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対厳山のブログ一覧

2014年08月12日 イイね!

94北往記5。青森、そして北海道へ


     5・第2日/本州最果てへ

▽酒田  9:48~秋田 11:58・羽越本線(クモハ700-35)

※酒田駅

 おはよ。

 頭の中は真っ白になっている。穏やかな日差しとは裏腹に、照り付く熱さが肌を刺す。
 駅のベンチに腰かけてただ“のー”としている様は我ながら阿呆そのものである。

 山形の小都・酒田の駅は何処と無く長閑であった。
 駅ホームの長さは特急対応で立派な威容を持っているが、それが却って然程大きくない駅舎を小じんまりとさせている。
 四面ほどのホームの一隅に山形方面行きの気動車がいたが、間もなく発車した。陸羽西線の列車だ。
 駅ホームに下がっているタブを見ていたが、日本海を始めとして、白鳥やいなほ等の扉案内が提がっている。
 特急列車に旅愁を感じた反面、普通列車がこれでは・とも思った。

 何せ此処では70分もの待ち合わせだ。東京で時差調整に7時間半取ったのを別にして初めてまとまった待ち時間である。

 この70余分というのがくたびれてきた身には実に半端な時間である。
 表に出て市内観光をするにしては、予備知識無しに回るには時間不足だ。私の酒田市の知識と言えば、20年余前に大火事があるという不名誉な事件しか知らない。
 かといって、駅の中で時間を潰すにはもてあます。
 キオスクで立ち読みをするのが精一杯である。
 それでは何の為の旅行か解らない。

 けっきょく、“のー”である。

※旅忘れ

 酒田着の列車を降りてから約1時間、今度は秋田行きの列車がやってきた。
 やってきたのはステンレスコルゲートにバイオレットのストライプを巻いた701系電車。
 昨年充当されたばかりの新車で、この旅行のうちでは最新式の電車でもある。
 それだけあって、流石に先程のキハ40よりは随分とマシにはなった。
 とは言え、物足りない(-_-;)。

 2両編成のこの電車はワンマン対応で、広電電車や四国の徳島・土讃線同様に運転台から降りるシステムになっている。
 そしてシートは相変わらずロングシートである。
 どうも旅情がない。

 マァ、交通機関なのだから旅情を重点に於いて列車を運行している訳では無い。むしろ日頃の住民の足として重用されるものだから無理も言えない。
 しかし彼の電車は異様に無気質に感じた。
 東京を走っている205系と根本が変わらないのだ。

 ま、愚痴は旅の愉しさを半減させる。ぼやいても始まるまい。

 と心に言い聞かせていたのも束の間、発車して暫くすると担ぎ屋風の大荷物を持ったお婆ぁちゃんが目に留まった。
 ドア口付近に座っていた事もあるが、ついツイ席を譲ってあげてしまった。
 いい事出来たかな・と思う反面、完全に旅行を愉しむ事を忘れてしまった。
 我ながら一体何を考えているのだろうか?

 先の杞憂は現実のものになった。
 便所の前にある車椅子スペースに陣を張ってリラックスを決め込む。
 10時2分、南鳥海駅で上り白鳥号と離合の為に停車。
 その10分後に通過する女鹿駅を過ぎれば電車左手には海水浴場が点在する日本海が再び拡がる。
 その間、2両編成の列車の中は徐々に乗客で埋め尽くされる。

 不意に気が付けば、車内は広電電車と然程の違いが無くなっていた。

 東北本線の時も然かりだが、どうにもゆとりを感じなくなった。
 席を譲って立ちんぼになったのは、むしろ気分がすっきりしたのだが、旅行している気分は村上に置いてきてしまった。
 列車ダイヤの密度が薄く、車内乗客率の濃いこれら列車はJREにして見れば至極当たり前の事に思われるが、乗る我々乗客を見たとき、かなりの拘束度を感じえない。
 私も単なる“利用客”に成り下がってしまった。

 列車に乗る乗客は千差万別・様々な方が利用される。
 それを“電車に乗る人”に仕立て上げるのが通勤列車であるし、“縁あって列車を利用される人”に扱ってくれるのが一部特急列車に息づいている。

 列車を愉しんで乗って来た私も、此処では“電車に乗る人”にされてしまった。これは何処か哀しかった。

 こんな列車の運営を続けていたなら遠からず乗客は電車から遠ざかる。
 マァ電車を利用する人は外にも様々だから一概には言えんが、人間の想いを乗せている思想が今一つ欠如している気がしてならない。
 新車でこうだから世の鉄道離れはあながち嘘じゃ無いなと思わせる列車だった。

 俺は鉄道研究家か?旅行しに来たんじゃあ!
 10時50分過ぎ、羽後本庄に到着。
 ここで離合待ちとなる。
 立ったまま、立ち席すら埋まってきた電車内で20分も待ち合うという。
 少しでも旅行気分を盛り返そうと立ち席のままだがバッグからコップと麦茶を取り出した。
 出発する前に凍らせて置いた麦茶は、36時間以上も酷暑にさらしたせいか、断熱袋を通り越してすでにぬるま湯と化していた。

 電車が発車した。
 息抜きが終わると、ビデオカメラを取り出して、ただ無為に車窓の風景を撮影した。
 可笑しいもので、私も列車に乗る事を単なる移動する為の消化時間と感じるようになった。
 小1時間後、秋田駅に到着した。

▽秋田 12:14~青森 15:27・快速しらかみ3号(クハ700-14)

※記憶に御座いません!

 さて秋田駅。
 先程も言った様にダイヤが空疎なので、降りた客がみんなが皆同じ列車に殺到する。
 その列車は“快速・しらかみ3号”。

 ところが。
 跨橋を跨いで辿り着いた電車を見て私は唖然とした。
 降りた電車と寸分違いの無い、2両編成の701系電車がそこにはあった。

 ロングシートの車内には、前にも増してツンツンに混み合った。
 それに発車が少し遅れるとの報が入った。
 どうやら、男鹿線の列車が遅れた為に接続を待つらしい。
 吊革にぶら下がって項垂れる私はラジオを点けて狸寝入りを決めた。

 しらかみが発車したのは5分遅れの12時19分であった。
 発車したはいいが、駅構内のポイントを過ぎてもよく揺れる揺れる。ヨーやピッチの出放題とはこれは参った。
 しかし今度は程無く乗客の動きがあって、八郎潟・森岳と停まるとそこかしこの席を立ち始める乗客が相次いだ。
 どうやらこの快速は拠点間スイフトインターバンの役割をしているらしい。
 快速と言えば目的地同志を結ぶものが多い中、珍しいパターンだ。
「隙ありっ!」
 と言わんばかりに、正面の席が空くとそこに頓挫した(-_-;)ォィ。

 能代を過ぎた辺りと思うが、この後熟睡してしまったのでよく覚えていない。
 この列車は大館で普通列車に戻る。
 14時頃だった様に思う。その頃に一度目が醒めたのだが、まだ一時間半はあるなと思ってもう一回首を垂れた。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥
 気が付いた。
 私は仰天した。
 次の駅を聞いてみると“津軽新城”だという。
 時刻表で見てみると、終点青森まであと二つ。もう目前であった。
 一体、何をしておったンだ?
 間もなく、青森に到着した。

▽青森 16:08~函館 18:49・快速海峡13号(オハ50-5008)

※青森駅

 時刻は15時28分です。

 寝惚け眼で降り立つ二年振りの青森駅。
 その隣のホームには既に青く塗られた50系客車が待っていた。
 海峡13号である。
進行方向から背後を見ると、折好く機関車がやってきた。
 朱塗りの電気機関車・ED79の16号機である。余りに急だったので見守るほか無かったが、まだ発車までは時間がある。
 ゆっくり過ごしたい。
 待ち時間は40分。
 とりあえずは取り損ねた昼飯をカッ喰らう。
 同じホームに駅そばがあったので、此旅初めてソバを頼んだ。
 鰹だしを使う西日本とは違い、汁の色が異様に濃い。
 だがラーメンみたいな汁はコクも味も程よかった。

 手持ちの口糧が底をついたので此処で買い出しも行った。

 それらを終えると、車掌が打合せをしていた。
 近寄ってみると、話の内容を車掌が話してくれた。
「先程の“はつかり”が遅れて発車したんですよ。東北本線側が豪雨で速度が上がらないようなんです。多分この(海峡13号)列車も(連絡客を乗せた)下りのはつかりが遅れますんで、発車も遅れるんじゃないですか?」
 会話の内容はこの通りでなかったが、まぁこういう会話を交わした。
「冗談を‥‥今日は連絡列車の遅ればかりで碌に定時に発車していないんですよ」

