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2020年07月30日 イイね!

茨城県常陸太田市(旧里美村)の有名な兎を知っているか

茨城県常陸太田市(旧里美村)の有名な兎を知っているか
茨城県常陸太田市は、人口48,000人の(茨城県内では)中堅都市です。
県北の山々の大部分を擁する、自然豊かな市です。

今回、たびたび国道から見えていた物件が気になったので行ってみましょう。
タイトルについては後述しますが、後半はほぼ兎の話です。
ピー〇ーラビッ〇とかの有名なキャラを真似たとか、そういうものではありません。
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二階建ての住宅がある。
廃墟と言われてしまう住居の大半は、カーテンが付けたままになっている。
カーデンが取り外されただけで空き家感が一気に出るからアラ不思議。
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家の向かいには、犬小屋と…
大型の獣を入れられそうな、小屋というよりは罠のようなものが。
何を入れていたのか。
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奥には、厩舎のような雰囲気の建屋。
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近寄ってみる。
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お邪魔します。タイルがキレイ。
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中は壁が無く、柱が剥き出し。
何故か柱が切られている場所もある。
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窓でもあったのかな。
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残されたものの中で、ちょっと興味を惹くものを見つけた。
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三菱電機の高級オーディオ、ダイヤトーンブランドのスピーカー。
1999年に撤退した後、2006年にカーオーディオとして復活。現在はホームオーディオでも復活した。とても買えません。
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このDS-25BMKIIは、1979年発売。当時で1台29,000円。
通常の家庭で使われていたものが、オークションにて2台で3,000円前後の相場。
内部にはアッテネーター基盤があり、相当の劣化が懸念される。このコンディションでは、音を出すのは難しいだろう。
幅320x高さ570x奥行294mm、重さ13.5kg(1台あたり)の重量級のスペックは、現在ではオーディオマニアしか購入しないだろう。
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ここは何をしていた場所なのか。
車いす、テーブル、パソコン。
残されたものを見てもさっぱり分からない。
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野球しようぜ!
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一番奥に、この施設で何をしていたのかのヒントになる機械があった。
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「高級木工機械フジモックFM-901」の銘板がある。
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同じ機械に日高機械の名前もある。石川県の会社で夜間も対応しているらしく、専用の番号が載っている。
日高機械は現在も石川県で存続している会社で、フジモックは有限会社ティーズファクトリー(茨城県)という名前の会社が以前販売していた事がHPに掲載されている。
メーカーと販社の関係なのか、よく分からない。
分かるのは、ここで木工作業を行っていたという事。
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内部には他にも多数の
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工作機械があった。
これは自動旋盤らしい。自動旋盤ってもっと機械チックな感じのイメージだけど。
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エアーコンプレッサー、ベビコンもあった。
なお、ベビコンは日立グループである株式会社日立産機システムの商標だと初めて知った。
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夏は嫌だなぁ。
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向かいの建屋に移動する。
ここも大分やれており、看板だったと思われるトタンがギシギシ揺れていた。
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中は、かつて事務所だったようだ。
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鉄線入りのガラスは、鉄線が腐食すると勝手にひび割れる事がある。
これは誰かに投げつけられた気もする。
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社員の半田さんのトレー…
ではなく、半田付け関係のトレーのようだ。
他にはダイオード、セナーダイオード、トランジスタ、抵抗等が書いてあった。
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なにわろてんねん。
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この建屋は、まだ現役であるような、そんな気もする。
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ごめん、嘘ついた。
恐らく、雨漏りからこうなってしまったのだろう。
人が住まなくなると、建物の劣化は早く感じる。
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とりあえず、探索は終わり。
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この敷地の手前、2つの碑と看板が建っている。
兎の供養塔と、菩薩碑。
なお、兎の供養碑は珍しいものではなく、駒ケ根市や郡山市等にも存在する。
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立て看板の内容を書き起こしてみる。

兎魂の碑(うこんのひ)
昭和三十四年十一月 長野県から二百羽の種兎を買い入れしました。
昭和三十五年には養兎組合が作られ、導入した種兎を改良し、全国でも大変珍しい、兎の飼養が行われました。
これらの改良種は「里美兎」として生産され、北海道から九州まで広く普及し、里美兎の名声を全国に博しました。
又、この地には実験用の無菌兎としての施設があったことから、記念碑が建てられました。
徳田町会 お宝さがし実行委員会 平成二十七年三月設置

なお、徳田町会徳田マップでは、兎魂の碑を「とこんのひ」と書いてあるが、これは誤りである。
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ここ常陸太田市徳田町は、元々は徳田村であったものが明治22年に小里(おさと)村に合併し、昭和30年に里美村に合併、平成16年に常陸太田市に合併された。
どうやらウサギ界では著名な兎のようだが、Googleで「里美兎」を検索しても1件もまともにヒットしない。
創作の美少女キャラに宇佐木里美(うさぎさとみ)ってのが出てきたが…無関係だよね?

