過去シリーズ4、88年型NSR250Rです。
このNSR、当時バイクに乗っていた、もしくは興味があった方なら言うまでもないでしょう。
通称「ハチハチ(ごくマレにパーパーと言う人も)」、
およそ今でも「伝説」といった形容詞を使っているのも見かけます。
当時の時代背景として各メーカーは2サイクル250に全精力…とまでは行かないでしょうが
かなりホンキで開発をしていました。
毎年のモデルチェンジなんて当たり前、このNSRだって87から
各年式ごとにモデルチェンジされました。
落ち着いたのは95年くらいだったかな?
片持ち(プロアーム)になった年からモデルが廃止された
99年までの都合5年間は外見を変えずに生産されていた記憶があります。
またヤマハはTZRシリーズ、スズキはRGVガンマ、そして絶対に世間には
流されないだろうと思われていたカワサキですらKRシリーズを生産したくらいですから
その当時の2サイクル250はそりゃスゴかったです。
では何がそんなにスゴかったのか? NSRに関して、まずはその完成度ですね。
車体のディメンションからエンジン特性まで、まさしく「勝つために」設計されていたんです。
車体構成として一番驚いたのはハンドル位置。
当時レプリカはセパハンだった訳ですが、そのすべての車種はトップブリッジの上でした。
まるま の記憶が正しければブリッジ下に配置したのはこの88が最初じゃないかな?
のちに後方排気のTZRもブリッジ下になりましたけどね。
ただNSRはさらに1cmくらいのスペーサーまでカマして下げていました。
さすがにポジションはキツかったなぁ…89のNSRではこのスペーサー、無かったですね。
よほどクレーム来たのかな?(笑)
またその速さとはどれくらいなのか?
当時ホンダは市販レーサーとして「RS」と言うシリーズを展開していました。
このRSもレーサーですから市販車以上に各年式で性能アップして行きます。
そのRS250、当然ですが市販型とは言え紛れもなくレーサー、市販車とは別物です。
で、88NSRはなんと型遅れとはいえ87年型のRSと同等と言われていました。
正確に言うとシート下にあるPGMユニットの配線を1本だけイジる必要があった
(この配線をイジるだけで60馬力弱になると言われていました)んですが…ね、反則でしょ?(笑)
あとは警察。
なんと警察からホンダに「初心者には出来るだけ売ってくれるな」と言う通達があったんです。
それは各販売店(ウイング店)にも回って来たようです。
では馬力だけで特性はピーキー(懐かしい言葉でしょ?:笑)なのかと言うとそんな事はありません。
当時ヤマハのYPVSの丸パクリ(笑)と言われたRCバルブと言う排気デバイスのおかげで
街中で最低限困らない程度の乗りやすさはありました。
実際 まるま はツーリングにも使いましたよ。
ただ番手を落としたプラグは常に携帯していましたけどね^^;
そんな88NSRに乗っていた まるま…扱えるわけないでしょ?(笑)
箱根とかにも行きました。富士山にも行きました。
それらの場所で今じゃ絶対しませんがかなり目を三角にして走ってました。
でも一番通ったのは近所の農道。
当時これも静岡県富士市に住んでいましたが、ここが低速コーナーメインでしたが
なかなか楽しいコースだったんですね。
休みのたびに行っていましたが季節は冬、タイヤも暖まらず
路面温度も低いままで走っていたのでフロントからスッコーンとスリップダウンです。
そして運の悪いコトに左コーナーだったんですが対向車に軽トラが!
ガードレールに突っ込んでくれればまだマシだったと思いますが…踏まれました(笑)
フロントから突っ込んだ状態で相手に踏まれたので当然ダメージはフロントに。
もう見るも無残な姿でしたね…
幸い まるまには一切ケガはなく、また、相手の車両も軽トラだったせいで
フロントタイヤのパンクだけで済みました。
すぐさま相手の車に走って行って平謝り。
まぁ相手の方も良い人で、NSRのダメージを見て許してくれましたが^^;
あぁ、パンクさせてしまいスペアタイヤへの交換は まるま がやりました。
「いいよいいよ」と言ってくれましたが「ぜひやらせて下さい」と。
独身寮に持ち帰り改めて見ると…こりゃヒデぇ(笑)
カウルはぶら下がってる状態だしフォークもひん曲がってます。
あぁあぁ、ホイールまでめくれてるぜ^^;
こりゃフレームもあやしいね。
マトモに修理したら50万弱はかかりそうだったので
バイク屋にエンジンだけ引き取ってもらいました…7万円で(笑)
結局乗ったのは数か月だけでしたが今でも強烈に印象が残っているバイクです。
画像は当時の まるま です^^;
当時流行っていたストーンウォッシュのジーンズが泣かせます(笑)
あ、事故後の写真は次のCBR400Fにチラりと出ています^^;