2013年07月11日
何かこのコーナーやってきてPVがドンドン下がってる感じがしてきた(T_T)。
マァ介護の話なんざ誰も面白くはネェよな。
でも大事な話だと思うので取り敢えず続ける。
~と言うか、秋になったら私の人生貧乏クジのジャンボ一等賞級である話をもういっこする訳なんだが先が思いやられるな(T_T)。
実際今回も介護は実は関係ない(^_^;)。
ちょっと時間軸をランサー購入時から始めよう。
このランサー、時期的には初めてのラリーバージョンであるエボ1が出て次のマイナー後に買ったMRなんで、外見はしょぼかったが足回りは本格だった。
何よりソレまで三菱車はトーションビームが当たり前だったリアサスがFFでもマルチリンクになり、コーナリングの粘りが別次元になったのだ。
早速こいつで親を連れて国道186号線、県北へとドライブに洒落込んだ。
今は安芸太田町となった旧加計町を過ぎれば春は遅咲きの桜、秋は紅葉が堪能できる。
ちょうど西日本屈指の規模を持つ温井ダムが竣工前後だったので旧道新道両方を愉しんだものだ。
洞門もある険しい渓流を縫うタイトコーナー連続の山間路で、極力ブレーキを使わないように速度調整をしながら運転できればかなり愉しい。
運転手は。
調子に乗りすぎた(^_^;)。
当時は休憩処や茶屋まであった王泊に着くと親にこっぴどく叱られた。
酔うところまでは行かなかったが普段の運転振りを疑われるハメに。
いや、普段の通勤ぐらいじゃこんな道走らないし(-_-;)。
シトロエン2CVの設計概念じゃないが、積んだ生卵を割らない運転をしろ。
これが以降鉄則のようになった(´д`)。
アンタは運転してて気分がいいかも知れんが周りで何も出来ずに振り回されてる身にもなってみろと。
人を乗せてる運転を忘れるな・と、20代前半で釘を刺されてしまった。
だから私は若い身空でやんちゃに暴走してる人種が実は信じられない。
(年喰ってたら尚更だ!)
たまたま、そういう車にかち合ったこともある。
ソレまで言われたことがなかったのは、
未熟なうちにミドルサルーンのE33Aギャランを振り回し、
親の介護が日課になってからは3人乗ると喘いでしまうミニカに乗ってたからだ。
ほんと15バルブDOHCのミニカはキャブ仕様だとトルクが薄くて二人乗りが関の山だった。
そこにハイパーツアラーのランサーが来た訳だ。
だからこの車では私、ずいぶんなジキルとハイド振りをカマしてしまった。
普段はATのシフトで速度調整するぐらいのゆったり運転だが、不遜な輩にブチ切れると実はアクセルとブレーキを同時踏みしてからのホイルスピン発進もけっこうやらかした。
抑圧も、逆効果なんよ。
ただ、目上の大事な方を載せた運転というのは私の運転人生を大いに大人にはしてくれた。
Posted at 2013/07/11 16:25:46 | |
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介護ドライブ | クルマ
2013年07月07日
なんか以前もこう言う話しあったけど、また排泄のお話。
衛生上問題のある場合はいま読まれないように(^_^;)。
介護の運転をしててウチの親の場合頻々に問題になったのは排泄だ。
とにかく尿が近い。
そこまで高齢になっていなかったんだが、常用してる肝臓の薬の影響か、またその薬もバリウムみたいにポット並みの水で溶かして服するものだから、
とにかく介護用品が水気満載
と言う状態であった。
ソレも上から下からの水気で。
そんなんだから、チョット遠出をする場合には親の介護品で両手がふさがるような荷物が伴う。
・肝炎薬
・薬を溶かすお湯を入れたポット
・溲瓶
・ボックスティッシュとペーパータオル/のちにボトル型ウェットティッシュ
量的には手がふさがるものでもないんだが。
溲瓶は転覆防止に家電の段ボール箱を大きさ合わせて切りそれに入れてたが、ケースとか上品なモノには入れていない。
そんなモノ使ってたら必要なときスグに使えやしない。
タダ繰り返してるように溲瓶はけっこう難しいうえそもそも身体の自由が効かないので、これは自動車道などでどうしてもすぐ停められない状態でないと使わなかった。
と言う訳で、
「トイレ行きたい。停めてくれ」
と言う事を出し抜けによく言われたものだ。
いまそう言われると、真っ先に探すのがコンビニかに思われる。
しかしNG。
90年代の広島はようやくポプラに続いて関西資本のダイエーが背負ってたローソンの進出が始まったばかりで、どちらかというとヤマサキデイリーストアのほうが多いぐらいだった。
そしてこれらのトイレはたいてい店舗の奥で車椅子を引き回せない。
まぁ当時のコンビニの店舗は狭かったから杖突いて手を曳いた方がよほど早かったが。
同じ理由でスーパーも非常時以外には使わなかった。こっちはトイレまで下肢障害者には殆どタンジョンだ。
どこに行ってたのか、
基本的に公共集会所だった。
「は?」
こう言うと余りよく解らないが、要は開放公民館や改築された拠点郵便局である。
意外とそういう所のほうが頼りになった。
この辺りはバリアフリーも早く進んだため、和式便所でもスペースに余裕がある事が多い。
JRの駅も地方では重宝した。何しろ場所が解りやすい。
ただ当時はバリアフリー化が進んで居らず、狭い和式便所で悶絶していた。
記憶にあるのが呉線の坂駅だ。
もう辛抱たまらんと飛び込み、駅母屋の前にある便所にすんなり駆け込んだまではイイ。
しかし大便器は親がしゃがむと立ち位置がない。
え?お前も入ってたのかって?