本当に「里美兎」は北海道から沖縄まで広く普及して名声を博したのか。
私、気になります!
という事で、常陸太田市立図書館で里美村史(S59年発行)を調べてきました。
以下、同書より引用します。

昭和三十四年十一月、村では長野県畜産課の協力により二〇〇羽の種兎を導入し、次いで秋田県からも種兎を導入した。
三十五年には養兎組合がつくられ、導入した種兎をもとに、これに改良を加えるとともに、全国でもまれな兎の登録事業を進め、これにより改良種の「里美兎」が誕生したのである。
三十六年には、村主催で、第一回種兎共進会が開催された。
里美兎は、種兎としても、北は北海道から南は九州まで分譲を図り、「里美兎」の名声を博したのである。

ここまでは、立て看板とほぼ同じ内容です。

国内ばかりでなく、韓国や台湾等海外へも輸出され、テレビにも放映されたほどであった。
三十八年には大中里平に兎供養塔(注釈)が建てられた。

上記の注釈には「現在は徳田山口に移動している」とあり、以前は大中里平という所にこの供養塔はありました。
これは旧大中村の里平の事で、現在の国道349号と国道461号の交差点近くになり、現在の位置から9km程も離れています。恐らく、今回見た施設が無菌兎と関りがあった事で、石碑の移設候補となったのでしょう。

三十七年十二月には飼養戸数五四〇戸、三三二六羽に達し、販売高も四〇〇万円をこえた。
しかし、その後年々減少し、四十八年一月には、飼養戸数四三戸、一四三羽までになった。
ところが同年四月、埼玉県の株式会社「日本動物」から、不足している実験用兎の飼養を呼びかけられた。
このため、村からも有志が参加して、四十九年六月に、農事法人「日本実験動物生産販売組合」を設立した。
村民はこの組合との契約飼育によって、ニュージーランド・ホワイト種を導入し、飼養するようになった。
将来有望な試みとされたものの、無理な計画から長続きせず、五十三年には倒産に追い込まれてしまった。
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この写真、移転後のものなので今回の撮影した箇所と同じはずだけど…あんな立派な家は無かったが…。
10年で全盛期の5%まで減った兎ビジネス。最後に埼玉県に逆転の望みをかけたが…残念な結果に。
しかし、里美兎自体が栄えたのは最初の10年くらいだけで、末期はニュージーランドホワイト種って、里美兎とは別物がメインになっていました。
ちなみにニュージーランドホワイト種って、こんなのね。日本の代表的なウサギとほぼ同じ。
※引用:うさぎ総合辞典
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そう、気になるのは「里美兎」がどんな姿をしていたのか。
これは里美村史には載っていませんでした。
丁度、この頃にアンゴラ兎(毛の長い兎)ブームがあり、昭和35年(1960年)は日本のアンゴラ兎の飼育数が72万羽になり、世界一アンゴラ兎を飼育している国となっています。
長野県は特に兎の研究に熱心で、昭和23年(1948年)から日本アンゴラ種の繁殖に取り組んでおり、日本アンゴラ種を長らく飼育・研究してきた長野種畜牧場は、家畜改良センター茨城牧場長野支場と名前を変えており、長野県佐久市を本拠に置きながら茨城県筑西市に牧場を持っています。
なお、日本アンゴラ種は兵庫県に30匹程度しか存在しない絶滅寸前の種ですが、品種改良で生み出された人工的な種が絶滅危惧種に指定される事はないようです。
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里美兎の姿、私、気になります!(2回目)
常陸太田市役所に問い合わせ、再度常陸太田市立図書館で当時の広報誌を調べました。
ここからは当時の広報誌を参考にしましょう。

当時の広報誌、広報里美の7号を見てみます。
内容は大変面白く、例えば
「メートル法にはなれましたか?今年一月からは計量がメートル法を使う事となっています。尺貫の目盛りの桝を使っていませんか?子供が学校でメートル法を習って家で尺貫では迷ってしまうので、誰もがメートル法実行委員会の積もりで勉強いたしましょう」
なんて、見てるだけでニヤニヤしてしまいます。

さて、そんな広報誌の中に以下のような記述がありました。
【兎を飼いましよう】
昭和三十四年度より新村計画の一環として本村各農家に兎を導入増殖し、飼育管理の改良と販売体制を確立して、本村の地域を家兎生産地帯に推進する計画を樹立しておりますので(中略)兎の用途はハム、ソーセージ、毛皮の利用等に不可欠の存在であり、その需要は累増の傾向をたどっております。
(中略)耕地が狭少で収入の少ない小規模経営、特に牛豚等の飼育に自信の持てぬような農家には重要意義が生じてくるものと思考されます。
村当局においても家兎の導入、飼育方法、飼料対策等、販売体制等研究調査して、近い将来、本村が県北における家兎生産地帯として全国的に名声を発揮しうるよう計画しておりますから、農家の方にはなお一層のご協力をお願いする次第であります。
S34年11月15日発行広報里美7号より引用

