第二回です。
僕が子供の頃に、キャンプに行った話しでも。(ローカルでスマヌ)
僕が小学生の頃、近所の子供会に参加していました。
町内会の小学生が集まって、夏に花火やったり、クリスマスにはお楽しみ会・・・
でも、その町内には、男子が少なくて、僕が高学年になった頃には、男子が僕とカズオ君の二人しか居ませんでした。
そしたら、僕が子ども会の会長になっちゃいました(^o^;)
町内の会長やるのはタイシタ仕事でもなかったのですが。
今度は区内の会長が集まった、ジュニアリーダー研修会なるものに参加せよとの指令が来ました。
それは区民センターに集合が掛かるのですが、各地の会長が集まるので、学校の違う同年代の子供が集まる、いつもと違ったコミュニティだったのです。
引っ込み思案な僕は、ちょっと心配してましたが、行ってみるとこれが楽しくて(・∀・)イイ!
だいたい毎月1回くらいの会合で、年間行事計画の立て方とか、会のプログラムを作ったりする研修をします。
その中では、集団で遊ぶゲームを習ったり、歌を教えてもらったり。
研修とはいえ、結局はゲームや歌をみんなでやるので、それは楽しいのです。
教えてくれるのはシニアリーダーという、高校生?大学生?のお兄さん&お姉さんです。
その研修で得たものを、地域に帰って活動に生かすのです。
そんな研修の中で、夏の目玉はなんと言ってもキャンプです。
あの当時は、家でテントを持ってる人なんて居なくて、キャンプという言葉にあこがれていました。
こういう研修でも無いと、キャンプに行くチャンスが無かったので。
そんなお楽しみの夏に、ビッグな研修があったのです。
あれは確か5年生の夏。
札幌にある『ドンガバチョ共和国』に3泊(?)で行くことになりました。
場所は西岡の奥地だったような気がします。
リュックに米を3合と着替え、寝袋を持って、いざドンガバチョへ!
ドンガバチョ共和国では、日本円が使えなくて、ガバス、ガバチョという木の通貨が使われていました。
たしか入国の時に、米をガバチョに返金した。
共和国の中では、子供5人くらいの班を作り、バンガローに寝泊りします。
バンガローって言っても、屋根と壁があるだけで、入口はノレンみたいな掘っ建て小屋でした。
班ごとにリーダーを決めて、学年も性別もバラバラの共同生活です。
国のおきては『
働かざるもの食うべからず』
食事の材料や、燃料の薪は、班内でガバチョを使って、買いに行きます。
かまどを使ってごはんを作り、みんなで食べます。
♪ごはんの歌♪
「1」と、「2」と、「3」と、「4」と、「ごー」はんだごはんだ、さぁ食べよう~♪
かぜも爽やか心もかろく~
みんな元気に感謝して~
楽しいご飯だ、さぁ食べよう
「いただきます!」
♪ごちそうさまの歌♪
「あ」と、「い」と、「う」と、「え」と、「お」いしいご飯がすみました。
食当さんよ、ありがとう。
「ごちそうさまでした<(_ _)>」
ご飯が終わると、みんな働きに行きます。
共和国内には、いくつかの職場があって、各班から希望の職場に行って、お金を稼いできます。
建物の修理をする仕事や、竹細工みたいな民芸品を作る仕事や、いろんなルールを守っているかパトロールする仕事など。
僕は、薪割りの仕事をしたっけかな。
教えられたルールは
・国内は走らない。
・ナタを使うときは、ナタを持つ手は素手、薪を持つ手は軍手。
他は覚えてないw
一日働くと、日給がもらえて、また米を買うことができます。
たとえば献立がカレーだと、ジャガイモや玉葱もガバチョで買います。
晩ごはんのあと、夜はバンガローで寝るのですが、夏なので蚊が出るのです。
ここでまた、各バンガローを回って、バルサンを焚く仕事の人がいて、決まった時間に回ってきます。
でも僕、昔は超早寝だったので、バルサンの人が来る前に寝ちゃっていました。
バルサン焚くとすごく臭くて、みんなバンガローの外に避難してたらしいのですが、僕はぐぅぐぅ寝てました(爆)
最後の夜は大きなキャンプファイヤーをしました。
燃やすのは廃材ですが、昼に準備班が積んでいてくれたものです。
点火するにもセレモニーがあって、おごそかなスタート。
その後、キャンプファイヤーでは定番の歌で盛り上がります。
♪燃えろよ燃えろ♪
燃えろよ燃えろよ、炎よ燃えろ。
火の粉を巻き上げ、天まで焦がせ。
火がどんどん燃えてきたら、みなんで楽しい歌を歌います。
♪チェッコリー♪
チェチェ、チェッコリッサー
二酸化マンガン
オーマンチェチェ
この歌は、キャンプファイヤーを囲んだ参加者の輪の中に、ひとりリーダーが出て、歌いながら踊る。
みんなはそれを真似して、おっかけて踊ります。
歌詞の意味はサッパリ分かりませんが、みんな笑いながら踊りながら歌いました。
僕はてっきり、シニアリーダーの即興で、テキトーな歌詞と踊りをやってるのかと思ってましたが、この歌有ったんですね~
いろんなゲームしたり、歌で盛り上がったり。
最後はこの歌
♪今日の日はさようなら。♪
いつまでも絶えることなく、友達でいよう。
明日の日を夢見て、希望の道を。
ちょっと寂しいこの歌、火を見てセンチメンタルになっちゃったりして。
このドンガバチョ共和国の経験は、その後の温泉少年のアウトドア志向に非常に影響を与えています。
今思えば、北海道の自然はホント楽しかった。
今でも、外で料理して外で食べるのって、やっぱ楽しい(^o^)/
暖かくなったら、BBQでもやりたいな(^^)
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