上官殿!
今週も引き続き、北海道における偵察活動報告をさせていただきます!!(`Д´)ゞ ビシッ!
■報告まとめ
函館編
有珠山編 ←今回
2日目【10月11日(金)】
函館での偵察活動を終え、
国道5号を北上。
次の偵察地は「
有珠山(うすざん)」
記憶にある方も多いと思いますが、直近では2000年3月に噴火。
噴火口のすぐ近くには、洞爺湖温泉街を始めとする観光地・住宅・工場・学校など多くの人々の生活する場がありましたが、自治体の素早い初動と説明、そして何より住民の理解により、噴火前に周辺住民の避難が完了。
未曽有の大災害にも関わらず、死傷者を1人も出していないケースとして有名です。
《はじめに》
2000年の噴火では、有珠山の麓にある「
金毘羅山(こんぴらやま)」と「
西山(にしやま)」それぞれで噴火が起こりましたが、今回は「
西山」の噴火により被害を受けたエリアです。
「
西山」はその名の通り、有珠山に西側に位置する標高543Mの小山。
2000年の噴火ではこの西山に幾つもの噴火口が開き、旧虻田町市街地や国道230号や町道、周辺集落に被害をもたらしました。
今回は、そんな噴火の爪痕をトレッキングコースとして整備した「
西山散策路」を中心に偵察したいと思います。
《旧国道230号 水没エリア》
黄色マルが、今回の偵察開始地点。
道路が途切れていますが、かつては黄色矢印方面に
国道230号が伸びていました。
この場所にはピンクが特徴的な建物がありますが、これはかつての「
西胆振消防組合本部」
そしてこの消防署の隣の風景が、西山散策路を代表する、国道の水没エリアです。
旧国道230号は、海に面する旧虻田町市街地に向け「下っている」道でした。
しかし、噴火の際に土地が大きく隆起。
下り坂が途中から上り坂に変わってしまったため、この一帯が窪地となり、やがて水が溜まるようになってしまったのです。
こちらは案内板に掲載されている、噴火直前の国道の姿。
道路の両側に立つ電柱と、奥に見える右カーブだけが、当時の痕跡を今に伝えています。
さて、散策路に行く前に旧消防署に寄ってみましょう。
《旧 西胆振消防組合本部》
こちらの建物は現在、「
火山資料展示室」として使用されています。
ただし1階部分は水没しており、展示室となっている2階の床は、何と噴火の影響により傾いている(4%)との事。
実際にこの場に立つと、水没エリアに向かって、明らかに床が傾いているのを感じられます。
上の画像で言うと、奥から手前方向に傾いています。
やはり直接体験してみないと、伝わらないですね・・・
こちらは掲示されている、土地の隆起グラフ。
図の赤い部分が隆起したので、かつての下り坂の間に水が溜まるようになったのです。
隆起は最大で何と70M!
この赤い部分を上って下りるまでが、西山散策路のルートになります。
《西山散策路》
西山散策路は、水没した国道と並行して走っていて同じく壊滅した「
町道 泉公園線」という道路沿いに整備されています。
かつての町道は、国道が水没している地点で合流していましたが、そこには今、白い車(マツダ ファミリア)がポツンと1台。
噴火当時マスコミが使用していたレンタカーだそうで、現在は屋根が潰れてしまっていますが、被災直後はしっかり形を保っていたとの事です。
水没エリアを横目に見つつ、
旧町道 泉公園線を進行。
しばらく進むと、西山散策路の象徴的な部分に着きます。
階段状に破壊された道路。
一つ一つの小さい溝は「グラーベン(地溝)」と言い、
日本を東西に分けるフォッサマグナのミニチュア版と言われています。
地下から上昇したマグマの影響で、このようなグラーベン(地溝)の集合体が形成されたそうで、世界的にも珍しい光景だそうです。
※現地の案内板より噴火当時の様子
坂を上って行くにしたがって、旧町道は火山噴出物が堆積して通行出来なくなっていますが、その堆積物の合間には電柱や道路標識などが見え、ここが道路であった事を教えてくれます。
遊歩道の突き当りは大きな崖になっており、ここが西山火口のひとつ。
かつての町道に沿って歩いて来たので、ちょうど道の真ん中にパックリ火口が開いた。というのが分かるのではないでしょうか。
今では草木が生い茂っていますが、向こう側の崖をよく見ると、分断された水道管が飛び出ています。