導入の理由としては、小規模農家の収益改善が目的である旨が分かります。
今後、兎販売に注力するから皆さん兎を飼って下さい。という内容です。

次号の広報里美8号には写真が載っております。
【販売を目標に兎を殖やそう】
農家の急速なる現金収入増大を目標に長野県から種兎の導入をはかってから二か月となりますが、今まで牡六牝一一九が導入夫々配布されました。
何れも日本白色短毛種として純粋なもので、これから導入されるものと共にさかんな増殖を望んで止みません。
種牡は昭和三十三年長野県畜産共進会で優等賞と農林大臣賞をとったものの仔で七ヶ月で
四.八七五瓩、一貫三〇〇匁になったものです。今年の秋には増殖仔兎の共販を目標にどんどん殖やして下さい。
S35年2月15日発行広報里美8号より引用
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順調に農家の方に兎が行き渡っていく様子が分かります。
面白いのは、4.856瓩(kg)と一貫三〇〇匁と、従来の計量法も並行して載せている点です。先ほどのメートル法がまだ馴染んでいないのでしょう。
そして、ここで(厳密にはまだ、里美兎として交配を行う前の)里美兎の姿が掲載されています。
また、別記事にて兎の飼い方について取り扱っています。
そして最下段の編集コメントにて発行が遅い旨を毎回謝っています(笑)

さらに広報里美9号では、1200羽まで繁殖した事が載っており、今後如何に有利に販売するかが急務であり、新販路開拓を研究中との記載があります。

S36年発行の広報里美11号では、大きな見出しで
【もっと兎を飼いましょう】
農家副業対策としての養兎は、導入以来一年半、飛躍的な発展をなし、本村の重要な畜産業となり農家の現金収入源として、クローズアップして参りました。
(中略)全国有数の種兎生産地としての名声を博し、国内各地に種兎分譲が推進されるものと確信いたします。
(中略)里美兎の名声が高まり、受注に応じきれない状態で一躍時代の脚光を浴びてきました。村内で飼育されている羽数は約一万羽、毎月共販されるもの肉兎四百羽、種兎二百羽、この金額は四十万~五十万となっております。
導入以来の総販売金額を見ますと四百万円(物価指数から置き換えて現代の2000万円相当)に及び、来年はこの約三倍になるものと予想されます。
そこで本村の養兎ブームをいかに永続的、かつ、堅実に伸ばしていくかは、組合員各位の双肩にかかっていると思われます。
(中略)今や兎肉の在在はインスタント料理として、あるいは、栄養価のあるハム、ソーセージの特殊肉として重要な価値を有しております。
兎は資金が格安であり、しかも手がるに飼育できるので、あくまで年寄りや婦人子供の副業として、推奨するわけです。
そして里美改良種が日本一の兎になるようみんなで頑張りましょう。兎を飼う場合は、優秀な登録兎を飼いましょう。
S36年10月30日発行広報里美11号より引用
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よりはっきりとした里美兎の姿が掲載されています。アンゴラではなく、一般的な兎ですね。
ついに「もっと兎を飼いましょう」と来て、笑ってしまった。
当時はハムやソーセージは兎肉が当たり前だったようです。
「兎肉は粘着性が高く、ソーセージによく用いられる」ようですが、1960年(昭和35年)に2,000t生産された兎肉製品は、1972年(昭和47年)以降は統計上0となっているそうです。

そしてS38年発行の広報里美14号には、海外への輸出について触れています。
7号から三年が経過し、韓国へ輸出したところ好評で礼状が届いたとの事。
親兎の周りと仔兎が囲んでいると思われる写真が掲載されています。
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そして、卯年に兎の供養祭を行うという計画を今こそ実行するのだという。
写真の供養塔は現地のものと同じである可能性が高いですが、場所は徳田町ではなく、移転前の大中薬師堂境内に建てられたものの写真です。
確かに寺のような施設の敷地にありますね。
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しかし、広報里美14号に登場した後、里美兎の話題はしばらく広報誌に掲載されなくなります。
次に出てくるのは6年後のS44年の24号です。(21号は喪失して未掲載だったので中間で何か記載があった可能性有)
【うさぎをもっとふやしましょう】
養兎事業は、ここ二、三年、殆ど実験用兎として出荷してきましたが、価格の点が業者によりまちまちで、不安定でした。
(中略)その場ですぐ、現金払いの方法をとっており、飼育者の皆さんに、喜ばれております。
なお、全国的に、年々うさぎの需要が増えているにも拘らず、出荷頭数が少なくなってきたので、各地から、購入希望の問い合わせがあります。
過去の「里美うさぎ」の名声を再びあげるよう、今年はもっとうさぎをふやして、有利な、家庭副業としては如何でしょうか。
S44年1月1日発行広報里美24号より引用