入ってましたとも。
だって和式便所でしゃがむと出すまではいいけどお尻も拭けなければ立ち上がれもしない。
だからバランスの崩す動作を支えるのが役目だ(お尻を拭いた訳ではない)。
ソレが立ち位置を確保するのがやっとだからもうなんだかなぁの世界だ。
程なく坂駅が工事になったんですぐ一足先に建て替えた坂町役場にその役目を譲った。
似たような行程をこなしてるんでおのずとトイレの位置を記憶に控えるようになるのよね。
一方悶絶した坂駅のトイレだが、程なく呉線の拠点駅に選ばれ立派な橋上駅に建て替わったが全く行かなかった。
役場なら上がらなくていいんだもん。
JRの駅で思い出した。
暴露反省ネタで車無関係だが、北海道旅行に行ったときだった。
千歳(快速)札幌(特急)根室~納沙布(一泊/レンタカー)~(夜行バス)札幌(トワイライトExp)
と言う行程で都合札幌駅に二度行ったのだが、
親がトイレから出て来ない・・・・・・・・
このトイレ、当時初めてだったんだが大きなプッシュボタンの自動ドアに4畳半はある広い介護スペース、頑張れば車椅子からナントカ便座の移動もこなせる手摺り群。
私らは基本自分で動ける限りであれば手は出さないスタンスだったんで車椅子独りを送り出した。
介護も自助も視野を広く取った設計で感嘆したんだが、親もそうだったんだろう。
一時間ぐらい出て来ない(T_T)。
あの、あなたの他にもこのトイレを必要とされてる方が居るんですよ(^_^;)。
随分満喫されてましたな。ソレも行き帰り両方。
ただ、死後に担当医がこの旅行を自殺行為だと言ってたほど当時病状が悪化してたと言い、この旅行で若干持ち直したと言うから、それなりの状態だったのかも知れない(-_-;)。
いや、けっこう死後に聴いた話って多いのよ。当時目一杯で。
このトイレ、程なく区役所や新設の郵便局でも着けられて数度は利用した。
また今のコンビニは洋式便器にウォシュレットがだいぶ普通になったが、この辺りになればもう少しトイレも行きやすかったろうに。
ちなみに自宅は75年に公営住宅に越したときに洋式便器が決め手になり古くからそっちの恩恵は受けてたが、ウォシュレットは親が使った記憶が無い。今ひとつ普及してなかったか。ウチでも06年に着けてみたが2年で壊れたし(T_T)。
本当に、仕舞いにはトイレに行きにドライブに出てた印象があったなぁ。
Posted at 2013/07/07 11:35:01 | |
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介護ドライブ | クルマ
2013年07月06日
間が開いたので続けて言ってみよう。
最近「イイね!」レスでよく見掛けるのが、
『障害者駐車スペースに高級車が当然のように停まってる』
と言う不遜行為のスレだが、これには諦観すら覚えてる。
前の項で少し漏らしたが、身障者にとって駐車スペースの問題はドライブの意欲を殺ぐほどの死活問題である。
ただ、そんなことをイチイチ言ってたんじゃ身が持たない。
そのぐらい、介護という奴は神経を削ぐのである。
一応下肢障害などの要介護車を送迎すると思しき車には自治体から『駐車許可状』なるモノが発行される。
親が車椅子を利用するようになり障害年金を受け取るに当たって私の車にも発行された。
実は正式名称は忘れたが、私の時にはダッシュボード上に提示する免状みたいなもの、今ではルームミラーに提げるハンガー状のモノらしい。
これは正しく言えば、
『要介護者の乗降に於いて止む無く路上に停車していても交通違反には問いません』
と言う趣のモノである。
身障優先スペースに停めるのみならず、止む仕方ない場合は一般道でもと言う奴だ。
ただ問わないと言うだけであって、どこに停めてもイイといういわば放免状という訳ではない。
免状には周囲のモラルや迷惑を慮んばかる但し書きがちゃんとある。
が、親はどうもこの免状を放免状と受け取ってたフシがある(T_T)。
しきりに言ってて多分次のお題になるが、頻尿にも悩まれてたため、
