
手前がパジェロ、奥がジムニーです。
二ツ小屋隧道を紹介するうえでよく出る、天井崩落による明かり部分。
落石が隧道を直撃した事が原因だとか?
上に沢が走っているので、かなりの水が上から降ってきています。
常に沢水にさらされ続けています。
この日は晴れていたので、明るく良い感じでした。
水があちこちから出ているせいで、冬に来ると氷柱が幻想的な風景を作り出します。
是非一度見てみたいですが、行軍中に死人も出た事があるとの噂。
素人では、熟練者同伴の上で相当の準備をしなければこの光景を拝むのは難しいでしょう。
心に残る風景がここにあります♪ 様より画像を拝借しました。
さて、5月に戻ります。
外へ出てみると、パジェロの前にコンクリートの巻立が崩落しています。
ここに停めるのは危ないんじゃないかな…。上から今にも降ってきそうだし…。
トンネル上部には沢水を逃がす水路がありましたが、相当前に決壊し、滝を作って地面を水浸しにしています。
長くなりましたので、ここで一度区切ります。
後編では、隧道周りや道の先に触れていきます。