この頃には既に過去の名声となってしまっていたようです。
この記載を最後に、里美兎は広報誌に載る事はありません。
結果は里美村史に載っていたように、なし崩しに消えてしまいました。
もう、里美兎は存在しないのでしょう(地元学校のカイウサギとして末裔がいる可能性も?)。
ちなみに同時期に和牛の畜産も導入していますが、こちらは継続しており、牧場が存在します。
飼い方も広報里美12号(S37年)見開き2ページびっしり埋める程でした。
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廃墟が無菌兎を飼養していたとすると…
遺されたスピーカーが1979年(S54年)発売、日本動物が倒産したのが1978年(S53年)と考えると、平成前には廃墟になっていた可能性がありますが…。
2,000坪の売地となっており、看板に東京の電話番号が記載されていますが、この不動産屋も存在しないようでした。
今の常陸太田市で、里美兎という兎が居た事をどれだけの方が憶えているのでしょう。
「里美兎」を検索された時に、この記事が歴史を知る手がかりになれば幸いです。
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Posted at 2020/08/01 20:55:43 | コメント(4) | トラックバック(0) | 廃墟 | 趣味
2020年07月19日 イイね!

某所の洗い越しに行ってみた

某所の洗い越しに行ってみた
Twitterにて、地元の86仲間のYOUさんより「面白い場所がある」という連絡を受けました。

その場所は初めて聞く場所ですが…、お、これは面白そうだ…。
という事で行って参りました。

北関東の山奥の集落奥。
田んぼの真ん中にある、にかほ市の象潟を彷彿とさせる島がありました。
何かを祀っているようです。
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集落から農道まで、1車線をひたすら走ります。
たまたま対向車が来なくてタスカッター。
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見えてきたのは…
洗い越し。
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86で行けるものなのか。まずは現場調査です。
1車線とはいえ、道幅は2mほどあり、道の状態は全体的に良さそうです。
D750は…現地で電池切れだった事が判明したので…今回はスマホです💦
SDカードは確認したんですが。
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カーブ部分のアウト側は水留めの為に、大きなバンクとなっています。
イン側は路肩の一部が斜めに落ち込んでおり、道幅を把握しにくくしています。
また、カーブ手前は一部隆起した箇所があり、注意が必要です。
これは視点の低い乗用車での話であり、視点の高いタイプの軽自動車なら、道幅の把握も容易なので、特に問題なく突っ込めるでしょう。
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水留めバンクに沿って流れた水は、中途で分岐します。
片方は田んぼ方向へ。
片方は川へ戻されます。
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洗い越し自身も一部欠け、または隙間があり、何も考えずに入るのは危険です。
二車線分あるのは、前後に退避所がない事も関係しているのかな。
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迷ったけど……現場調査の結果、行けるハズなので行ってみましょう。
ほら、86の視点だと結構怖くない?ミラーの位置にあるドラレコでこれだし…。
壁があるならまだしも、足元だけだから参っちゃう。
夜は絶対通りたくありません(^-^;
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渡りました。
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よく分からないが、この洗い越しには…
カボチャがいくつも落っこちていた。
よく、川で冷やすスイカのような……光景でした。
ただ、これは疵物なので、雨等によって流されてきたものと思います。
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切り返して向きを変えます。
対岸を歩いて見てみましたが…
結構な道だったので、洗い越しの中で反転しました😅
こっちから来て正解だったようだ。
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片側に寄せておけば通行の邪魔にはなりません。
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せっかくなので、冷やしドテカボチャも仲間に呼びましょう。
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この道は集落の奥にあり、意外と交通量がありました。
1時間半居て、農家の軽トラ2台、バイク2台、歩行者(釣り師)1名でした。
ここによく来るというサイドカーにワンちゃんを載せたライダーのおじさまが、この場所について教えてくれました。
ここは水量が少ない又は全くない事も多く、今日の水量はかなり多めだとの事です。
最近続く雨の影響があるのは間違いないでしょう。
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私は洗い越しマニアではありませんが…
以前触れた洗い越しの記事と比較すると小規模ですが、十分楽しめます。
奥は浅いようでしたが、雨のせいか、やや濁っていました。
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絵に描いたような田舎の86。
静かに楽しめて、満足です。
※カボチャは、元の場所に戻しました。
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Posted at 2020/07/20 22:50:46 | コメント(5) | トラックバック(0) | 景勝地 | 趣味
2020年06月21日 イイね!