「小便したいからチョット停め!」
と言う事を割と平気で言ってた。
戦前の田舎の御仁なものなんで路端の放尿も気にしない性分だったが、こっちにしてみれば路肩駐車も憚ればいわゆる立ちション同然の行為も許されない。
「そこら辺のトイレ探すから待て!」
と言っても聞き入られないこと専らであった。
これはどんな田舎でも厳守して、仕舞いには親から呆れられた。
事情はどうあれルールは定められなければならない。
自慢するようで可笑しいが、この親には私はトイレで以外用便を足させたことはなかった。
用便以外にも店の立ち寄りでも基本駐車スペースを探した上での許可状提示を心掛けてた。
車の不時停車がいかに周囲の迷惑になるかを職場でさんざ辛酸舐めさせられたからだ。
いかなる事情があれ通路支障は絶大な迷惑に繋がる。
しかし世間一般では、身障介護だから普段から優遇を受けてるんだろうだの、車椅子の移動だからそんなに面倒はないんだろうだのと思う輩は随分と多いようだ。
そう言う視線を浴びての所作もけっこうあった。
だけどよ、
介護って行為、気分が折れるんだぞ。
足腰が立たなくなっただけって人ってどうしてこう立ち回りが制限されるんだって、
「思い知らされる」
から。
普段の日常行動でさえ、マナーやルールを侮蔑して我が物顔の行為に働く輩を日常見受ける。
しかし介護という行動を実生活に強いられると、
「マナーやルールに則ることが這々の体」
と言う立場を知ることとなる。
もう、介護してるときにこのマナーやルールに従えない輩を鬼畜生かと本気で思ったもんである。
こいつらには一度骨盤砕いて同じ思いでもして貰わないと解らないんだろうなと。
そんのぐらい、煮え切ってる。
一方、確かに身障を盾に不遜の振る舞いを尽くす輩も居るにはいる。
タダそれは周囲の冷遇や不理解が原因である事が殆どだ。
そもそも身体の不時に自らの責任がある場合は少ない。
そこを厚遇されてるのを単に贔屓とは言えやしないだろう。
ただ、基本的にはそこをこらえてわざわざ面倒を掛けてまでマナーやルールに則ろうとする方も多い。
身障者の優遇に与るのではなくむしろ健常者と同じ土俵で生活したいからと言う思いさえある。
欲しいのは甘えではなく労りだ。そのためには不便や面倒は甘んじて受け容れる。
そこは、一度頭に入れて欲しい。
正直、世間の世知辛さから一億二千万日本国民みんな、障害を持ってしまえと、思うときがある。
絆とかの建前論でなく、ホントの痛みをみんな解ってないよ。
いや、解る方が変なんだろうなと。
選挙も近いし、こう言う不随・被害者の気分をダシにしてばかりで踏みにじる政治家ばかりが跋扈する世間に気分は暗澹になるばかりだ。
Posted at 2013/07/06 22:56:35 | |
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介護ドライブ | クルマ
2013年07月06日
チョット間が空いてしまったが、車椅子の話を続けよう。
ちなみに今回は車椅子うんぬんは余り関係なさそう。
「同乗者と正しく付き合うには」
と言う話かも知れない(^_^;)。
介護と書いてはいるが、実際のトコ親の通院は下肢不随になる前からやっててソレが車椅子を使わないとと言う状態になってたので、気合いを入れて臨んだ訳ではなく日常の生活の手間が増えたという格好だった。
だからまずは通院、そしてお昼時だったから買い物が着いてくる、そして私が休暇であればその足でドライブという日程が多かった。
特に車椅子のお世話になって親は格段に町外に出る機会を失ったため、そのうち通院のあるなし関係なく私の外出にはマメに着いて来るようになってきた。
マァ前にも書いたが仕事も一段落して遊びたい盛りで毎度のように親が着いて来るんである。
あまりおもしろい話にはならない。
それでも連れ出せばとりあえずは親は喜んでくれるのでソレは救いだった。
1~2年はね。
そのうち私と親の間で観点の違いが明らかになってくる。
ドライブに連れ回るうち、私としては余り知己のない場所に行きたいと思う訳だ。