 実はその通りである。
 昨日のムーンライト以来、自責点無しの列車の遅れが異様に多い。
 それが悪いとは言わない。予定もお蔭様で狂わずに済んでいる。
 一体どうした事かと思ったが、この後更に雨量が増して記録的な豪雨が関東一円を襲った。
 しかも、車掌の杞憂は現実のものとなった。

 話しは戻って3号車に潜り込む。
 今年は幸い指定座席が総べて窓際だが、いずれも窓枠がすぐ横にあって視界がいまいち。
 ビデオカメラを構えると構えただけでフレーム枠一杯になる。
 座席は特急車両からコンバートしたリクライニングシート。だが、今までのムーンライトと違って随分と余裕を感じる。クッションも、おもて柔らかコシしっかりと、いくらか自動車のシートに近い。こいつは疲れない。
 窓は、この時気付かなかったが二重窓。客室の入口扉は両引きのガラス戸。
 その上にはLEDネオンサインとなにか山を二つ描いた略地図がある。
 小学校の地図帳以来お目にかかる青函隧道断面略図だ。どうもこれに列車の現在位置を示すらしい。
 もう、雰囲気からして、今までの列車と違う。
 気の早い輩は、この列車に入っただけでもう気分は北海道になっているかも知れない。

 さて、いざ発車の段になって車内放送が鳴り響く。内容と言えば、やはり車掌の言に偽りはないという処か?はつかりの遅れで本当に発車時間が九分ほど延びてしまった。

※更に最果てへ

 そして発車と相成った。
 先ほど乗って来た奥羽本線を少し逆走する恰好になる。
 すぐさま奥羽本線は左に袂を分かち、どこかもの寂しい単線風景になる。
 実は複線なのだが、そうとは解らない程周りの風景は寂しい。
 家は点在だし、幹線道路は見当たらない。
 青森と北海道を結ぶ唯一の大動脈・と言うよりは、本州最果てに向かう秘境線という言葉が似合う。
 時折、上り海峡やはつかりを見ることで漸く幹線とおぼしき風景になるのだが、それにしては先ほどの奥羽本線に勝るとも・イヤ、明らかにこちらのほうが辺鄙だ。

 少し走ると、右手に陸奥湾が見えた。初めて見る北の海である。
 眼下には国道280号線、右後ろには先ほど後にした青森市内、遥か微かに下北半島も望める。この風景は墨絵の如くであった。
 車窓から動いている物はと言えば、僅かな車と、この海峡13号である。
 灰色の曇天も手伝ってどうも風景が湿っている。
 国道280号も何時しか袂を分かち、線路は中小国を過ぎて高架橋になった。この中小国までが従来の最果て線である津軽線で、こちらは更に三厩まで北上する。

 此処を過ぎて海峡線に入ると、今まで沈黙していたLEDサインがガイドを始めた。内容は、青函トンネルの歴史や概要である。起工竣工の時期や、全長160.4kmを指す路線総称だの、使われる軌条は世界最長の一本のロングレールだのと、事細かにサインを送る。
 それと、上にある略図の表示法などを一通り教えた後は、今度は北海道フリー切符のCMなどJRH(北海道)の広告を始める。
 なかなか忙しい列車である。

 高架を暫く走ると、海峡線で本州最北の津軽今別駅にはいる。
 レール一本につき1ホーム、ホーム幅が足りないので一部車両はドアが開かない。
 何の為にあるかよく解らない無人駅ではあるが、それでも海峡が停車する数少ない駅だ。
 確かに遠く眼下には集落も見えるが、人っ子一人見当たらなかったのも事実だ。

 ともあれ、JRHで、次の竜飛海底と共にある珍しい青森県の駅を発ち、いよいよ青函トンネルに向かう。
 短いトンネルが幾重にも続いたが、意外と瀬戸大橋の導入部によく似ている。期待を持たせてはまたトンネルを出、トンネルにまた入るというフライングまがいの路線が続いた後、
 ピィーッ‥‥‥
 機関車の長音一発の後に本番に入った。どこからか拍手も聞こえた。

 ただ、トンネルという奴は、一旦入ってしまうと感動が薄い。外景と現在位置が解らないからだ。
 その為にある略地図は、トンネルに入るとダイオードを一つ・また一つと増やして行き、5kmにその距離と深さを示して行く。

 そのうち、内壁の蛍光灯の間隔が狭まった。竜飛海底駅に到着したのだ。
 だが、駅とは名ばかりで、その閉鎖的な空間はゾッとしない物があった。非常時避難場所と海底資料館として利用されるのだが、私には前者のイメージしか湧かない。
 世が世ならブーム沸騰で、乗降客も多かろうが、時間が合わなかったのだろうか、乗降客は殆ど居ない。
 ソレコレとしているうちに間もなく発車。
 トンネルを出て間もなく壁面にネオンオブジェが光ったが、不意を衝かれて内容が殆ど解らない。

 それが終わるとまた等間隔に設けられた蛍光灯だけの風景になる。
 その蛍光灯の間隔がまた狭まった。今度はその色を時折変えている。

 現在位置を示すバーグラフが底を打ってきた。
 トンネルの中間地点を示すのである。途中で停まる駅が無いため速度は速い。暗がりでキロポストを認められないので手持ちのタキメーターが使えないが、80km/hほどは軽く出ていた。海面下240m、やがて、青い蛍光灯が2・3灯いたかと思うと緑の蛍光灯が認められた。中間地点である。

※北海道上陸?

 さて、吉岡海底駅。ここに到着した海峡も暫時の停車で発車。

 次に風景が拡がったのはトンネルを終えてからだ。
 兎に角初めての青函トンネルは、余程の物珍しさを道連れで無いととても愉しいものではない。
 処がひと度トンネルから抜けると、太平洋の遠く拡がる丘に出た。
 興味深いのは、青森側にしろ北海道側にしろ、出口には二十台ほどが納まる駐車場があったことだ。これが観光用なのか事業用なのかは調べそびれたが、妙な存在ではある。

 間もなく上陸後最初の駅・知内に到着、津軽今別と違って有人橋上駅である。
 跨橋を渡してその奥の高台に駅舎がある構造だ。山あいの高地を通るレールの下は道路が走る。
 知内駅は海峡線の開通する前身の国鉄松前線にもあった駅だが、その路線とは完全に袂を分かつようで跡形も見当たらない。
 その後間もなく木古内駅に到着。すぐ近くには木古内の集落もある。
 それもそうで、こちらは海峡線が出来る前から既に檜山支庁方面を担うためだけに廃止を免れたJR江差線と、先述の国鉄松前線の分岐駅である。集落が無くて異常である。

 普通列車をやり過ごし、木古内を通過すると景色はフルオープン!線路脇の家屋が一列あるその向こうは国道228号線と、そのまた更に向こうには広漠とした太平洋。
 夕闇が近付いているうえに青森で少し触れたが、気候の悪化で靄がかっている。それがまた墨絵みたいで穏やか。列車後ろ手には遥か遠くに、約二時間前に発ったばかりの下北半島が霞む。
 発動機を抱えない50系客車が、軌条の響きだけを体に伝えて行く。シートが随分良かったのもあるが、久しぶりに汽車旅を思い起こす雰囲気に包まれた。
 乗り心地や振動ははっきり言って先ほどの701系よりも劣る部分がある。にも拘らず、旅情を醸し出すのは明らかに50系だ。
 この違いを知るにはもう少しJRHの列車を紹介する必要があるかも知れないので、ここではさて置く。

 さて気の早い御仁は青函トンネルを抜けると、函館に着いたも同然と思われがちだが、実はそうは行かない。
 トンネルを出て函館駅に着くまでには更に吉岡海底の福島町、そして知内町、木古内町、上磯町と四町を横断した後と30分強もの時間を要する。
 その時間の長さや如何に、先ほどの様な気の早い御仁には気が遠くなるような時間である。
 それが嫌なら私は函館行きの特急はつかりか、青森発夜行のはまなすを勧める。
 だが、私はこのややも長い時間が愛しく思えた。旅疲れを精算するにはいい機会だ。

 トンネルが開通するまでは青森駅から函館駅まで青函連絡船が直に渡って行った。その渡航時間は実に4時間。
 しかも気候の悪化で簡単に遅欠航はするし、洞爺丸事故のような惨事は折りに触れ連絡船を襲った。
 だがこれで北海道に上陸した日には感動も一入に違いない。