山形県米沢市の栗子隧道を一度は見ておきたい

山形県米沢市の栗子隧道を一度は見ておきたい

山形県内のホテルに一泊しました。
当時、コロナウィルスの影響でどこも朝食バイキングが無い中、やっているという事で予約したのですが…
実際は元からやっておらず、記載ミスでしたというがっかり感…。
それ目当てで少し離れた場所に予約したのに…残念…。
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今回は、反対側である山形県側からの栗子隧道を見に行きましょう。
青い〇が前回の福島県側栗子隧道、緑の〇が山形県側栗子隧道、赤い〇が現在地です。


山形県側を探索するには、米沢砕石株式会社の敷地内を通過しなければ行けません。
会社が稼働していれば車でゲートを通過できますが、休日は下記の写真のように閉じており、その手前から歩いて20分程かかります。
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この日は日曜日だったので会社の休日と聞いていましたが、ゲートが開いておりました。
何故開いているのか?通っていいのかな?
ちょっと脇に停めて様子を見ます。
随分インパクトブルーですね。
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そうすると、1台の観光バスが通過していきます。他にも数台の車がバスの後をついて行っているように見えました。
なんか知らんが…いけるらしいな。
ていうか、観光しにくる場所か?
ドラレコの映像は…諸事情でリア側だけしかありません😓
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しかし、採石場ゆえにその道は未舗装。
そして仕事場でもある。ダンプ怖い。
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ダンプが通過するたびに舞い上がる砂ぼこり。
我が茨城県笠間市の採石場もこんな感じ。
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訪問者は立ち寄る事になっている米沢砕石株式会社の事務所。今日は稼働日のようだ。
ここで名前や住所などを記帳する。
しかし、受付の男性は渋い顔である。
何でも、先ほどの観光バス御一行で駐車場が埋まっていると思うので、停める場所がないとの事。
少し交渉すると、特別に停めてもいい場所を紹介されたが、15時にはゲートを閉めるという制限があった。
初めて行く場所だし、もし遅れたら多大な迷惑をかける事になるので、ゲートの外に車を停めて再度ここまで歩く事にしました。
ああ、また86で帰らなきゃ…(笑)
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また冒頭の場所に停車しました。
よーし、歩くぞー。
奥に見えるのは、米沢スキー場です。
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徒歩だと1時間という記事を見た事がありますが、実際は20分弱程でした。
途中、砂埃にまみれた私を見かけたダンプの運転手が話しかけてきました。
車好きらしく、私の86を先ほど見ていた様子。
「あの車じゃ(ここを走って駐車場まで行くのは)無理だよ」と笑っていた(笑)
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事務所を通過。
お、さっきの観光バスだ。という事は、ここが駐車場か。
確かに停める場所ないか。
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ん、地元のケーブルTVの車か。
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滞在可能時間は8時~17時の告知。
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明治天皇が休息した場所と記されている。
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ここから車両通行禁止となっています。
バイク乗りの方のブログでは、事務所で「(自己責任で)脇を通ったり、チェーンを外しても良い」という旨を言われたとの事。
道中、約4kmの道のりとなります。 alt