ところが親は外出の延長上でしかないワケなので、
『車で通り過ぎるだけでは満足しない』
と言う現実を見せ付けられる。
沿道の店や佳景を腰を据えて愉しみたいというのだ。
やれ柿の実がキレイに実ってるから停めて見せろだの、
柏餅に使えるイイ葉っぱがあるから取って行きたいだの、
イイモノがありそうな店があるから軒先(!)に寄せろだの、
路店商品が安いから停めろ(前出)だの、
食べるものを口にするときには走らせるなのだの。
もう注文の多い同乗者を地で行った。
今でこそコンビニは大きな駐車場を擁して随所にあるし、道の駅や物産館も旧自治体レベルである。
が、90年代の広島の田舎なんである。
ナニをするにもまず車がスグ停められる環境にない事が殆どであった。
そんな小商店や峠道で『路上駐車』を余儀なくされることがままあった。
これが運転する上で何より難易度を引き揚げた。
~身障介護者には駐車融通の制度もあったがこれは項を改めて
そのうち以前も言ったが用便が近くなるとその用事も見積もらなければいけない。
一応小便なら溲瓶を控えてるが、使うにもまずは停まらなければいけない。
その上親はこの溲瓶を嫌った。取り回しに神経を使うからだ。
けっきょくはトイレの物色もドライブの要題になる。
~このトイレもかなり話が積もるのでまた項を改めて。
そんなこんなで先を急いで行動半径を拡げたい私の伸び足を親が再三停めるのである。
そして末期に至っては
「お前は同じような場所ばっかり走って周りを愉しむようなことをしない。少しは言う事を聞け」
と言われる始末に。
こっちはこっちで出向きたい場所に如意に向かえないストレスを抱えてたし、停まってばかりのドライブに理不尽感を抱えていたときもままあった。
その口論が昂じて、最後には当時免許は取っていたもう片親も居たし、
「儂ゃバスで帰るけぇ勝手にせェ!」
と車を乗り捨ててほっぽり帰ったことまである。
マァこの時は片親の懇願で思い返して直帰を条件になんとか帰宅はした。
タダこう言う心情になるほどよく口鉄砲をとばしてもいた。
介護と慰安とはナカナカ両立しないモノなんである。
決定的だったのは熊本にドライブに行ったときだったか。
元々私の野暮用で親同伴の予定はなかったんだが「連れてけ」と(-_-;)。
見込みでは未明に出て一般道でも15時前後には余裕で着けると踏んだのだが、親を連れてく段階で出発が6時前と遅れ、その上道々休憩や用便を要求され伸び足が鈍る。
午前中に九州上陸はと見込んでたのに関門に到達する前にお昼が回ってしまい、そこに昼休憩だ。
頭を抱えてる私に片親が料金負担を条件に高速道使用を進言し、けっきょく下関から熊本まで宗旨外の高速道で到達するも、夕方を回ってしまった。
ここまででも予定を狂わせてるのに、宿の見込みをとっていないことに親がぶちキレると言う状況になり、
「人を連れといて宿も見てないのか」
「着いてきたから何処で泊まろうかと見込みが着かんかったんだろうに」
(そもそも用事は短いので徹夜で帰路を考えてた)
とまた口論。
幸い閑散期で交通会館に泊まれたのが救いだったが、翌日の用事もアクシデントでもつれてしまい、最後には口論疲れで、往路の下関~熊本間、復路の防府~廿日市間を高速利用したにも関わらず、見積もった行程の倍以上は時間が掛かってしまった。
途上でも相当行程のダメ出しやミス指摘が絶えなかったし。
酷い言い方だが親を連れたことがそのまま行程にも心情にもストレスになってしまった。
独りであればミスも経験と割り切れたのだがその度に揶揄されたんで。
ちなみに親の没後にもう一度片親を連れて同じ行程をやったところ私の見込みは全一般道利用でほぼ達成された。
既通区間の馴れを差し引いても信じられない展開だったことに驚いた記憶がある。
けっきょくこれに懲りて以降親を岩国以外の県外ドライブに連れることはなかった。
もう最後の辺りにはドライブに出てるのか口喧嘩に出てるのか解らない状態であったが、それでも親のストレスはずいぶん発散できたからありがたかったよと、亡くなってから片親や親族に言われた。