 国鉄の連絡船は曾て王将の青函、飛車角の宇高、金将の仁堀。しかし今残っているのは宮島航路のみである。
 先の三つが生活密度の濃い航路だったせいでより確実な陸路を採ったり、採算を廃棄したりして結局はこのような形になっていった。
 斯く言う私も、青函連絡船には余り乗りたくはないなと思っていたが、トンネル開通後のこの路線がこうも呆気なく合理的なものだとすれば、旅好きが青函連絡船を惜しんだのが良く解る。

 ドンドンドンドン‥‥‥‥!
 ンア?あれ・いつの間に寝惚けてしまったんだか‥‥‥
 と目を醒ましてみると、窓の外はもうトップリ日が暮れている。
 時計を見ると、殆ど19時を指している。
 ここは函館‥‥‥
 まぁた終点まで寝てしもうたわい(T_T)。


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~後記

 前半と後半のテンションが好対照なくだりになってしまった(^_^;)。
 もう夜行列車で寝なかったぶん寝まくった山形秋田県下と青森以降のこの違い。

 またこのころは乗務員でも声を掛けると色々話をしてくれてることが覗える。
 今はマニア丸出しの野暮ちん行為に思ってるのでやらないが、若かったんだよねぇ。
Posted at 2014/08/12 12:18:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
2014年08月11日 イイね!

94北往記4。上羽越へ

 いい加減続き物に(^^ゞ。


     4・第2日/羽越路へ

▽新宿駅

※のー‥‥‥
 何のことはない。東京をブラついて余計に疲れただけであった。
 新宿駅西口からコンコースをノタリクタリ歩く頃には野球中継が終わってきている。
 コインロッカーから荷物を取り出してムーンライトの停まるホームに出て来たのは21時頃。発車まで約2時間。
 バッグからサンダルを取り出して半湿りの靴を仕舞込み、ヘッドホンから流れるAMラジオを浸かるように聞き入り、胸元をはだけさせて2lタンクから麦茶を取り出した。
 完全に“冷やし”に掛かっている。

 ラジオから流れる情報は余り抑揚がない。
 お盆明けでもあり、押し並べて平和なんであろう。
 スポーツニュースは白熱している。サンフレッチェもカープも勝って調子がいいが、相手チームのベイスターズは近藤監督がファンに取り囲まれて往生したらしい。
(なお、この近藤監督は次に北海道に行った98年にもロッテを18連敗という奈落に突き落として糾弾されてたなぁ(^_^;)

 兎に角風もなく、自分の熱でうだってしまう。
 日も沈んでもう少し涼しくなってもいいだろうと思うだけである。

 新宿駅のホームは、在来線だけで19本という構成。だが“広い”という印象が不思議と無い。
 周囲を百貨店に囲まれているせいだ。屋根があるせいで高層ビルは拝めないが、屋根に遮られる範囲で建物に覆い尽くされており、それで広さを感じないようだ。まぁ箱庭と言ったところか。むしろ、同じ箱庭でも建物として構築されている阪急梅田駅の方が却って大きさを感じる。

 この時間になると、各特急の最終便を捌いて行く。あずさ、あさま、SVO、その他にも新特急やホームライナーなど普通列車以外の多彩な列車が入ってくる。
 このうち私の待つホームには“ホームタウン高崎”が入ってきた。久方振りに見る485系はボディーカラーも車内設備も一新してその雰囲気を変えていた。
 アコモ改造車というものは、前回の“白鳥”でその雰囲気を味わったが、それ以上に様相を一変している。
 ただ、列車そのものの旅を愉しむ自分はこういう改装を見て少し寂しいものを感じた。
 と言うのも、この列車を見ていると「貴方の移動時間を快適に包むアメニティー空間」と聞こえそうな気がした。
 これだけ室内を快適に改装している事は、裏を返せば列車に乗ることはあくまで移動する為の単なる消化時間であるのだ。

 思うんだが、列車の中ぐらい豪華にせずとも旅をする以上はその空間で愉しむ工夫を某等していた筈だ。4人向き合うボックス席というのはそれだけで工夫の仕甲斐があった。家族で囲むのは勿論、見知らぬ人と語らいが持てるいいセッティングだった。
 だが今の列車・とりわけ程度がよくなる列車程、座席の機能性能はよくなるが、それが旅を愉しくするエッセンスにはなりえていないという事だ。
 それに、今頃は話しかけたところでうざったがられる(T-T)。
(今時ゃみんなスマホやゲームで『武装』してる有様だし(-_-メ)

「旅のスタイルが変わった」と一言で言いたくない哀しさだ。

▽新宿 23:03~村上  6:12・夜行快速ムーンライト(クハ165-196)

※暑いっ!

 そういえばこいつも“旅情を愉しむ”列車じゃあ無いな。
 待ち焦がれた列車・ムーンライトが入って来たのは各方面から来た特急が入庫を終えた後ほど。
 だがこの度は165系・9両編成の威容を持つものの、直江津・新井行き編成の省かれたモノトラック。
 実は村上行きに乗るのは初めてである。
 中に乗り込むとふた昔前の特急が使っていたリクライニングシート。
 こいつが実に落ち着かない。
 クッションもほとんどゴム鞠で3時間とまともに座れない。
 青春18切符で乗れる列車としては確かにバーゲンプライスのクラスだが、今や明らかに221新快速や215アクティーより格下の乗り心地である。
 勿論隔世の観はあるが、JREは夜行列車の定義を取り違えているとしか思えない。

 23時になって潜り込むこの列車。処が成田エクスプレスの遅れで発車時間が延びるとの事。飛行機とNExを使うような奴がこんな安列車を利用するのかな・と首を傾げたが、私も貧乏旅行の分際でTWxを選んだ身であるし、大口は叩くまい。

 斯くして10分遅れで新宿駅を発車したムーンライト。池袋を通過、赤羽を出発する。
 帝都離りて‥‥まさにそんなシチュエーションを奏でてくれるタイムトンネル。ムーンライトの魅力爆発はまさに此処である。
 先程は散々叩いたが夜汽車の魅力にまで冷や水をぶっ掛ける程私も無粋じゃない。
 BGMはニュースがいい・と言いたいが実は、神経疲労の固まりと化した私は景気付けにアニメソングを掛けていた。
 なぜニュースか・と言うが、ビジネスライクな街中を流れて行くと音楽が妙に浮いて馴染まない。大勢の人が蠢く都会にニュースを流すとヒューマンパワーを適度にクールダウンしてくれる。
 だがこの時の私は余程この東京から離れたかったんだろう。ニュースも聞きたくないらしい。

 景気付けどころか、赤羽を過ぎた辺りから気が付けば高崎に到着していた。

 もう一つ気が付いたのだが、新宿を発った時に隣に座っていた女の子がいない!
 いや(^_^;)、その女の子をどうこうという訳ではなく、これは拙いなと思った。
 と言うのも、前項で少し述べたが、足が蒸れたのが祟って全身くま無く汗をかいてしまった。
 はっきり言って臭い。
 女の子にはこれだけでも耐えられんなぁ。
 加えて恐らく寝ている間に鼾をかいたのではないだろうか。
 はっきり言って自慢だが、私は自分のかいた鼾で目が醒めた事が間々ある。
 そんな鼾なら女の子ならずとも逃げてしまうだろうな(T_T)。

 さて、何故高崎で目が醒めたか。どうもこの暫く前で冷房を弱めたらしく、多少蒸してきたのだ。
 周りを見るとまだ周囲の街灯や家屋の明かりはついている。
 25時とは思えない。
 以前直江津までムーンライトを利用したときはこの駅から乗ったっけ。
 以前同様、駅ホームの明かりは殆ど消されており、妙に物静かである。

 高崎は間もなく発車。処が二つ先の新前橋ですぐ停車と相成った。何時になったら発車するのかと思いきや、これがなかなか発車しない。
 途中下りの夜行貨物をやりすごすも更に待ち続け、発車したのは30分後の25時45分頃だった。
 その間、ただ蒸し込むばかりなりの鬱陶しい空気。うんざりしたのか、また発車して間もなく寝入ってしまった。

※上越越え

 高崎を過ぎるとムーンライトは高崎線から上越線にはいる。
 上越線というのは上野(こうづけ)・上州と越後・越州を渡した鉄路なので付いた名前な訳なんだが、私はこういう街道名で特に“じょ~えつ”という響きがあるって言うのが大好きである。私の近くにも“芸備線”というものがあるにはあるが、上越には敵わない。