たまに隧道まで何キロかを教えてくれる。
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少し過ぎると、なにやら「ななむずり」なる杭が。
恐らく、7回の九十九折がある…のでしょう。
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やっぱり。
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出たよ、1番目。
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2番目のむずり。
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3番むずり!
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4番目は、ここにかつてあったという茶屋跡。
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道としての面影は、福島県側の方が好きかな~。
観光バスのツアー客と会うんだろうなぁ…。なんて思いながら歩いていた。
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掲載する意味があるのか分からないが…ななむずり5番目。
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6番目。
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7番目でコンプリート。
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ななむずりも終わり、ふと目を落とすと暗渠。
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そして橋。
親柱も無く、橋の上にも土が積もって緑豊かなため、あまり意識しなければ気付かないかもしれない。
短い橋だけど、何て名前?
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暗い場所の明度を上げたので色が変だが…。
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折り返しを過ぎた辺りまで来ると、ベンチが置いてありました。
ここら辺から、当時の面影が濃くなっていくように感じました。
なお、この辺りで軽トラに抜かされました。
団体の弁当か何かを運んでいるようだった。
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その先には、山を拓いた切通。
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解説の杭も、まんま切通。
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昭和の改修時、自動車に対応した道の拡張時に作られた石垣。
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解説の杭にも記載あり。
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そろそろ近いぞ。
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あと500m。
最後の九十九折。
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ここを曲がってまっすぐ行くと…
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見えてきた。
団体の人の気配、声がする。
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86から2時間。11時半頃。
栗子隧道山形側、到着!
と思うと、団体様がたくさんいる。知ってたけど…。
かなり落ち着かない💦
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後から知った事だが、地元のコミュニティセンターが毎年主催している萬世大路の散策ツアーだったようだ。
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上の看板にある「栗子山隧道」とは何か?
明治時代に出来た当初の栗子隧道は、「栗子山隧道」の名前で向かって右側のイビツな形をした穴が隧道の入り口でした。
昭和の改修時、より隧道を直線に掘り抜く為に、福島県側が栗子山隧道の拡張を行ったのに対し、入り口を新しく掘り直しました。
その為、栗子隧道山形側と栗子山隧道の2つの隧道が並んでいます。
※写真は団体移動後に撮影
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栗子山隧道。
整った栗子隧道とは、一線を画す趣を感じます。
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内部は途中で栗子隧道の巻き立て部分に当たっているので、短い距離で閉塞しています。
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閉塞部分。
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人が多すぎて手持無沙汰なので、ガイドの方の解説を一緒に聴いたりしていた。
ツアーと関係ないのにラッキー(笑) 単独なのに、何故かアメちゃんまでもらった。
ガイドの方の話の中で、山行がの話も出てた。
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明治に萬世大路・栗子隧道の敷設を指示した、三島元山形県令の詩が飾られています。
「ぬけたりと よぶ一声に夢さめて 通ふもうれし 穴の初風」
隧道がつながった時の喜びを詩にしたものです。
東北の交通事情が悪い事を憂い、多くのトンネルや道路建設を手掛けた県令ですが、強引な手法を用いる為に「鬼県令」「土木県令」と呼ばれ、恐れられていました。
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明治期、ここに神社があったようですが、全く面影ありません。
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団体ツアーの方々は、豚汁?が提供されているようだった。
ここでトラブルがあった。
女性ガイドの方が、豚汁も取りにこない私をツアーに馴染めていない客だと思って声をかけてきた。
単独行です、と伝え、誤解は解けた。
解けたが……1人で来ているのに謎の疎外感を感じた。そう見えるよね、俺。
豚汁食べればよかったのに、と言われたが、お金を払っているツアーかも分からないのに、そんな図々しい事出来ないぜ。
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13時頃、団体ツアーが帰っていったので、改めて見てみます。
とはいえ、ツアーで浮いてる客と誤解され、団体が帰る2時間待ってる間に、なんかあまり入る気が…。帰る時間も近くなってきてしまった。
戦いっていうのはノリがいい方が勝つ、って名言があるけど、やっぱ気持ちがノッてないとダメね。
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確かに、栗子隧道。
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じゃ、ちょこっとだけ。
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どしゃ。
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手前で大きく崩れている。
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栗子山隧道の案内が、栗子隧道に。
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では、時間です。そろそろ戻らないと。
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また、九十九折を戻らないと。
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米沢砕石の敷地まで戻ってきました。
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滝岩上橋。
親柱の隣には、立派な萬世大路の紹介パンフレットが入っています。
今も手元に置いてあります。
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昭和7年9月竣工。
昭和の改修時に施工されたと思われます。
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スタート地点に戻ってきた。
この時点で15時を過ぎていた。
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事務所に帰るの報告しないとなー。なんて歩いていると、行きに私に話しかけてきた車好きのダンプドライバーの方とまた行き会った。
なんと送ってくれるという事で、ダンプに乗せてもらってしまった😲
めっちゃ背高い、やばい。恐らく、二度と乗る機会は訪れないだろう…。
おっちゃん、ありがとう。86に乗っていてよかった(笑)
(事務所による前に乗せてもらっちゃったけど、良かったんだろうか)
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事務所の方の話通り、15時にはゲートが閉まっていた。
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見越してゲート外に86を停車していたので、問題なし。
隣の砕石も崩れてこなかったのでセーフ(笑)
では、帰ります…お疲れ様でした。
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Posted at 2020/10/10 17:01:03 | コメント(3) | トラックバック(0) | 廃道 | 日記
2020年06月20日 イイね!

福島県福島市の栗子隧道を一度は見ておきたい

福島県福島市の栗子隧道を一度は見ておきたい外出自粛が終わって直ぐ、福島県福島市から山形県米沢市を結ぶ萬世大路を訪ねました。
本格的な夏になる前に行きたいと思っていたので、3年ぶりに往訪しました。
現在地は右下、赤い国道です。
目的地は左上、栗子隧道福島側です。
…結構書いた後、諸事情でかなり前の下書きに戻ってしまい、大分書くのが遅くなりました。