でも、本人には文句言われ通しで逝かれたんだよな(T_T)。
私には煮え切らない20代の車生活だった。
Posted at 2013/07/06 08:44:50 | |
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介護ドライブ | クルマ
2013年06月29日
最初に、7/6に題名を変えてます。
「ひいて」ぢゃなく「しいて」になってますけど、え?江戸っ子だから気にしないって?(ぉぃ
介護の話をするのに前項ではソレを使い出すまでの話に終始してしまった。
そう言っておいてもう少し引っ張るが、実は私が車椅子生活にもう一個契機を出してしまったことを思い出した。
車椅子生活は当の親が嫌ってた。
そこで俎上に上がったのが電動自転車やいまセニアカーと呼ばれる電動4輪車である。
しかし当時電動自転車は今と違ってセンターフレームが高くてバッテリーを抱えていたため、跨ぐのに一苦労。
脚が悪くてお世話になろうとするのに当時は本末転倒状態な設計だった。
電動車は私が断固固辞した。
値段が高かったのもあるが、何より道路環境が悪くてとても親を安心して街中に送り出せる状態になかったからだ。
路側はある所では車から剥き出し、ある所では車上げの斜面でうねってる、そもそも速度も出ない電動車が安心して走られるスペースがない状態だった。
道路環境の未整備がこう言う便利な道具を享受させられないと言った意識が強かった。
そんなこんなで車椅子。
当時は車もランサーになってた。ミニカで車椅子を引き回した記憶が無い。
当時は整備工場も辞めてたが、相当なボンクラで退社したもんだから義理も感じてて、しかしRVは古巣にパジェロデリカ、5人家族には大き過ぎなシャリオしかない状態で程々のワゴンが無い。
普通のセダンで車椅子介護に臨んだ訳だ。
トランクには大判の段ボールを敷いて車椅子を無造作にも出し入れできるように場所を空けた。
最近はショートデッキで車椅子の積めないセダンもあるが、車椅子をトランクに積めるというのは実はワゴンのカーゴに押し込むよりはいいのかも知れない。
親の指定席は助手席。
普通車の上座は後席だし、もう片親が乗るときもあると運転で手が離れない私だけの前席より介護は後席のほうがやり易いはずだが、断固助手席を言い張った。
事情はすぐ後述するが、当初は理由のほうは単純で、タダ前を見通したいと(^_^;)。
ソレが効奏してか、車酔いは一度しかしなかった。乗り物が好きだったこともあるのか。
唯一は私が余った濃厚チョコを食べてもらって山道を走ったときだったし。
ただ内臓疾患が末期的になると別の理由で助手席でないと持たなくなる。
まず脚の指し繰りが厳しくなって、前後幅を詰めた小型セダンでは無理が生じてきた。
しかしホントはソレよりももっと困ったことがある。
下の世話だ。
特に尿が相当近くなって、町内のお出掛け以外では必ずと言っていいほど排尿に悩まされた。
程なくシビンが携行必需品になった。
これも後席では取り回しが難しい。
タダ後席に居ればもう片親が大抵そばに居るので介護も期待でき、運転に集中したい私にすればチョットそれはの状態だったが、少々難儀しても取り回しの楽さを優先していた。
もちろん路側帯に停車してからの話だ。
車の停車についてはまた項を譲る。
座席は助手席以外は座りたがらず、時にはシビンを取り回す。
これは親が『介護されてる』と言った状況を心底受け容れていないことの裏返しだったようだ。
脚を患ってなければ。
こんな想いが年を経るにつれ強まってた。
しかし当の私、同年代の者が彼女を助手席に乗せようか、その彼女と築いた家族を乗せようかという20代後半でこんな親を乗せてばかりいると言った「閉塞感」を感じるのみだった(T_T)。
Posted at 2013/06/29 09:01:28 | |
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介護ドライブ | クルマ