 暫くして、ボンボリ提灯が幾つも並ぶ町並みに差しかかった。水上温泉である。
 よくもまぁ・うしみつ時(26時半頃)だというのに景気のいいこと。
 とはいえ、嬉しいね。こういう列車旅は寄って行きたい観光どころをやり過ごす必要に迫られる。
 だがこんな雰囲気たっぷりにライトアップしていると“ア・また今度はここに寄って見ようかな”と誘われる。
 勿論なかなか旅行に来られる訳でもないが、ならばせめてその雰囲気をとウイスキーを割って飲む。

 ここで久しく途絶えた対向列車と離合した。上りのムーンライトである。まだ車内の明かりが眩しい。勿論車内の照明は落とされているが、ユニット窓はワイドで特急列車の様に消灯はしていない。

 さてこれから三国峠を越えるために長い隧道を下る。
 だがこんなモノは口を酸っぱくして言っている様に、夜汽車に乗っていたら全然解らない!だんだん気温の下がっていく外気につれ、車内の熱気が退いてきた。以前はガラス窓に露が付いていたが、今回は然程でもない。それまでが暑すぎたのだろうか?
 あの長い清水トンネルを抜けると湯沢のペンション街が間もなく。ところが、最初に見た様な綺麗なライトアップにお目にかかれない。淋しいの一言に尽きるが、先程の温泉街とは対照的だ。
 まぁ蒸し暑さが退いて過ごしやすい温度。これだったら冷房がいらない。
 心地好くなったんでもう一眠り。長岡を通過したのは4時頃だったかなぁ

※♪あ・たーらしい 朝が来た!

 夜明けの目覚めは新津。長岡を通過してから小一時間の後である。AMラジオをいじって何とか地元局を出すが、寝惚けているのか・なぁーにもする気がない。
 25分後には新潟に到着するが、越後平野の広い水田を見渡すばかりで呆とする。
 多分寝ていたのだろう。眠ってはイカーン!と言う訳で、側にあるユニット窓を全開。
 昨日の蒸し切った空気は夜風に冷やされたか、三国の山に取り残されたか、実に気持ちのいい風が入ってくる。
 列車はやはりこうでなくては・と御満悦‥‥‥
 寝るなー!(-_-;#)

 6時を回って朝日の光が強まった。
“榎さんのお早うさん(当時定番の朝ラジオ番組)”なぞ聴きながら北紀行。
 越後平野は遠く右手に山並みを控えるが、それでも広島の狭苦しい平野に見慣れた私の心を広々と解き放つ。

 昨日は山陽・東海道の縦貫だが、今日は羽越路を抜けて念願の北海道上陸を目指す。
 その移動距離は1都6県と昨日ほどでなければ北海道横断のようなキリのよさもないが、この径路無くして宿無し移動は適わない。

 NHKを聞いていなかったが、まさに“新しい朝が来た”某ラジオ体操のテーマソングの世界である。
 昨日は“琥珀色の陽光”だったが、この朝は白々と明けてきた。
 鋭さではなく、明るさと柔らかさが同居するほんのりとしたものである。これがまだ青々とした稲穂に映し出す訳だから、もう気分が休まる。
 東京の疲れはこれで一掃・と言いたかったが、寸もなく村上に到着した。

▽村上  6:17~酒田  8:36・羽越本線(キハ40-582)

※うそ(゜_゜)‥‥‥

 乗り換え時間は5分。
 これだけでも唖然としているのに、跨橋を跨いで隣に居座る列車は“キハ”。

 村上は、先出の米原・熱海と同じく大抵の列車が停められる乗り換え駅。
 ただ此処には物理的に理由があって、架線電流が此処で変えられている。
 だから余程の優等列車でないと乗り換えなければいけない。
 そんな訳で跨橋を駆け上がって駆け付けた列車が、
“キハ”
 嘘じゃろー!
 れっきとした架線を曳いてある所で何が悲しくて“キハ”が居るんだ?

 それに、乗ってみてこれまた二度唖然。車内はただっ広い空間の両側にロングシートが二脚、そして屋根には広島でも見なくなった旋回型扇風機。冷房が無い。

 間もなく列車が発車してやった事と言えば三つ。まず背後のユニット窓を開ける。そして扇風機のスイッチが後ろにあったのでそれをつける。そして、
 スカー、ゴー、ズー。
 寝ェちまったぁわな。一気に疲れたわ。

 しかし、白々と明けた筈の日差しが一時間も経たないうちに鋭くなって瞬く間に車内が蒸してきた。
 だいたい“キハ”は飛び切りの熱源体・ディーゼルエンジンを抱え込んでいる上に暖房の効きを良くするためにエンジン熱が車内に上がりやすくなっている。
 そりゃあ、冬は豪雪地帯だからそんな列車だってアリだとは思うよ。しかし、暑いわ。
 それに折角開けた窓も、ロングシートが災いして風は肩を滑るばかり。その風は扇風機の風を乱して止まない。
 全く涼が採られない。

 一昨年の東北本線の時にも思ったが、JREの普通列車は特急列車との差別化をはかる上で普通列車のクオリティーに線を引いている節がある。
 確かに215アクティーには感心した。列車性能が新車置換えに連れて向上しているはずなのだが、旧型車を使わされている線区には“快適さ”を幾分か犠牲にしている様子が伺える。
 特にロングシートは旅行気分を拘束しているが、此処まで顕著とは思わなかった。

 7時頃けっきょく目が醒めた。
 ぼやいても仕方が無いと思った所で車内販売が入ってきた。

 初老のお婆ぁちゃんが籠を曳いて駅弁を売る。

 つい食指が延びそうになったが、そういえば新宿駅で巻き寿司弁当を買っていたんだった。列車が発車時刻になってお婆ぁちゃんも下車して、汽車は更に北上した。
 鼠ヶ関を過ぎた所で弁当を開けて列車左手に見えた日本海を見ながら朝食と洒落込む。
 青々と映る日本海は遠目から穏やかで水平線がシャープで青空とのコントラストもばっちりだ。
 いい景色で口直しを終えるとまた寝入ってしまった。

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~後記

 ナンカのんびりとしまったとがっかりが綯い交ぜになった紀行になっちゃってるわ(^^ゞ。
 若いってのが悪い意味で蔓延してる箇所だわねぇ(ぉぃ。
 と言うか、この辺りは次の項でも思い知らされるがくたびれてたんだよねぇ(-_-;)。
 新宿駅の件では今お亡くなりになった列車も散見するし。
Posted at 2014/08/11 02:23:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
2014年08月08日 イイね!

94北往記3。おのぼりさん


     3・第1日/東京

▽東京駅にて

※丸の内・あぁ丸の内?

 そげなこげなで着いた東京駅。
 ここではムーンライトで新宿を出発するまで7時間半もある。

 それだけの膨大な暇、はっきり言ってすることは決まってはいない。
 鉄道を乗る、ウインドゥショッピングをする、確かに出来る事は多い。
 しかしやることと言えば魅力あふれる処は限られる。
 どこもかしこも東京の都市化に憧れたばかりに、東京ならではの味が薄味ながら何処でも味わえる。それが東京の魅力を希釈しているのは確かだ。

 ここならではのパワーも、15時間半にも亘る列車旅でくたびれた私には却ってうざったい。
 此処は休憩には不向きである。

 マァともあれ、此処でやるべきことはまず一つ!
“北海道観光連盟 東京事務所~東京都千代田区丸の内1-8-3”

 なにぶんにも初めての北海道。
 無手勝流で飛び込んでもいいが根室半島踏破を目論んでいる手前、貰える情報はとっておきたいのが本音。
 降りたホームから東京駅を横断して赤煉瓦の「丸の内口」へ向かう。
 正面は江戸城・皇居。
 こちらに顔を出すのは3年振りである。“丸ビル”共も3年ぐらいでは代わり映えしない。

 さて、駅前案内地図の掲示ぐらいはあるだろう。
 そう思って捜してみる。お・思った通り、ありました。
 所番地も併記してあるが、建物の名前がはっきり書いてある。こちらを探ったほうが早い。
 ガイドブックには建物名が国際観光会館とあるし、こりゃあはやいわ。
 ふむふむ‥‥‥あれ?無いぞ。
 そんなビルなんか。ありゃあせんぞ、そんなビルがこの丸の内‥‥‥
 まるのうち・マルノウチったら丸の内‥‥‥って、丸の内一丁目ったら東京駅「八重洲口」のことじゃないか?
 もーいっかい東京駅を横断せんといけんらしーわい!