※国土地理院地図より引用
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萬世大路(ばんせいたいろ)とは、旧国道13号を指します。
明治天皇が実際に通行し、「万世の永きに渡り愛されるように」と街道名を命名した事で知られています。
萬世大路は過去にも尋ねた事がありますが、途中で引き返した為に、栗子隧道までは行った事がありません。由来等については、リンク先をご参照頂ければ幸いです。
今回はたどり着いてみましょう。
9時頃。
萬世大路が目的かは分かりませんが…既に何台かの車が停まっています。
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以前は案内図がありましたが、脚が変わり、完全に片付けられています。
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※2017年5月時
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では、スタートです。
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元スキー場整備道を登ってショートカットするのは変わりません。
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元スキー場整備道は終始こんな感じです。
86ではきついです。
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正規の道に出ました。
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万世大路を守る会様
いつもありがとうございます。
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少し驚く事が。
二ツ小屋隧道手前まで来ると、人気ミニバンが2台。
ていうか青いエルグランドって珍しくない?BPROで見た事あるけど…。
よくこんなところまで来るなぁ…。
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3年前に往訪した二ツ小屋隧道とご対面です。
涼しい風が抜けていきます。
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と、その前に前回見逃した場所のチェックです。
横の階段を登ります。
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この石碑。
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鳳駕駐蹕之蹟。ほうがちゅうひつのせき。
明治14年の東北御巡幸時に建てられたもので、明治天皇が籠を休めた場所に建てているものです。
他に大滝宿などに存在します。
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明治十四年と彫られた跡も見える。
なお、昭和8年(1933年)頃に従来の道を自動車用に拡張している為、設置位置は当時と異なります。
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一緒に山の神が祀ってあります。
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このまま登られるので、二ツ小屋隧道の上まで出られます。
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キレイな銘板。
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では、中に入るとするかぁ。
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理解しやすい廃道。
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昭和の道路拡張時に、大きく広げられている事が分かります。
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土木学会推奨土木遺産として認定されています。
他には、群馬県の丸沼ダムや、長野県の姫川橋等が選ばれているようです。
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こうした巻き立ては、もう修復されない。
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通れるうちに
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通っておきたい。
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3年前と違い、今回は水の量がかなり少なかった。
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今、二ツ小屋トンネルと記載された場所を抜けました。
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烏川橋。
この先、あと2本の橋があるらしい。
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青いホイールのジムニー、只者ではない。RAYSのグラムライツ57XJの限定カラーと思われる。
オーナーは下で釣りをしているようで、帰りに会った。いい人だった。
手前は、万世大路を守る会様の所有と思しき無限軌道の…なんて名前かは分からないが…。
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ここからは似たような道の連続…。
見てもあまり面白くないと思う(笑)
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トンネルを抜けてから約1時間。
2台の放置バイクが置いてある広場に出ました。
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ここはかつて、大平集落という小さな集落があり、その跡地です。
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後に、このバイクと思わぬ再会する事になるとは…。
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ここは崩落が激しく、この両サイドは崖となっています。
ここまで四輪で来た人は、この人1人しか通れない通路を見て絶望します。
二輪の方も、この細い道に苦戦するようです。
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とはいえ、これを回避するかのように急峻な坂道が切り拓かれています。
降りる、登れる自信があればチャレンジしても良いかも。登れない時は目も当てられない。
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集落跡のすぐ先は緑が濃くなり、その先に橋が。
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大平橋。集落と同じ名前をもらった橋。
この橋の保存状態がとても良いのは、橋の上の草木が最小限しかない為だろう。
個人の方が善意で清掃しているおかげ(らしい)。
ただ、誰かが焚火をしたような跡が残っているのは残念でならない。
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橋の先まで行く人は多くないらしい。
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何故かここの橋の銘板は全て削られており、確認する事は出来ない。
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次の橋はすぐです。
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見えてきました。
杭甲橋です。
この橋も非常にきれいで、昭和初期に作られたとは思えない。
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水抜き用の穴?
下の川へ抜けていきます。
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例によって銘板がありません。
銘板はボルトで埋め込まれており、簡単に取り外せるものではありません。
何故取り外されているのか。諸説あるようですが、理由は分かりません。
この近くにある小杭甲橋は…見逃しました(^-^;
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栗子隧道まで、もうちょっとです。
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古い石垣を横目にもうちょっと歩くと
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見えてきました。
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86を置いてから、徒歩3時間半ほど。
栗子隧道、福島側に到達です。
撮影しない分、帰路は3時間でした。
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1935年(昭和10年3月)、竣工。
1881年(明治14年)に開通した際は栗子山隧道でしたが、昭和改修時に名称が改められました。
全長864mと、完成当時のトンネルでは日本最長でした。
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擁壁は今も現役の様子です。
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掘削当時の様子は、わが大滝の記録様にて写真が閲覧出来ます。
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隧道の中は水が張っています。
水没区間は長い距離ではありませんが、それ用の靴までの用意がありません。
今日はここまでにしておきます。
なお、内部は旧道化していた昭和47年(1972年)に落盤し、閉塞しています。
二ツ小屋隧道と比較して、大分キレイに見えます。
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空飛ぶアレならワンチャンあるか?と思いましたが、失敗するリスクが高すぎるので止めた。
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13時から1時間程滞在し、戻ります。
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行きにあったバイク2台がまだあった。
だが、このあと1時間後に追いつかれた…(笑)
この周辺の川で釣りをしていたおっちゃん達のものだったようで、話しかけられて少し会話した。
大平集落跡までは来るようだけど、隧道の事はあまり知らないようだった。
てっきり捨てられたバイクかと思ってた。
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二ツ小屋隧道まで戻ってきた。
中で光っているのは、冒頭に登場した青いホイールのジムニー。
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この軽トラックは、3年前は二ツ小屋隧道を抜けた後の坂に居た。
過酷な環境でよく頑張ってる…。
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※2017年5月
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二ツ小屋隧道を抜けました。
86までもうちょい。
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驚いた事に、まだチームミニバンは滞在していた。
朝からこんな半端な場所に停めて、どこにいるんだ?
川屋さんなのかな。
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ここで、手ぶら(簡単なバッグはあったかも)にジャージという、まるでコンビニにでも行くような恰好の若い男性2名が登ってきた。
挨拶を交わし「栗子隧道まで行けるか」と質問してきた。
今は既に17時近い。
往復で6~7時間はかかるので止めた方が良いと伝えた。
「二ツ小屋隧道までは行けるか」という質問には、近くだが暗くなるから気を付けてと伝えたと思う。
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あ……。
車両唯一の出入口に、恐らく先ほどの若者の物と思われる車が停めてあった。
傷や凹みだらけで、お世辞にも大切にしているとは言い難いコンディションだ。
ここに停めたら、今から来る人は居ないだろうが、エルグランド達が帰れないんじゃ……。
誰も来ないと思って停めたんだろうけど……俺は知らないぞ(^-^;
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17時過ぎに帰還。
行って帰ってで8時半~17時と、いい時間でした。
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Posted at 2020/10/07 00:33:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | 廃道 | 日記
2020年04月30日 イイね!