隆起した場所の最高点(+70m)に到達。
手前には町道上に開いた大きな噴火口。
その脇の散策路と、噴火により破壊されたお菓子工場の廃墟が見えます。
《旧わかさいも本舗 泉工場》
土地の隆起と噴石の雨によって、完全に破壊。
この工場の目の前を町道が通っていましたが、土地の隆起により全くそう見えません。
右側で倒れている電柱だけが、かろうじて以前道路であった事を示しています。
現地案内板にあった、噴火当時の様子。
最初の噴火から1日後。
早くも
国道230号の道路上に火口(左上)が開いていますが、町道の方はまだ何ともありません。(オレンジ色の大きい建物がお菓子工場)
ところが最初の噴火から7日後。
今度は町道の道路上に火口が開く。
こちらは、最初の噴火から13日後の写真です。
黄色のルートで町道は伸びていたので、その道路上に大きな噴火口が2つ。
左の噴火口は水道管が分断されていた場所で、右側の噴火口にお菓子工場がうっすらと見えています。
こう見ると、ホントに町道の道路上に、
そして工場のすぐ脇で火口が開いたのが分かる。
このまま下ると火口からだんだん離れていく為、町道が徐々に当時の姿に戻って来ます。
《倒壊民家》
旧町道との合流地点でいきなり現れるのは、倒壊した民家の・・・
門の部分です。
これだけ大きな門が付いているので、裕福なお宅だったのでしょうか。
その門の前には、朽ち果てた車両が。
前からじゃ分からなかったのですが、後ろに回って見ると、その独特のCピラーから ”ニッサン スカイライン” かな?
またステアリングやシート、シートベルトも社外品が取り付けられており、クルマ好きの方が所有していたと思われます。
その横には、大きなボックスカルバートが道路側に口を開けています。
手前の道路が陥没した為、地中にあったものが姿を現したようで、その証拠にボックスカルバートの上には道路の白い柵が載ったままになっています。
更に下って行くと、かつての町道が、ほぼそのままの姿を見せ始め、
そして左側に、なにやらポップなカラーリングの建物が見えて来ます。
この建物は・・・
《旧 洞爺湖幼稚園》
屋根も壁も、噴石によって穴だらけとなっています。
当時は入園式準備の時期でしたが、
事前の避難指示により、死傷者が出ることはありませんでした。
さて、西山散策路はこれにて終了ですが、火口側に戻って ”
旧国道230号” の状況を少しだけ偵察したいと思います。
《旧 国道230号》
西山散策路の途中にある、こちらの入口から侵入。
注意書きにもある通り、足元はあまり良くないです。
左側には、これまた町道上に開いた噴火口があり、
右側には・・・( ,,`・ω・´)ンンン?
地面に埋ったパワーショベル!!!
噴火の前兆として発生した地割れにより水道管が損傷し、それを修復する工事を行っている最中に、最初の噴火が発生。
作業員は無事避難しましたが、残されたパワーショベルは、その後の噴火活動により地面に埋もれてしまったという訳です。
下の画像は、正にその最初の噴火があった当日の貴重なショット。
埋もれてしまったパワーショベル。
アパートは噴火により倒壊、瓦礫はやはり地面の下に埋もれています。
そしてアパートの向こうには、まだ破壊されていない、あのお菓子工場も見えます。
そしていよいよ、旧国道へ。
と、突然棒状のものがおっ立っている。
旧国道の道路脇にあった電柱だが、火山噴出物の堆積により、今はその上部のみが地表に出ています。
少し進むと、国道上に開いた噴火口が現れた事から、
ここから先が旧国道上のようだが、道らしい痕跡は見当たらない。
少し進むと、急に前面展望が開けた。
よく目を凝らして見ると・・・
道路の痕跡だ!!!
案内板も設置されており、かつて緩やかな下り坂だった国道が、とんでもない事になっているのが分かる。
しかしこれがかつて国道・・・
それも結構交通量もある230号だったとは、今の姿を見ると想像が出来ない。
長かった西山散策路の偵察も、これで終了となります。
やはりこういったものは、自分の眼で見てこそ価値がある。
学校の教科書では決して語られる事のない事実が、この西山にはあるのを確認した上で、今回の偵察活動を終えたいと思います。
(帰路、旧国道230号水没エリアを振り返って撮影)
(つづく)