 このクソ重い荷物を引き摺って八重洲口のコンコースに出ると、確かにそこの方向板には“国際観光会館”と御丁寧に矢印まで差して書いてある。
 何処が「丸の内」一丁目ならぁ!誰が「八重洲口」ならぁ…あー疲れた。
(私、旅先で往々にしてこう言う間違いを犯します)

 そういう訳で、エレベーターで4階にあがって、目当ての“北海道観光連盟・東京事務所”に辿り着いた。
 その途上気が付いたのだが、このビルは国内外の観光事務所が寄り集まっているらしく、富山新潟フィリピンなど様々な地域の観光事務所が居並ぶ。
 こと国内に至ってはクニ自慢の特産品の販売まで取り扱っている。
 勿論土地のモノに対して値は張るが、色々な地域の特産品を此処で取り寄せることができる。妙なところである。

 さて、如何にも北海道然としたその事務所に一通り目を通す。
 よく広島そごうがやる“北海道展”のイメージそのものだが、確かに様々な物産と資料がふんだんにある。
 余分な銭と気力がないので、早いうちに目の前のカウンターに座って、ほぼ普段着然の受付嬢に御用件を述べた。
「これから北海道に行こうと思うのですが…」
 との斬り出しで、明日夕方から足掛け四日間ほど、函館・根室・札幌の順で立ち寄ることを述べる。
 凾館山の観光、根室半島の地形や気候、札幌の交通機関などを訊ねた。
 それらの返答を併せ聴き受けると、計画の実行に支障は見いだせなかった。
 根室市内から納沙布岬までの踏破に至っては、「遠足でも通っているくらいですからねぇ」とのこと。
 気候に気を付ければ大丈夫とのことだ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・現地でそこの見込みを誤っていたことは追々思い知ることになる。

 その間じゅう、脇のテレビでは甲子園を流していた。
 折しも、彼の地元校である函館の高校が試合をしていた。
 (当時)北は弱いと云われる甲子園で、今年は北海道二校がよく踏んばっており、またイイ試合をしている。
「今年は北海道勢がいい試合をしてますね。見ていて気持ちがいいですよ」
 マジで私がこう言ったが、どうも相手はお世辞と受け取ったらしい(^_^;)。
 苦微笑いだが「応援しています」と答えた。

 私は甲子園と余りツキが合わないのでこれ以上の追求は避けた。必要なパンフだけを受け取り、北海道観光連盟を後にした。

※“ゆりかご45”

 さて、次に向かったのはムーンライトの始発駅である新宿。
 此処でこのクソ重い荷物をどうにかしてやろうと思った。

 今となってはどっち回りか忘れたが山手線に乗り込む。
 地形上、東京と新宿は山手線と言う楕円の対頂点である。どっちに乗ったって同じじゃないかともう殆ど投げやりで、来た電車に乗り込む。
 もはや中央線の存在を忘れる(!)ほど、体は休息を欲していた(-_-;)。

 とにかく新宿に到着。
 コンコースに降りるが、またれーによってあいているろっかーがない。あ・もーこらえられん。ぶんしょうまでひらがなになってしもうた。

 兎に角開きロッカーを探り出し荷物を放り入れると、近くのキャッシュディスペンサーで小遣いを引き出した。
 これが後ほどの祟り目になろうとは夢想だにしなかった。

 とにかく東京。これからまた来れる宛がない。何処に行こうかと乗り込んだのがまた山手線。
 ところがである。
 次に気が付いたのは大崎だったかと思う(-_-;)。
 私もよく覚えていないのだが、寝惚けながら山手線に揺られていたに違いない。
 腕時計に目をやると、驚いたことに18時半を回っている。
 オイ・ちょっと待て!乗ったのは確か16時半を過ぎたばかりだぞ!

 なぁんてこったい?
 けっきょくあの2時間ほど、また寝惚けてしまったのだ。

 今思えば、実は無意識ながらこれを狙って行動していたのかも知れない。
 兎に角、一周45分も掛る山手線を寝ずに周回したことの無い自分。
 山手線が心地好い揺り籠と化してしまったのかも知れない。
 かくもまた、1周半も山手線に揺られました。

 もう一周するほど暇はないぞ!新宿に帰るんじゃ~!

 だが、折しも今はラッシュ時。乗車率200%ほどまではなかったが。
 乗り換えた山手線は満席で、おまけにやってきた列車が6扉車。
 吊革にぶら下がる間抜けな自分。
 その目前には液晶テレビがあった。新生205系自慢の“文字放送サービス”である。
 確かに情報に飢えた旅行者の自分には有難い設備だったが、見飽きるのも早かった。
(それに比べて今のソレは実に退屈させないエンタメにまで成長しているなぁ(^^ゞ)

 かくて、何をしたのか解らぬまま、新宿駅に戻って‥‥‥あ、乗り過ごした。

▽新宿鐘楼

※東京‥‥‥

 一つ向こうの新大久保から歩いて新宿に戻る自分。何か阿呆である。
 マァ土地勘を頼りに新宿に戻るが、これがアテにならんことならんこと。
 気が付けば筋を一本平気で間違えていた。明るいうちに表通り裏通りを歩いて、何とか新宿に戻ることができた。

 夕闇迫る新宿西口。
 耳に着けたヘッドホンステレオからは、野球中継が流れ始めた。宛がある訳で無し、“新ブラ”を始めた。

 ところが今更何処かへ・と言う雰囲気ではなくなった。マジ疲れてる。
“東京を見渡そうか‥‥‥”
 そんな考えだけが頭を支配した。

 そう、高層ビル展望台のはしごである。
 何とかは高い所が(^^ゞ‥‥なんてよく言うが、この時の私はまさしくその何とかであった。

 高速エレベーターで展望台を目指して行く。
(原稿には残っていないがおそらく野村ビルかと思われる)
 全周とは言わないが、ガラス張りの部屋に進み出ればトップリ陽の墜ちた東京夜景がそれぞれのビルから望める。

 特に新宿外苑明治神宮には一際眩しい灯がともる。
 神宮球場や代々木競技場の照明塔。
 今日はプロ野球もJリーグも此処で行われている。高層ホテルの屋内プールが見えているものもあった。

 東京の夜景が綺麗だと時々聞くが、その趣はよそにある情緒とは異なるモノを持ち併せている。喧噪、絢爛、様々大勢の“トラフィック”が織り成す流れである。
 綺麗はきれいであろう。
 だが、疲れ切った体を休めるそれではない。
 一通りビデオに納めた後は、その夜景から離れて、ただひたすら呆としていた。
“東京は性に合わない”
 改めて思い知らされた。

 さて此処で失敗談を。
 高層ビルを二・三回っているうちに妙な異臭が体を襲う。
 その源はどうやら足許からだった。
 気がついてみると足下が薄ら痛い。
 靴を脱ぐと足の皮が真っ白になっている。
 完全に蒸れ切っているのだ。
 靴の中を覗くとインソールが捩れて内底が破れ、底ゴムのリブが踵を下から圧迫していた。しかも靴が湿っている。

 実は出発前靴を丁度する暇がなく、午前仕事を終えた後で止む無く損傷の軽微なのを速攻で洗って干していたのを履いた。しかし殆ど生乾き状態で持ち出したのが祟り、蒸れてしまった。
 蒸し暑いとは別に思わなかったが、この事実を確認してから異様に汗をかくようになっていた。
 病は気から・ではないが、靴の不具合を知ってから妙にダレてきた。

 あとにも触れるがこれがこの旅を根本からぶち壊すことになり、靴の拘りを一変させる事になる。

 階下に降りて、駅前の洋食屋によって夜食と洒落込んだ(店については記憶も記録もない(T_T)。
 物を食っている時が至福の時と言うがこの時はまさにそうらしい。漸く腰を据えたような気がする。
 時計に目をやると20時半を廻っていた。
 チキンカレーとハンバーグを頼んで600円、食費に妥当なリーズナブルな出来だった。

 これらをゆっくりと召し上げると、腹の落ち着くのを見計らって勘定。新宿駅に戻った。

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~後記

 当時はまだ東京を観光の中継点としてみているばかりで、2000年代に堪能したようないわゆる街巡り店巡りは全くやっていない。
 おまけに北海道からが旅の本番と思ってたフシがあってお金も無い状態。
 思えば山手線での時間つぶしは気疲れも考えると理に適っていたのかと思う。

 街に来てお金も暇も無い観光と言えば高所に上ることと言うのは今も昔も変わらず、コレはのちの函館や門司下関高松でやってる。
 広島は高い位置のパブリックスペースが無いんでこの手が使えないんだよねぇ(T_T)。
 どういう訳かホテルを除いて13階以上に上がれる場所が無い。今度の52/46階建てのも例に漏れず上階はマンションだしふざけるな。

 靴ねぇ(T_T)。
 コレは函館根室札幌とホント泣いています。またの講釈で。
Posted at 2014/08/08 10:39:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
2014年08月06日 イイね!