栃木県那須塩原市にある鷹の巢隧道は有名な廃道のすぐ近く

栃木県那須塩原市にある鷹の巢隧道は有名な廃道のすぐ近く
栃木県那須塩原市の旧地図を見ていると、栃木県道266号線上にふと無くなっているトンネル記号がありました。
GoogleMapで当該場所を見てみると…期待できそうな雰囲気。
早速行ってみましょう。
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おあつらえ向きに停める場所がある事を、事前に確認済。
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ガードレールの外である右の擁壁沿いが、廃道区間。
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元々この266号線は、1960年代にマイカー普及による観光が急増した時代に、塩那道路・塩那スカイラインという名称で観光目的として開発された道路。
1966年に自衛隊が訓練を兼ねて山岳部の道路の開発を行い、1971年には約50kmにも及ぶ工事用道路を開通させるが、それ以降は景気の減退や自然環境保護等の時代の流れにより計画が頓挫し、長らく膨大な予算をかけて維持してきたが2004年に開通を断念。
現在は工事により人為的に廃道化済。詳しくはこちら
頭文字Dでは、栃木チームの本拠地という設定でも登場している。
開通した266号線は、かつて「那須山麓有料道路」として1991年まで有料であった。
つまり、ここは元々有料道路になっていたという事。…まぁ、地図で見ると、ぎり有料道路ではないみたいだけど(笑)
引用元:@Harita arayshi 
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高規格な橋、東白根沢橋。
奥に何か見えるが…。
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隧道の東側口の登場。
県道脇にありながら塞がれてもいないし、何の警告も無し。
この規模では珍しい。
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まずは側面を見ていこう。
現役時代からなのかは分からないが……かなり土被りが浅く、隧道となっている意味をあまり感じない。
最初からこうとは思えないので、現道の工事で大分削ったのだと思う。
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では、西側の廃道区間からIN。
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廃止後に降ってきたと思われる落石が多い。
当時も通行止めが多かったのではないか。
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落石防護ネットは崩れ、散らかっている。
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倒木と落石で、少しだけ通るのに苦労した。
隧道と対面する。
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鷹の巢隧道。
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銘板がなく、具体的な高さや長さの記録は分からず。
体感では高さ4m前後、長さ100m弱、幅4m位に感じた。車がすれ違うのはギリギリ出来るというくらい。
また、向かって左側がやや外側へ向いているように見える。
ひょうたんつぎのような形をしている。
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隧道に入り、まず目に入ったのが「バカ」。
誰に対する怒りなのか。やり場のない怒り。
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ゴミ等も少ない。電燈は元から無いようだ。
あっという間に抜けてしまう。
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隧道を抜けると、そこには橋が。
白銀橋。読み仮名は「しろがねはし」。
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東白根沢の名前を冠する。
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1964年(S39年)12月竣工。
恐らく、鷹の巢隧道も同じくらいの年代と思われる。
橋のスペックは、長さ45.8m、幅4m。外観を見られるところがなかったので気付かなかったが、アーチ橋らしい。
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現道について調べると、東白根沢橋は1988年(S63年)竣工、桁橋。
長さ53m、幅は不明だが二車線分ある。
鷹の巢隧道と白銀橋は20年ちょっとしか使われていないと思われる。
1988年といえば、A70スープラ、エクサ、プレリュード、S13シルビアといった、現代でも通用するスペックを持った車の時代。
1960年代のマイカーブーム最中に作った隧道と橋では、那須山麓有料道路及び塩那のスカイライン道路の入り口としてはスペックが低すぎたのかもしれない。
結局は有料道路入り口歴は3年後の1991年に終わり、塩那道路も開通せず、正式に廃道になった。
データ引用元:橋梁年鑑 様
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自由に入れるので、いつでもどうぞ。
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Posted at 2020/08/27 20:13:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃道 | 日記

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「3Dプリンター技術等を使った、古いホンダ車の互換部品製造とNSX向けの新レストアサービスについて
https://global.honda/jp/news/2025/c250617.html
何シテル?   06/17 13:32
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