94北往記2。上京


    2・第1日/東海道走破

▽京都 6:44~米原  7:55・東海道本線(モハ112-5757)

※持病?

 さて、遷都1200年を迎えた京都。今駅舎の改築で忙しい。

 そんな京都駅は、どこがホームでどこが仮組土台だか解らない。
 滑り止めがギシギシと軋む些か心細い陸橋を登る。
 そういえば1934年、此処で海軍兵学校の入営を見送った客が将棋倒しになって多数の死傷者が出たって話を聞いたなぁと不気味なことを思いつつ、長浜行きの列車を待つホームに降りた。

 待ち時間は約15分。
 しかし普通の平日の朝ということもあり、客はけっこう多い。
 イヤ、ラッシュに巻き込まれなかっただけでもヨシとすべきか?

 やって来た列車は見慣れた113系湘南色。
 車内には既に大阪から乗り組む客。このうえ開かれるドアと共に押し流された降車客に替わって雪崩込む乗車客。
 とほほ(T_T)、結局立ち席を余儀なくされた。

 ドア近くのロングシート、これを前に吊革に掴まり、一昨年流行った“反省”。
 項垂れてしまう左手を見るとJRWのマナー啓発ポスターがあった。
 私には殊更懐かしい“ウルトラマン”。
 彼が、221系新快速に駆け込み乗車をしているバルタン星人を仁王立ちして制止している。
 内容もそのもので、別にこれと言った工夫は他に無い。だが、やりそうなキャラクターが見事にはまっているのには味がある。
 他にも姉妹版に、3面エイリアン“ダダ”が数人座席に居並ぶ中、一人分を空けて、その席をウルトラマンが勧めるもの、ヘビースモーカーのエレキングにウルトラセブンがむせって迷惑しているもの。
 これだけかも知れないが、ウルトラマンに出た異星獣になぞらえて乗客の擬人化をこなしているのを見て、ウルトラマンの芸の細かさを垣間見た。

 程なく正面のロングシートにありつけ、琵琶湖を見つつ、そうこう感心していると、列車左手に見えた筈の京阪石山行きの列車が右手の近江鉄道に替わっている。あれ?アレぇ~!ちょっと・寝るな~!

▽米原  7:59~熱海 13:46・東海道本線(モハ112-2050)

※アカン・睡魔が…

 しかし丁度いい時に目が醒めたもんだ。
 油断しているとまた米原で寝ぼけるところだったもの。
 これを乗り遅れると本当に拙い。だって、此処から熱海までの電車って他には無いっ!

 よし・米原か。来るなら来てみぃ!速攻で乗り換えたる!
 車内放送に耳を側立て乗り換えホームを確かめ、決して軽くない荷物を担ぎ、折好く目の前に来た陸橋目掛けて、ドアが開けば…それっ!バタタタドドガタダンダンダンダン…ドドドド!そりゃあ!
 助かった。間に合ったし席にありつくことが出来たァ!(ワレは餓鬼以下じゃのう(-_-;)
 そんな訳で、何がそんな訳なんだか自分にもよく解らんが、南向きの陽当たりのよい前向きの席で安穏としていると間もなく発車。

 東海と北陸のジャンクションである米原。東海道線を走り出すと高架を乗り上げて北陸線をオーバークロスする。
 そもそも、この辺りは地形の険しい関ヶ原を避けて長浜へ北上する路線が先に開けた。
 だいたいが名阪間の幹線が現在の関西本線。近鉄だってこの路線を走る。
 いずれも関ヶ原の険しい地形を避けた訳で、此処を開通させたご苦労な奴は国鉄ぐらいのもの。
 と言う訳で、鉄道でも国道でも序列が上な筈の東海道本線が北陸線を跨ぐという妙な光景に相成った。

 醒が井長岡柏原。山裾に挟まれた谷を縫う列車。周囲の熟女連中が喧しいのが玉に傷だが、長閑な風景に免じて、まぁ堪えたろ!

 周り。喧しいという訳で見回したが、少し離れるとその殆どが学生とおぼしき若者。彼らにして見れば、限られた盆休み・しかもその殆どを家族サービスに充てなければならぬ社会人を尻目に混雑を避けた美味しい時期。この好天でもあり、列車で18切符を手にパァーッと繰り出そうって具合てぇのか?

 たるい…
 おおがき…
 ぎふ…
 きそがわ…
 なごや…
 名古屋。9:20。あ~ああああああああ、眠いっ!
 何というか、ガラス越しの朝の陽光は本当に眠気を誘うねぇ。
 電子レンジ状態になった車内の照射物は“陽気”という熱を受けて程よい気持ちになってしまう。
 そんな訳で、折角目が醒めてもその陽気に誘われてまたコックリコックリ項垂れる。
 創立100年を迎えた名古屋鉄道を左手に見てたものの、気が付いた時には全くよその、大府や安城に着いてたという按配だ。
 岡崎・蒲郡辺りに来ると右手には三河湾、左手には山裾の遠い濃尾平野を望むことになる。ロケーションは絶好だが、退屈でもある。時刻だって10時を回って行く。寝ぼけ眼で岐阜・愛知両県を跨いだ列車は11時前に静岡県に突入した。
 乗ってる私はダレが来てたのだが(T_T)。

※東海道を(気分的に(^_^;)ぶっ跳ばせ!

 この辺りから、このあと幾度も眺める太平洋を拝むことになる。
 高度を上げた太陽の反射光がギラギラ輝く。列車から見たい風景の一つである。
 左手には浜名湖。じきに浜名湖の裾を括る大橋も渡って行く。右手に幾条も見える旧国道の石橋がいい味を出している。

 海があると目が冴える私だが、山が近づくに連れて眠くなる。これははっきり言って病気である。
 なんと、次に気が付いたときには掛川・六合である。
 この静岡県は新幹線駅と沿線私鉄が多いのが特徴だが、駅にある乗り換え案内板を見ても遠州鉄道や大井川鉄道の名前がある。静岡を過ぎれば静岡鉄道も併走する。

 この辺りを走っていて気が付いたのだが、この辺一帯然したる都会という感じこそはなかったが、そのJR駅の大きさや構造は大きくゆったりとしているのが多い。
 遠い日に見た様な旅情を醸すホームが多いのだ。駅ビルなどは一新したのだろうが、列車から見る限りではいたずらな近代化は施されておらず、時代を感じない大らかさと安らぎがある。

 間もなく静岡駅。
 普通ならここで列車を乗り換えという処だが、熱海まで走るこの列車はまだ先に急ぐ。
 だが客の入りは随分多い。名古屋で一旦少なくなったかに見えたが、豊橋や浜松、そしてこの静岡で大挙して乗り込んでくる。立ち席客がなくならないのだ。
 正午もとうに回り、AMラジオを聞き流す。静岡草薙球場の照明塔や静岡鉄道の鉄軌を右手に見る。東急の電車に似たステン車両こそ見えないが、程よい長閑さに一息。場所柄か、“みんなでエスパルスを応援しよう!”調の横断幕があったりする。

 清水を過ぎると、興津・由比と名勝に沿って東海道線は走る。山裾が海岸線まで迫った由比ヶ浜の海岸線や国道1号・東名高速がオーバークロスするなど、見応えは充分だ。遠くには伊豆半島も拝むことが出来る。
 フェンス一つで国道と東名が仕切られており、車でも通って見たい風景だった。
(当時のマイカーはミニカだが、2012年にインプでようやく適えることになる)
 その手前には古い防波堤の跡もあり、東海道の確保に頭を悩ませたあとが伺える。

 蒲原、そして富士市にはいる訳だが、何かが物足りない。そう、富士山である。
 右手の海はこうも晴れているのに、富士山には裾野から積雲が祟って丸まる見えない。こんな事があって良いのか?結局、鉄道で富士山を拝む機会は三度もあったのに一回も“富士額”を見たことがない。所詮そんなものか?
(富士額は以降二度望めたが、未だ全望は適っていない(T_T)

 田子の浦、美保の松原と来たが、此処では途中から無粋な堤防がお邪魔。
 松並木も頭しか見えず、何のこたぁ無い。
 その後、沼津を過ぎるとトンネルが多くなる。三島、函南を過ぎれば、長かったこの列車も終着だ。

 ところが、今まで殆ど高地を走らなかった列車がだんだん高度を上げて行く。この標高差には少し驚いたが、静岡県内の東海道でも特に平地の無い処。丹那トンネルで漸く貫通した路線だけにその地形は激しい変化がある。

 その丹那トンネル。長いトンネルは嫌いだが苦手じゃない。呉にも休山があるし、山陽新幹線なんかトンネルの連続だ。それを思えば別に堪えやせん。
 …ごめん。偉そうなこと言っておいて、寝ぼけてしもうた。

 トンネルを抜けると、伊東線からやってきたSVOスーパービュー踊り子4号が併走してきた。こいつが一足お先に東京に向かう訳だ。しかし俺は、何というか、あのパステルバイオレットと言う色が電車として走ってるのを見て不気味に思うのだが…

▽熱海 14:00~東京 15:30・快速アクティー (クモハ215-104)

※東京なればこその…

 そのSVOのエスコートに従われて入った熱海駅。
 JRCtとJREの境界駅であるが、江戸時代の関所の名残りでもあるまいし、大抵の列車が此処で停められる。
 マァ俺は米原から乗り換えを免れたから堪忍してやろう。
 ところで乗り換え駅の何が嫌かと言うと、降りた客がみんな同じ列車に乗ろうとする。こんなに無駄なことはない。広くもない駅の構内を五百以上の人がぞろぞろと移動する。列車を替える必要なぞ無いと思うんだが。

 だからこそこんな列車が必要だという訳なんだろうよ。SVO4号と東京行き普通列車をやり過ごした後に入った列車は215系という近郊列車では異例のダブルデッカー車。
 その仇名を“アクティー”と名乗る。
 白いマスクにサングラスとパープルの鼻。素っ気ないと言えば素っ気ない。
 今のJREはこんな無気質のマスクが増えてきた。
 色もパステルカラーやパープルなどのはっきりくっきりパナカラー・じゃ無かった。はっきりすっきりしない色が目立つ。
 あわよくば折角の上品なフォルムをブッ壊している。
 東京の電車という奴はどうも肌に合わない。

 え?アレ?オトトトト…おい、俺が立っている処が一番前じゃないか?
 ま・ええ。とりあえずドアから入ろう。え?先頭車は二階のみ?おぉおぉ、みんな二階に行くわな。何処ぞやに席は…おぉ、此処があった!じゃあ叔母様・お邪魔します。‥‥‥‥オイ、此処は一階でも二階でもない普通の位置じゃないか?

 どでかいチャコールグラス窓に片持ちクロスシート。座り心地が軽薄なのは否めないがバケット形状がわりと良くて座り心地は悪い気はしない。発車のオルゴールの後に走り出すと乗り心地もわりといい。チャコールグラス窓は日ざしの熱を効率良く遮ってくれる。開かないのが難点だが、これでもかというぐらいクーラーを効かせている。お蔭で暑くはない。汗も退いた。
 と、感心しているのに、次の湯河原では不気味なスキップ制動。妙だと思って浮き腰を据え直すと、トンと言うクラッチ音の後に列車がバックしてきた。おいおい、オーバーランかよ!

 神奈川県下に入って更に東海道を東に進むアクティー。
 俗に湘南海岸と呼ばれるこの界隈で意外に風景が都市化されていないのが新鮮であった。小田原や平塚などを走るが意外に長閑で親しみすら覚える。
 まだ静岡県下を走っている余韻を嗅ぎ取れる。
 丁度この辺りで、南向きの窓越しに富士山を望むことができた。
 完全に逆光下で、青い影を残すのみだが、これでも初めて富士山を肉眼で見たことになる。

 疲れに任せて車窓に凭れる。振動は微細で殆ど体に伝わらず、日差しはグレーグラスがよく遮ってくれる。快適の一言に尽きる。ようやくJREにも221系に匹敵する列車が・と感心した。

「‥‥なお、ただいま9号車の冷房が故障しており効きが弱くなっております。お客様には大変御迷惑をおかけしますが‥‥」
 あらら‥‥‥‥

 窓外の風景は都市郊外の工場群が続く。製薬や科学製品会社の類いだろう、不気味な程清潔だ。周囲から隔絶された雰囲気すらある。これらを10分程流すと国道と商都が徐々に街を形作って行く。横浜が近づいて来たのだ。

 意外な事だが、南から東京に入ると都市風景が加速度的に形作られる。
 逆に言うと、それまでは意外な長閑さがある。横浜にしても、大阪を見慣れているせいか、然程の大きさを感じ取れない。
 もっとも駅から一歩も出ていないからなのだが、それにしても都会の喧噪が徐々に膨らむ大阪のような緊張感がない。
 列車の快速も手伝って東京には呆気なく到着する。
 蒲田・品川の工場群、そこからオフィス街が繋がって、それを東海道新幹線が遮る。
 岡山行きに方向幕を巻き替えた0系がスピードを揃えて並び行く。オット、もう一台新幹線が塞いだな・と思うと、既に東京に到着していた。
 かくて“アクティー”を下車。色こそ上品じゃないが面長美人に別れを告げ、ようやく溶けきりぬるくなった1lポリカンのサイダーを飲み干した。

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~後記

 今や贅沢とも思える3本の列車での東海道走破。
 新快速にも乗らなかったんだね(当時は確かまだ117系だったかな?)。
 米原発熱海行きという設定もするがシャトル運用で細切れになりロングシート運用ばかりになった現在に比べると贅沢と言うよりほかはない。
 今やレトロ車両と言える113系だがこう言う運用なら嬉しい限りである。
 最後もけっきょくこの時以外は乗ることがなかった215系に乗っている。まぁ二階建てのところでは無かったものの、イイ列車で東京に入れた印象がある。
 オーバーランについて記述があるが、当時はまだ些細なミスにとられてたようで特に案内はなかったなぁ(^^ゞ。10年後には大問題になってるんだが。

 この旅で、どこで目を覚ましてどこで寝るかというモノを諮ってた感じもするなぁ。
Posted at 2014/08/06 14:24:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
2014年08月03日 イイね!

94北往記1。山陽路


     1・第1日/山陽道走破

▽計画実行前夜

※広島駅

 今回、この広島駅からの発車とした。

 発車の約一時間前にコンコースに入った訳だが、昨今JRを殆ど利用していないのと、アジア大会に向けて駅構内を改装しているのがあいまって小綺麗になってる。

 それらを見回してから、暫くするとムーンライト山陽も入線して来たようだし、改札を抜けた。例の18切符に日付を捺印し、ホームへと入って行った。

※去り行く者へ…

 ムーンライト山陽は3番線にいるのだが、考えがあって私は4番ホームに降りた。
 ここは、広島で数少なくなった“特急到着ホーム”である。

 乗り場案内の電光掲示板には“みずほ”の文字がある。

 みずほは、この冬の大規模ダイヤ改正で姿を消すとの日経新聞の記事があった。
 先頃は東海・山陽を走るブルトレの食堂車が営業を停止したばかりである。
 殊に広島のJRでは新幹線一人が気を吐いて、他は寂しくなる一方だ。
 妙なことを言うが、この旅行を出回って“ステン車輌”を見なかったのは広島だけである。
(20年後の現在でさえキハ120がわずかにあるばかりである(-_-;)
 言い換えれば、昭和末期以来新車を充当していない数少ない地域である。
 すっかりビジネスライクに徹して、今回のような旅行の情緒を一層感じ取られなくしてしまった。
 そこに持ってきて、それを持っていたはずのブルトレも年を追う毎にその旅情を薄めて行く。JRの山陽路にはかつての旅情はもう求められないのか?

 その鬱積をぶつけたくて、みずほを見送ることを考えた。
 時間がきて、みずほも入線してきた。いつもの表情でいつものようにすまし顔で入ってくる。だが、来年からはこのみずほは存在しない。行く末短いこの列車も、それを素知らぬ様に振る舞う。無機物の列車だから当たり前と言えば当たり前だが、そういう風に考えると澄み切っているはずの青い車体が澱んで見えた。

 そして発車。おそらく私が間近に見る最後のみずほである。持っていたビデオカメラで走り去るみずほを追った。緑と黄色のテールマークも、しっかり目で追った。
 みずほは遠く、今から私が向かう東京へと一足早く旅立った。

▽広島   0:13~京都   6:26・ムーンライト山陽(オハ14 185)

※発車

 さて、3番ホームに戻り、指定席を捜して屯座した。
 まだ発車まで20分ほど有る。
 山の手の窓際。不満と言えば不満である。真横に窓枠があるし、須磨浦も拝みにくい。
 まぁ贅沢は言うまいと思っていた処、“さくら”が先程の4番ホームに入った。
 さくらも先程のみずほ同様に九州ブルトレの一員であるが、どうやら廃止とは無縁らしい。
 みずほ以上の“最古の歴史”もある。
 親しまれる“三等車特別急行”から成り上がった歴史は伊達ではない。彼にはみずほの分まで頑張ることを期待したい。
(こちらは2005年に廃止の憂き目に遭う)

 さくらを見送ると0:13分は間もなく。いよいよこちらムーンライトの発車である。
 滑り出す広島駅ホーム、漆黒の闇に沈んだ市街。
 根室までの、足掛け3日間のマラソンレイドの始まりだ。

 第一目標は東京。到着は15時半。15時間強の道程である。
 広島機関区、運転所を左右に見送り、いよいよ市内を離れる。発車の車内アナウンスが終わると速攻で微灯。車内も薄暗くなる。だが、急に寝ろ・と言われて眠たくなる訳はない。天邪鬼の私は窓外の景色を見つづけた。

※快走

 見慣れたはずの山陽路の風景だが、午前零時という時間帯がいつもと違う雰囲気を醸し出す。

 実は、ムーンライト山陽を利用するのは実に3年振り3回目である。
 と言うのもこの列車には苦い思い出があり、当分利用は避けていたのだ。
 話せば実にくだらんのだが、この列車、一番最初は“12系急行型客車”を使っていた。
 こいつは側窓の開く型式である。こいつに乗って早朝の京阪路の涼風を浴びるのが一つの目当てであった。
 処が翌年には“14系特急型客車”に格上げされた。
 こいつはリクライニングシートなどもあったが側窓は固定式で開かない。
 外の空気を嗅げないばかりか、明け方までには冷房を切ってしまう。
 その結果、凄まじい足の臭いで目が醒めるという最悪の状態になった。夜行列車では長丁場を寛ぐために靴を脱ぐ人が多いからだ。
 今年もこの冷房がいつまでついているやら…それを思うと、気安く寝つけなくなる。

 この時間、上りは“さくら”で終了したブルートレインの離合は、瀬野で下りの離合を始めることになる。一番手は新大阪発車の“なは”らしい。

 山陽路の山あいを縫うムーンライト。
 この時間にもまだ灯りの着いている部屋を幾つか認められる。
 最近は25時頃というのは以前ほど深夜でなくなったように思われる。
 左右に見え隠れする国道2号線も乗用車が目に付くようになった。今般は事情によって盆休みからシフトした日程を取ったが、そう考えているのは小生ばかりでなく、実に大勢の人がいるようだ。

 国道2号線も南に下って30分ほど、もの寂しい自然の風景を見送った後、広島を出て久しぶりに都市風景を見ることになる。三原である。
 この三原で20分、次の糸崎で5分もの待ち時間を喰らう。
 こんな事なら寝て置けばよかった、と思うほど蒸し暑く思われた。
 ヘッドホンステレオが唯一の娯楽に思えた。
 目の前には自販機もあったが、岡山までは乗降扱いをしていないので表に出られない。
 こんな時に・と用意して置いたのは“秘密兵器”。
 いやそう大した物じゃないが、自前の飲料水である。
 買い揃えた保冷袋に1lと2lのポリタンク。
 残った使い捨てコップを取り出した。
 1lにはサイダー、2lには麦茶を、前の日の朝から凍らせたものが入っている。
 サイダー缶が膨脹しているのに驚き、これから栓を開けたが、驚いたことに殆どが氷。溶けている部分を入れてもコップ半分が精一杯だった。
 涼を取り戻して列車も快走しているのを愉しみ、福山を過ぎた辺りで疲れに任せて暫く眠りに着いた。
 実は前の日午前五時起きで仕事を済ませてそのままだから…

※トランスファ

 次に目が醒めたのは程無く岡山に入る処であった。時刻は26時57分。
 左手の電車区車庫には、岡山で1泊する115系3000番快速用車両や、381系“やくも”がいた。

 寸もなく岡山に入線したが、妙に物静かだ。それで居て物音だけは騒がしい。
 恒例だが、ムーンライト山陽の運行中はこの岡山でムーンライト高知を併結する。
 おまけにこの時間に下りも入線するのでこの場に4つの列車が一同に会することになる。

 座った姿勢のまま体が固着しかけたので体をほぐす意味でも席を立ち、ビデオカメラ(ソニーTR75)を右手にホームをぶらついた。
(当時はバッテリーが課題だったため撮影は虎の子のシーンに限られた(T_T)
 そうすれば、いるいる。上りムーンライトのほかにも下りムーンライト。こちらはまだ分割を終えておらず、ブルーの山陽と、スカイブルー・ホワイトツートンの高知が一繋ぎになっていた。私のいる10番ホームには俄かカメラマンもパラパラ。さて・私も一寸。

 やがて最後の客員・上りムーンライト高知も到着し、岡山降りの乗客を降ろすといよいよ併結に掛かった。
 高知発は電気機関車を構内回送に使って山陽の前に連結した。
 面と向かってこんな併結作業は見たことはなく、必死にビデオカメラを回していると、忘れていた客がもう一丁来た。
 東京発の“はやぶさ”である。
 北海道行きの豪華列車が乱発した現在、今やその存在は“ブルートレインの飛車角”になってしまったが、多彩な編成内容はまだ普通列車や臨時快速などをはね跳ばしそうな威容を持つ。つい私も目を奪われた。

 総べての作業を終えてはやぶさ、下りムーンライト山陽に続いて我が上りムーンライトが発車した。最後発になる下りムーンライト高知を左手に見送って再び列車は闇に抱かれた。ついでに私も眠りに抱かれてお休みなさ~い。

※もう一つのお得意様

 次に目が醒めたのは加古川である。時刻は28・いや4時頃。
 その前に姫路到着も認めたが再び寝惚けていた。長閑で愛すべき蓮根畑や水田もこう眠くては気合いが入らん。
 そう言う訳で、本格的に目が冴えたのは明石からである。
 丁度5時前。AMラジオも放送を開始し、目の冴える相棒が付き添ってくれる。
 明石を出て朝霧を通過する頃から瀬戸内海を右手に見て、その異様を顕にし始めた明石大橋も右手に…、そう、見所はみんな右手に流れ、こちらの窓際は山ばっか!クソぉ・グレてやる!

 神戸。ここまで走るとすっかり夜明け。
 だが残念ながら天気は今一歩さえない薄曇り。
 ここの朝はいつもこうすっきりしない。だが六甲山の裾野が開けてビルが林立して、左脇から神戸高速鉄道のレールが生え、三宮駅で阪急駅と並ぶと調子が戻ってきた。
 通過地点だというのに休憩地点に来た安らぎを覚える。ここは列車旅がその日付を跨いだときにきた初めての場所だからだ。

 そう。いつだってこの列車旅の拠点はこの京阪神間にあった。

 神戸市内を過ぎて阪神間の都市を駆け抜ける間に朝日が車内を突き刺す。琥珀色の鋭い明かりに洗われた六甲山麓。これだって夜行列車の醍醐味である。
 軽快な台車の響きは電気系統のモーター音にともすれば殺されがちだが、阪神間の屈曲の少ない鉄軌の上を快走する。
 それが腹に伝わるトラスの響きになるとそこは淀川。大阪は間近になる。

 大阪を過ぎても時刻はまだ5時50分。まだ早起きに当たる時刻だ。終着の京都までまだ30分強。もう一眠りと洒落こんだ。

-----------------------------------------

後記

 今やムーンライトやブルトレと夜行列車全般が昔話になってしまったが、夜行列車で随分愉しんだ記憶が鮮明に書かれてる。
 その夜行列車の閉鎖空間でどう過ごすかも書いてて今や興味深い。
 その工夫も出来なくなった現在という現実(T_T)。
Posted at 2014/08/03 21:55:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域

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最初ここの[何シテル』投稿やスマホカメラで休憩に撮ったが行程が残らず。
最後に使ったのはスマホ地図のスクショでこっちが効果高かった。

また大きな声で言わないが位置ゲーもトラッキングに使った。」
何シテル?   07/09 10:48
 広島・備後御調種佐伯産宮島対岸棲息の対厳山。 長らく勤めてた仕事を現在辞職、2025年初めはフリーターで始まりました。  新社会人時代(つぅても四...
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